対談 CONVERSATION

西陣織りからコンバージョン 倒れかけの家業を救った三代目の挑戦

HERO X 編集部

もしも、経営が傾いた家業を継いで欲しいと言われたら、あなたならどうするだろうか。中小企業や小規模事業主を対象にしたある調査によると、2025年までに70歳を超えるという経営者は約245万人。しかもその約半数が、後継者が決まっていないという。斜陽産業と言われる家業を継ぐ決意をしたミツフジ株式会社代表・三寺歩氏は、家業を引き継ぎ黒字化に成功、新たな挑戦をはじめている。三寺氏はどのようにして家業を立て直していったのか。同じく三代目として家業を継いだHERO X編集長・杉原行里が話しを聞く。

崖っぷち家業を継ぐ決意

杉原:今日は共通点のある三寺さんとお話しができるということで、楽しみにしていました。家業である会社の危機を背負って社長になられたということで、親の仕事を受け継ぐことなどについてもお伺いしていきたいと思います。僕の場合は父を早くに亡くしていたので、母が社長を引き継いでいました。しかし、リーマンショックで家業が大きな打撃を受け、母親から誘われても無いのに、勝手に家業を継ぐ決意をしました(笑)。三寺さんは、もともと家業を継がれる気持ちがあったのですか?

三寺:いえいえ、全くありませんでした。家業は長いこと斜陽産業と言われる分野でしたから、私はそういう産業ではなく、大学卒業後は右肩上がりのIT産業に行きたいと思っていました。中でも安定している大企業で働こうと思い、パナソニックに入りました。その後、自分の実力を試そうと歩合給で頑張った分だけ報酬がもらえる外資系の営業に転職しました。

杉原:それが、家業を継ぐことになった。これはどういう経緯だったのですか?

三寺:私が継ぐことを決めた理由はたった一つで、父親が、自分が全てを投げうって生涯をかけて作った糸を、世の中に良いものと知ってもらえなかったと嘆いていたからです。ならば、それが本当にいいものかどうかだけは息子として確かめようと思い、継ぐ決心をしました。

三寺さんの父がはじめた銀めっき繊維「AGposs(エージーポス)」。導電性、抗菌性、防臭性、洗濯耐久性、伸縮性などに優れた糸で、ウェアラブルデバイスの電極やシールド素材、マスクや靴下などのアパレルにも使われている。

杉原:それでお父様は納得されたのでしょうか?

三寺:そうですね。私からは、もう、これがダメだったら、会社を潰したらいいじゃないかという話しまでしました。うちの会社は西陣織の帯作りからはじまった会社でしたが、帯をやめて、父親の作った銀めっき製品に集中し、一点突破で生き残ってきた中小企業です。だから、他の会社がやれることは止めましょうと話しました。

杉原:お父様にもある程度腹をくくってもらったのですね。しかし、身内の会社に外から入るというのは、社内の人からしてみたら、いくら社長の跡取りとはいえ、なかなか受け入れられないところがあったと思うんです。僕の場合もそうでしたが、社内の人からすれば、僕は“外部からきた人間”ですから。こうした社内の調整はどのようにされていったのでしょうか?

三寺:私の場合は父がまだ社長として残っている状態の時に入社しましたので、社内の調整というよりも、お取引先との調整の方が大変でした。まずは、会社を変えるということをお客様にご理解いただくことからはじめましたが、2年はかかりました。この間、父と一緒にお客様を回ったりしながら、どう変えていくのかについて、ひたすら説明にあがりました。

杉原:会社を変えるというのは、具体的にはどういうことだったのでしょうか?

三寺:まずは、うちが作る銀めっき糸の価格を上げることをしました。

杉原:それは大胆ですね。資料を拝見すると、価格を10倍くらいまで引き上げたとありますが、お客さんは困惑されませんでしたか?

三寺:もちろん、大変でした。それまでお取引いただいていた会社のほとんどがいなくなりましたから。

杉原:そんな中でも、取引を止めない会社さんもいた。

三寺:そうです。

杉原:しかし、これまで1万円で買えていたものが、10万円になるわけでしょう。残ってくれた方々はなぜ、取引を続けてくれたのだと思われますか?

三寺:そうですね、銀めっきの糸は様々な機能を持つ特殊な繊維なので、他に比較できる品がなかったということと、うちの会社は販売して終わりではなく、使い方をお客様と一緒に考えるなど、商品ができあがるまでのお手伝いもさせていただくようにしていたので、そこに価値を置いてくださるお取引先が残ってくれたのだと思います。

杉原:三寺さんが会社を継ぐためのこうした下準備が2年で済んだというのは、私は早いなと思います。

三寺:ありがとうございます。

“ええかっこしい経営”を刷新

杉原:三寺さんはこうして価格改定に打って出たのですが、経営の方はこれで少し上向きになったのでしょうか?

三寺:そうですね。そこもなかなか、簡単ではないです。それまで、勤め人として働いていた場合は、売り上げだけを見ていれば良かったのですが、経営となると、当然、入るお金だけでなく、出て行くお金も見なければなりません。

杉原:雇用される側と雇用する側の違いになりますよね。

三寺:お金の入りと出をずっと見て行くと、お金が入るということを期待して、出金をどんどん大きくしていくという構造が見られました。

杉原:そういうことはありますよね。

三寺:なので、一回、取引先からの入りをゼロにしてみて、出るお金がどのくらいになるのかをきちんと計算してみましょうと話しました。そうしたら、なんとか売り上げが立つことが分かったんです。

杉原:どうしてそんなことが起きていたのですかね?

三寺:当時うちの会社は、お客さんの予算に合わせてうちが赤字でも請け負うという状況があったんです。それまでのお付き合いは大事でも、父のええかっこしいのために会社を経営しているわけではありませんから、そういうものを全部やめて、売って十分に利益が出ることだけをやりますという形に経営転換しました。

杉原:いやぁ、すごくよく分かります。こちらの側で創意工夫をした結果、価格が安くできましたというのは良いのですが、お客様都合で合わせていくというのは、自転車操業がどんどん膨らんで、結局一輪車になっていくだけですもんね。

三寺:おっしゃる通りです。だけど、仕事はくるから、なんとなく社員は忙しい気になりますが、経営は厳しくなる。会社自身が疲弊していってしまいます。

爆発的な成功か、爆発的な失敗か、
勝負をかけた戦略

身に着るだけでストレス、眠気、暑熱リスク、体調などを測定し、体の状態を可視化できるオリジナルのウェアラブルデバイス「hamon(ハモン)」。

杉原:これらの改革を経て、会社の黒字化に成功されたということですが。

三寺:はい、おかげさまで、数年で黒字化することができましたが、いろいろと思うところはありました。近年はデバイスセンサーに注目が集まりはじめていましたから、センサー市場が活況になった時には大手が近しい素材を開発し、参入してくるだろうという予測を立てました。経営を考えた時、道は二つに一つだなと。

杉原:というと、どういうことでしょうか。

三寺:元々、継ぐつもりのなかった家業ですから、大手が参入してきた段階で、静かに会社を閉じるのか、もしくは、本気でウェアラブル市場に突入するのか、この場合、考えられる結果は爆発的な失敗か成功、つまり、生か死のどちらかです。

杉原:なるほど。

三寺:私たちの会社は、爆発的な成功を夢見て、突入する選択をしました。

杉原:『爆発的な成功を夢見て』最高ですね!笑 開発された糸というのは、銀を綺麗に被膜しているから導電性が高く、かつ、加速度センサーなどと組み合わせることで、ウェアラブルデバイスとして非常に有用な商品になるということでしょうか?

ミツフジが開発したウェアラブルデバイスは生体情報からストレスの度合いや眠気、体調、暑熱リスクなど体の状態を計測することができる。

三寺:そうです。糸なのでとても扱いやすいということが言えると思います。もともと服を作るために開発していますから、洗濯や汚れへの耐久性もかなり強く、着心地の良さもこだわっていますので伸縮性を持たせる加工もしています。そこが、他の銀メッキ糸との違いだと思いますので、汎用性も実用性も高いものとなっています。

杉原:実際にはどのように使われていますか?

三寺:連続した正確なローデータをきれいにとりたい大学の研究機関や、企業のR&Dなどで使われることがあります。また服として着られるものだけでなく、手首に巻いて計測する時計型のウェアラブルデバイスも開発しました。スマートフォンと連動して、情報も見やすくしています。

杉原:進化が止まりませんね。なんだかうちの会社で開発したものと組み合わせると、面白いものができそうな気がします。ぜひまたお話をさせてください。今日はありがとうございました。

三寺 歩(みてら・あゆむ)
1977年2月7日生。京都府出身。2001年 立命館大学経営学部卒業後、松下電器産業株式会社(現パナソニック)入社。シスコシステムズ、SAPジャパンなどを経て、2014年9月 三ツ冨士繊維工業株式会社(現ミツフジ)入社、代表取締役就任。

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(text: HERO X 編集部)

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椅子だって医療がつながる!野呂影勇教授が語る“人間工学の力”

HERO X 編集部

座る、立つ、歩く。人間の動きの一つ一つについて工学的なアプローチで研究する人間工学。近年、医療との結びつきが加速するこの領域は今後、私たちの生活にどのように繋がりだすのか。医療と人間工学を接続させた第一人者、早稲田大学名誉教授で株式会社エルゴシーティング代表の野呂影勇氏に「HERO X」編集長・杉原行里がお話をうかがった。

杉原:本日はよろしくお願いします。まずは、先生のこれまでの研究についてお話をうかがえますでしょうか。

野呂:医学と人間工学について。整形外科は、X線やMRIなどを使い身体を調べて、どこが悪いか、身体とくに筋骨格系に関する疾病を診断することには卓越しています。しかし、その疾病の発症の原因、それがどういう日常生活環境から出てきたのかということにはあまり関心がないことが多いです。医者はそういう教育を受けていないですから。僕の場合は、早稲田の理工の出身で、その後は慶應義塾大学に移り、研究を進めました。慶應は医学部を持っていますから、ここで、医学との出会いがありました。工学の我々が強いのはモノづくりで、医学と繋がるところがいろいろと出てくる。例えば、疾患原因が日常の座り方の悪さということもありえますよね。椅子に座ることは、お尻と関係があり、どういう筋肉や骨があって、お尻の外形があるかに深く関係しています。コンテンツを充実させることに人間工学は強い。一方、外形は外観の良さに関係して商品として真っ先に必要なのです。そこはいわゆるインダストリアルデザイナーの方が得意としているわけです。

杉原まさに僕ですね(笑)。

野呂:そうです。インダストリアルデザイナーと我々人間工学──やっていて気が付いたのですが、お互いに敵と味方のような関係ですね(笑)。しかし、インダストリアルデザイナーの人たちの方が飯を食うのに長けている。

杉原:ありがとうございます。

野呂:インダストリアルデザイナーの方たちは、出身がスモールオフィスの方が多く、自立してやっていらっしゃる。ところが、人間工学を研究している我々を大学が雇ってくれている、という体制ですから、飯は授業で(笑)。その違いは大きいです。

例えば、何かを開発するとします。製品は金額があって、モノにはそれ相応の金額がありますよね。枕なら枕なりの金額がある。車なら50万円は安いとなりますが、枕がもし50万円と言われたらどうですか。高すぎると感じるはずです。モノには生れてきた由来があって、相応の単価があります。この感覚が、大学人には弱い。マージンの中の5%をインダストリアルデザイナーがとってしまったら、我々工学はとるところがないわけです。形以外に、メーカーをこちらに向かせるためには何が必要か、となると「医学」かなと。とうことで、わたしは今に至り、医学を掛け合わせた人間工学の分野を推し進めている訳です。人間工学とインダストリアルデザイナーの勝負はそう簡単にはつかない、そう思っています(笑)。

杉原:僕は先生と発想が違って、5%を分けるのではなく、その価値を高め、10%、15%に増やし分けることを考えます。

野呂:それはお見事ですが、現実にはなかなか難しい。例えば、パラリンピックなんかで、国からお金がでているとかだとできるかもしれませんが。

杉原:RDSでは、ほとんどのプロジェクトは補助金を貰わずに、できる限り自己資金で進めてきました。開発のスピードを維持するために。

野呂:それはすばらしいですね。

医学と人間工学
なぜ結びついたのか

杉原:人間工学とは実際どんなもので、どうやって医療とつながるのでしょうか。

野呂:先日、北九州にある、サービス付き高齢者住宅を見学してきました。1階が共有施設で2階3階が住宅。階段やトイレの手すりなど、人間工学的に必要と考えられるものは全て備え付けられていました。今は人間工学が社会装置化している。人間工学とはなんぞやと30年くらい前に言われていたことはもう、その必要がないくらい浸透していると思いますよ。これからは、もっと踏み込んで、「人間工学が、新たに何をすべきなのか」が問われてくる。自分の場合は医学との関係を構築することでした。

産業医科大学で医学部の教授として8年勤務しました。医学部ですから、脳神経外科をはじめ、医学の領域について知識を得る場が、いろいろと揃っています。ある時、同僚(医学部の教授たち)から「お前は医学のことぜんぜん分からないじゃないか」と言われたことがありました。でも、逆もそうで、あちらは人間工学のことを知らない。

医者は、社会の機構として組み込まれており、整形なら整形のことだけ、耳鼻科なら耳鼻科のことだけに特化してやっていけます。その反面、専門外のことはあまり知らない。でも自分は医学部に籍を置いていた工学者としては、深くは知りませんが、脳神経も耳鼻科も整形も平等に知っているという強みがあります。こうした広範囲にまんべんなく知っているという状況は医者には少ない。ということで、工学の僕がやれば、医療×人間工学のアプローチとしてそれなりにやれることがあると思いました。

杉原:僕らは車いすをつくるのに、お尻の計測がすごく難しいと思っています。お尻は座るとつぶれてしまうので。あと、背骨との関係性も難しい。野呂先生はその座面を研究されているわけですが、どんなことをされているのでしょうか。

野呂計測とは何か。お尻がつぶれるは、臀部の筋肉に圧がかかっている状態です。

圧のかかり方が微小ですと快感に近い感覚ですが、強くなると痛みに代わります。お尻に均等な圧がかかればよいのですが、臀部形状が複雑なので難しいのです。

背骨との関係は、身体を支えることにあります。背骨には、中枢と末梢神経が走っているので、無理な支え方では強い痛みが生じます。 下半身の血流も圧により阻害されますので、むくみやしびれの原因となります。座るという一見簡単な動作ですが、生理的には複雑です。何でも計測可能な現代、しかし得られたデータの解釈に医療×人間工学の専門性が要求されます。

人間工学が支える在宅医療とは

杉原:人間工学と医療、私たちに身近なところでいうと、どのような方面でつながりが持たれるのでしょうか。

野呂:2018年は大変重要な年で、厚生労働省が指針を出し診療報酬を改訂、遠隔医療に世の中が向き始めています。すでに全国でいくつかの遠隔医療のサービス機関が立ち上がっています。入院から完治または終末まで病院で過ごすのではなく、一定の回復をしたら自宅で療養する方法へとシフトしはじめています。この段階、人間工学がすごく重要になります。例えば、院内では壁に手すりがついていて、転倒を防止するつくりになっています。ベッドも一定水準のものが備わっておりますが、個人宅は千差万別。ベッドか布団か。枕はどうかなど療養者の睡眠に影響します。厚労省のオンライン診療の指針にある診療支援の一つとしての人間工学的介入が望まれます。

杉原:なるほど。

野呂:遠隔医療の流れは早いと思います。人間工学との連携は今後、密接になっていくと思います。例えば、筑波大学大学院 人間総合科学研究科では「遠隔看護外来システム」のなかでその重要性を位置付けております。

杉原:先生のところでは医師のための椅子を作られていますよね。

野呂:この椅子(写真)は背あてに特徴があります。最近の手術は昔と違い、眼科など、細かな部分を扱う時には、手術する部分を立体映像化して4K大画面に映し出し、その画面を見ながら手術する(ヘッドアップモニターシステム)ことが増えました。細かい部分を扱う手術は、顕微鏡を覗きながらでも、モニター式となっても、変わらず執刀医は椅子を使います。普通の椅子は執刀中の前かがみの姿勢により背あてと背中の部分に空間が空くのですが、この椅子では超軟質の筒状の背あてを前進させて背中に接触させることで執刀に有害な身体の動きを安定化させます。

背中の緊張を和らげ円筒型背あてと座面の絶妙な傾斜で腰部も楽だと好評の眼科執刀医用椅子

手術中は足もとで器具を操作することもあるため、足が使いやすいように座面には少し傾斜がつけてあります。

杉原:利用者、眼科の執刀医師のニーズにあった椅子ということですね。

野呂医師とコラボすることは素晴らしいことですが、そのために配慮するべきこともあります。医療の対象は、患者です。倫理委員会等で病院では、がっちりとガードされております。それを乗り越えてコラボまでにこぎつけるだけの高い説得性と信頼性が工学側にも求められます。そのうえで、人間工学は今後、もっともっと医療の現場で、そして、人々の生活の中に、身近に存在するものになるでしょう。

早大理工 ピアノを弾くロボット(科学万博つくば’85 故加藤一郎教授による)の前で語り合う二人

野呂 影勇
1937年生まれ。早稲田大学名誉教授、エルゴシーティング CEO。業績は前半1982年から1999年までと後半2000年から現在(2018)までに大別。前半は国際学会への貢献、国際誌の編集。代表的な成果は、参加型人間工学の概念と方法論を提案し、1991年にTaylorFrancisから出版の英書「参加型人間工学」が国際的なベストセラー。後半2000年のローマ大学ラサピエンツァ招聘教授就任を境に、臨床医学×人間工学が主な研究に、加えて医師とのコラボで旅客機シート、呼吸枕、執刀医用椅子、運動具の開発を行った。20188月 人間工学の国際貢献に関してフェロー賞を受賞。

(text: HERO X 編集部)

(photo: 壬生マリコ)

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