対談 CONVERSATION

パリパラリンピック 還暦アスリート伊藤智也が狙う金

HERO X 編集部

パリオリンピックに続き間もなく始まるパリパラリンピック。前回の東京パラリンピックのクラス分け判定でまさかのクラス替えを余儀なくされた伊藤智也選手(バイエル薬品所属)が、本来のクラスであるT52に戻ることが決まった。還暦を迎えた伊藤選手が本来の土俵で目指すのはもちろん金メダル。開幕直前の伊藤選手に編集長杉原行里が話しを聞いた。

覆ったクラス分け判定

杉原:まずは、出場決定おめでとうございます。

伊藤:ありがとうございます。

杉原:調子は順調ですか?

伊藤:かなりいいです。先日の練習では風が結構強かったのですが、それでもいいタイムが出せました。

杉原:東京パラリンピックの時、試合前に行なわれたクラス分け判定で障害度の一つ軽いT53だと判定された時は我々はあまり心境を語らずにきたのですが、まさか、パリパラリンピックで再び元のT52に戻れるなんて、本当にビックリしました。

 

伊藤:僕も驚きました。まずこのクラス分け判定が分からない読者さんもいると思うので少し説明させてもらうと、パラリンピックは障がいの度合いによってクラスが分けられています。これはさまざまな障がいのある選手が競い合うパラリンピック独自のルールで、公平に戦うために設けられている制度です。僕が東京パラリンピックまで出場してきたのはT52というクラスでした。陸上競技の場合、Tはトラック、50番台は車いす競技を示しています。クラスは番号が小さいほど障がい度合いが重くなりますが、東京パラのクラス分け判定で、ずっと競技してきたT52ではなく、一つ障がい度の軽いT53と言われたんです。

杉原:連絡をもらった時は「えっ」て思いましたよ。よく分からなくて、涙もでなかったけど、言葉が出てこなくて、なんかやけにお互いに冷静だったよね。一つクラスが変わるだけで、高校生と小学生くらいの差があるのに、そこで戦わなければならなくなった。クラスが変わって、走ることもできないかもという中で、いろいろと交渉してくれて、なんとかT53で走るチャンスをもらったおっちゃん(伊藤選手)は本番、スタートからびっくりするくらいスピード出して走ってくれましたよね。

伊藤:チームのみんなが作ってくれたマシンをなんとか1秒でも長くテレビに映して欲しいとおもって、画角に残ろうと頑張った。後半はもちろんもう力が残っていませんでしたけど(笑)

杉原:一度クラス分け判定でクラス変更になると元のクラスに戻るのはまず無いとその時も聞いていたので、T53ではタイム的に難しく、パリパラリンピックは選考の時点で落ちるなと思っていました。ところがなんと今回、元のT52クラスに戻ることができ、出場を手にした。連絡を受けた時は「どういうこと!?」と思いましたよ。

東京パラリンピックの時には判定翌日に日本パラ陸上競技連盟が抗議文も出して、再検査もしてくれて、それでも判定はそのままT53だったから、T52に戻るなんて全く考えていなかった。

伊藤:僕も驚きましたよ。今回クラス分け判定に行き、判定してもらったところ、T52ということになり、元々のクラスで出場できることになりました。

杉原:しかし、なぜ戻れたんでしょうか?

伊藤:正しいジャッジをしてもらえたということじゃないでしょうかね。パリパラリンピックの出場権を獲得するためにはスイスで開催される大会に出ないといけない。でも、T53クラスだと、僕のタイムではそもそも出場する資格がないんです。クラス判定をもう一度してもらうため、身体状況を合わせた診断書や、それを証明する書類、MRIの画像診断などもつけて陸上競技連盟に提出しました。これを見て、クラス分けが必要かどうかを各委員会の方で審査になります。その時点で書類上ではどう考えても再判定が必要だろうということになり、IPC(国際パラリンピック委員会)に書類が送られました。

通常はここではねられることが多いんですが、IPCの方でもこれはクラス分けの再検討が必要だということになり、スイスの大会にクラス分けをメインに来てくださいということになったんです。ここで、T53のR(再度クラス分けをする必要があるもの)ということになり、クラス分けに参加することができた。

杉原:われわれRDSプロジェクトチーム伊藤は東京パラリンピックの後もクラス分けがどうあれ、伊藤さんを支えることは変わりなくずっと一緒に進んできた。チーム伊藤が結成したのがもう8年前になります。つい最近も伊藤さんを囲んでパラリンピックに向けての決起集会をやったんですが、誰一人欠けていない。変わっていなくて、変わったのはみんながジジイになったくらい(笑)。これだけ浮き沈みの激しい状況の中で、チームのメンバーが誰も離脱しなかったのは誇りといえば誇りですよね。

決起集会に集まったRDSプロジェクト チーム伊藤のメンバー。結成から8年、満面の笑みで伊藤選手を激励した。

金メダルは通過点
目標は培った技術の社会還元

伊藤:行里が代表を務めるRDSが束ねてくれているチーム伊藤のプロジェクトはパラリンピックのメダル獲得は一つの目標ではあるけれども、それが全てではないという方針で集まったメンバーです。僕がエンジンとして頑張ることで全ての車いすユーザーのためになることや、新たなモビリティ開発が起こることを当初から考えていた。東京パラリンピックでクラス変更を余儀なくされた一件があってもチームが離散しなかったのは、この指針があってみんなが全くここからブレなかったからだと思います。

だから僕も頑張って続けてこられたという面もあります。クラスがT53に変わって、毎回ビリを走ろうがチーム伊藤から任されている仕事に対するプライドは変わらなかった。どんなクラスであろうとそうしたプライドを持たせてもらえるだけのプロジェクトであり、そういうメンバーと一緒にやってこれたということがめちゃめちゃ大きかったと思います。

杉原:他のパラリンピック選手の間ではあまり見られないチームワークだと思っています。今伊藤さんが言ってくれたように、我々は金メダルだけを目標にするんじゃなくて、ここで培ったテクノロジーを一般社会に落とし込んでいこうねということをチーム発足当時から掲げていました。だからクラス分け判定で不利な状況になっても、僕たちは立ち止まることがなかったと思うんです。

伊藤:本当にチームのメンバー一人ひとりにちゃんと役割や責任が決まっていて、僕なんかは社会に落とし込んでいくための一番最後の役割なわけですよ。みんながそれぞれの技術、頭脳を持ち寄って作ってくれたマシンにのるわけです。社会に落とし込んでいくという目標で考えた時、レースでビリという結果で社会に落とし込んでいくのと、パラリンピック金メダルの技術だということで世の中に出るのとでは与えるインパクトが全然違うわけです。

チーム伊藤は最新テクノロジーを駆使して伊藤選手の最適なシートポジションを探った。

テクノロジーをもってしても、61才はビリなんや、ビリだけれどもパラリンピックは目指せるんやという発信になるのか、61才でもパラリンピックに出て金メダル取れるのか、スゲーなテクノロジーってという発信になるのかでは大きく違うと思うんです。僕が背負っている看板というのはやっぱりそこにプライドを持たなきゃいけないし、そこで頑張っているみんなの一つの結果を僕自身も求めたい。そこがチームワークの根源にあるからめげずにやれるんですよね。

杉原:今回、伊藤さんも年齢を重ね、前回の東京パラリンピックと比べても筋力や体力に変化も見られた。今の伊藤さんの力を最大限に出せるように計測をしていくと、シートポジションも変わってきましたよね。最高のマシンで走ってもらえるように技術チームも頑張っています。伊藤さんが頑張ってくれたおかげで我々の技術を世界にお披露目する舞台としてパリパラリンピックが用意されました。僕も現地に応援に行くので一緒に頑張りましょう!今日はありがとうございました。

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(text: HERO X 編集部)

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大どんでん返しなるか!?“ゼロ100”に賭ける天性の勝負師、夏目堅司。いざ、ピョンチャンへ!【2018年冬季パラリンピック注目選手】後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

つい最近まで、スランプ状態が続いていたことを前回のインタビューで激白したチェアスキーヤーの夏目堅司選手に、朗報が舞い込んだ。ピョンチャンパラリンピックの日本代表選手として、日本障がい者スキー連盟から推薦を受け、2月14日、日本パラリンピック委員会(JPC)より、正式に夏目選手が選出されたことが発表された。同大会で夏目選手が使用するのは、「シリウス」を名に冠したオーダーメードマシン“夏目モデル”。その開発を手掛けたのは、彼が所属するRDS社の専務取締役兼クリエイティブ・ディレクターであり、HERO X 編集長の杉原行里(あんり)率いるエンジニアチームだ。波乱曲折の勝負世界で戦う夏目選手とは、アスリートと開発者の関係にあると共に、時に、夏目選手の奮起を促すカンフル剤的存在として寄り添ってきた杉原が、大会直前の心境に迫った。

試行錯誤の日々。
もがいてたどり着いた今、思うこと

杉原行里(以下、杉原):用具登録については、最後の最後まで、どちらのフレームにするか、すごく悩んでいたよね。従来のものか、それとも、素材をハイブリッド化して新たに開発したものか。そこは、フレキシブルに対応していきましょうということで、一旦話は落ち着きました。僕が思うに、ローワーフレームに関しては問題ないけれど、もしかしたらアッパーフレームは、従来のものに戻した方が滑りやすいのかもしれない。重心移動、ダンパーの使い具合、フレキシビリティという点で、今までずっと使ってきたものでの滑りに慣れているだろうし、戻すべきだと僕は思っています。堅司くんは、こういうところの判断が遅いんですよね(笑)。

夏目堅司選手(以下、夏目):僕、鈍感なんですよ(笑)。

杉原:社内では、“ミスター・鈍感”って、呼んでいますから(笑)。もし、これで技術力があれば、今頃、スーパー選手になっていたと思いますよ。繊細だったら、崩れ落ちちゃうから。その鈍感力、森井くん(森井大輝選手)に分けてあげて欲しいです。彼は、“ミスター・センシティブ”ですから。

菅平パインビークスキー場にて、森井大輝選手、杉原行里、夏目堅司選手

夏目:森井くんは、本当にプレゼン能力が高いというか、まっすぐに自分の想いを伝えて、周りを引き込んでいく能力が凄くて、心底尊敬しています。その熱い想いでもって、自ら努力を重ねて確立してきたシートに乗らせてもらった時、とたんに、“すげぇいい!これに乗りたい!”と思って、それ以来、ソチ大会の時も含めて、彼のシートのお下がりを使わせてもらうようになりました。RDSのエンジニアの方たちに作っていただいた今のシートも、ご存知の通り、森井くんの座シートに、自分の背シートを組み合わせた仕様になっています。

入社してから今日に至って、試行錯誤しながら、自分の形を追い求めていくなか、シートやカウルなど、チェアスキーのどのパーツにも、ちゃんとした理論があって、然るべき形状になっているということは、理解できるようになりましたが、ほぼ失敗の連続でした。会社としてサポートしていただいているのに、申し訳ないかぎりです。

杉原:試行錯誤することは、まったくもって悪いことではないと僕は思います。もちろん、ロジカルに考えることができて、それを全て、パーフェクトに実現できるに越したことはないけど、ああでもない、こうでもないと考えることも、頭のトレーニングのひとつじゃない? モーションキャプチャやフォースプレートを使って、体や滑りのデータを可視化していくと、“え!実は、そんなことになっていたの!?”という、感覚とは想定外の結果が出てきて、軌道修正することもあるよね? それと同じで、やってみて、“これは違うな”、“あれはないな”と分かるだけでも、大きな収穫だと思う。

だからこそ、堅司くんが海外遠征に行く時はいつも、各部品を何パターンも用意するんですよ。セッティングが自分の納得のいく完璧じゃない状態で、1パターンで行くより、何パターンも試して、その中から最適なものを選んだ方が、パフォーマンス力も上がるだろうし、より良い結果に結びつくよね、きっと。

吹っ切れた今、
僕らしい滑りで勝負を賭けたい

夏目:最近、海外の遠征先などで、森井くんと2人で、チェアスキーに乗っていると、“それは、何!?”、“カッコいい!”って、周りの人がワーッと集まってくるんですよ。特に、新しく作っていただいたチェアスキーのローワーフレームは、めちゃめちゃ光っているせいか、注目度が高くて。今回のワールドカップでは、アメリカのある選手が僕のところに寄ってきて、開口一番、“それ、いくらだ?”と。“軽いのか?”と聞くので、“軽いよ。これは、ハイブリッドだよ。でも、フルカーボンのやつは、もっと軽いよ”と答えました。

杉原:他国の選手たちは、驚くだろうね。だって、日本代表選手のマシンが、毎年、少しずつバージョンアップして、進化しているから。“これ、一体、いくらかかっているの?”と聞きたくなる気持ちは分かるなぁ。自分のためのマシンを開発してもらえる環境があることが、彼らにとっては、きっと羨ましく感じるんだろうな。

杉原:応援してくれているサプライヤーの皆さん、地元・長野の方々、そして家族に対して、今一度ここで、新たに決意表明をお願いします。

夏目:やっぱり、ゼロか100の滑りをしっかり見せたいです。繰り返しますが、今回の大会は、チェアスキーヤーとして、ひとつの締めくくりだと思っているので。

杉原:でも、メダルを獲ったあかつきには、“北京大会も目指します!”とか、涼しい顔で言うんでしょ?(笑)

夏目:それは、その時になってみないと分からないですけど(笑)。

杉原:今、“ワクワク”が来てることは確かでしょ?

夏目:はい。吹っ切れさせてくれた杉原さんのおかげです。

杉原:僕はアスリートじゃないから、本当の気持ちは分からないけど、多分、怖かったよね。ピョンチャン大会に出場できなかったとしたら、と考えると。第一線から退くということは、アスリートとして、キレイに終わったと言われていることと同じでしょう? 引退後にセカンドキャリアとかよく言いますけど、僕の知るかぎり、堅司くんは、それができるほど器用な人間じゃない。

さっき、堅司くんの滑りを久々に生で見て、改めて、速ぇな!と思いました。以前とは、滑り方がすごく変わったし、なんか楽しそうに見えました。今、間違いなく、人生で最も濃厚な時間を過ごしている最中ですよね。ゼロか100か。チェアスキーヤー夏目堅司が、どんな滑りを見せてくれるのか、エンジニアたちと共に、心から楽しみにしています。頑張ってきてください!

夏目:ありがとうございます。

ここ1年近く、チェアスキーヤー夏目堅司を追いかけてきたが、彼ほど、心の状態が、如実に顔に現れる人はいない。かつて、壁にぶち当たっていると話してくれた時、こちらの胸が苦しくなるほど苦悩に満ちていたことが嘘のように、この日は、晴れ晴れとした笑顔を見せてくれた。それを越す夏目選手のピカイチの笑顔が、ピョンチャンの表彰台の上で拝見できることを心から願う。

前編はこちら

夏目堅司(Kenji Natsume)
1974年、長野県生まれ。白馬八方尾根スキースクールでインストラクターとして活躍していたが、2004年にモーグルジャンプの着地時にバランスを崩して脊髄を損傷。車いす生活となるも、リハビリ中にチェアスキーと出会い、その年の冬にはゲレンデに復帰。翌年、レースを始め急成長を遂げ、わずか1年でナショナルチームに入り、2010年バンクーバー大会、2014年ソチ大会への出場を果たした。RDS社所属。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

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