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F1スポンサーの変遷にみる世の中の潮流

高橋二朗

「F1マシンは走る広告塔」だ。
数百億円の年間予算で運営されているF1参加チームは、スポンサー無しにはどうにもならないのである。しかしF1がスタートした1950年にはチームとスポンサーという関係はなかった。当時は、自動車メーカーの参戦が主で、繰り出すマシンには、社名かエンブレムが描かれていたのである。そして、マシンのカラーリングは、イタリアメーカーのマシンは赤、イギリスは濃い緑、フランスは青、ドイツは銀、というようにナショナルカラーで彩られていた。日本からF1の黎明期に参戦していたホンダは、白地に日の丸をデザインしたカラーリングだったのである。

やがて、自動車メーカーに代わってレースを専門とするチームが参入するとF1の世界にチームとスポンサーという関係が生まれ、マシンのカラーリングはナショナルカラーからスポンサーのカラーリングを纏うようになる。

タバコメーカーがこぞってスポンサーに

初めての例が1968年のこと。イギリスのチーム・ロータスがインペリアル・ブランズ社(イギリスのタバコ会社)のいちブランド「GOLD LEAF(ゴールドリーフ)」のパッケージと同じカラーリングを施したのである。ロータスは、それまでブリティッシュグリーンを基調にイエローラインがマシンにカラーリングされていた。それが一新されて赤・白・金のカラーリングにブランド名がボディにデザインされた。これは大きな出来事であり、以降、せきを切ったように多くのタバコメーカーがF1チームのスポンサーとして、ボディカラーリングとブランドロゴを露出し始めたのである。
スポンサー企業の目的は、自社と自社ブランドの広告宣伝である。喫煙とF1のイメージが融合してグローバルにPRできるというメリットと、巨額のF1チームの運営予算が捻出できるという互いの思惑が合致したのだ。タバコの市場は世界中にあり、F1チームをスポンサーすることによって、各国で開催されるF1グランプリで多くのモータースポーツファンがサーキットの現場で、さらに、テレビ放映によって約1億人の視聴者がそのロゴを目にすることになるのである。

フィリップ・モリス社のブランド「Marlboro(マルボロ)」は、フェラーリとマクラーレンの2チームのスポンサーをしていた。マクラーレンは、マルボロのパッケージデザインをそのまま踏襲し、色は赤と白。デザインは赤の矢羽とロゴを配していた。一方のフェラーリは、伝統のイタリアンレッドを頑なに守り、スポンサー名が分かるのはロゴだけ。また、禁煙の機運が高まり出して、開催国によってタバコの広告宣伝が規制されていた場合は、サブリミナル効果を狙ってロゴを連想させるデザインを施したのである。しかし、タバコの広告宣伝は、2006年をもって一切禁止されてしまい、ロゴは見ることができなくなった。だが、現在もフェラーリには、赤いボディに『MISSION WINNOW』というロゴデザインがされている。これはフィリップ・モリス社のプロジェクト名なのである。何を目指すプロジェクトかは定かではないが、依然として同社はフェラーリを支援している。他のタバコメーカーも同じようなプロジェクト名を掲げている例がある。

タバコの広告宣伝が禁止されるまでにどれだけ多くのタバコメーカーがF1のスポンサーになっただろうか。John Player Special(ジョン・プレイヤー・スペシャル)、GITANES(ジタン)、CAMEL(キャメル)、LUCKY STRIKE(ラッキー・ストライク)、WEST(ウエスト)、Rothmans(ロスマンズ)、GAULOISES(ゴロワーズ)などなど挙げればキリがない。日本からもCABIN(キャビン)、MILD SEVEN(マイルドセブン)がスポンサー参入していたこともある。これだけ多くのタバコメーカーがF1にスポンサードしていたのは、タバコのイメージ戦略とF1の存在がとてもマッチしていたからだ。

黄色のボディーで人目を惹いたCAMELのマシン。このときのドライバーはアイルトン・セナ。

変わるスポンサー企業

依然として自動車メーカーがスポンサーであり、レーシングチームオーナーである形態も残っているのがフェラーリとルノー、そしてメルセデスである。
実は、ホンダもチームを有していたことがある。既存のメルセデスチームの前身として3年間ではあったが、「ホンダ」というチームが存在していた。これは、直前のオーナー、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ社がエンジンを供給していたホンダにチームの株式を売却したことでそうなったのだ。そして、そのチームがやがてメルセデスとなった。現在ホンダは、メルセデスと覇権を争うレッドブルにエンジン供給をしている。かつては、BMWとジャガーもチームを抱えていた。自動車メーカーがチームを有するということは、強さと速さをアピールするイメージ戦略と技術開発の両面のメリットを考えてのことだ。しかし、勝てないことで逆の結果を生むこともある。

タバコ、自動車メーカーの他にF1のスポンサーに名乗りを上げたのがファッション、飲料、エンジンオイル、ホイール、銀行、IT、コンサルティング、電気機器メーカー。ちょっと変わったところでは浄水器メーカーもある。タイトルスポンサー、サブスポンサー以外の、小口のスポンサーや技術供与のテクニカルスポンサーに至っては、相当数の企業が参入している。蛇足だが、アメリカのモータースポーツには飲食店チェーン、洗濯洗剤、清涼飲料水、スーパーマーケット、家庭建材など生活に密接な企業のスポンサーが目立つ。そして、海外の場合、時折軍隊がスポンサーに付くことさえあるのである。これらはより多くの一般層への露出を考えてスポンサーしていることがうかがえる。

スポンサーはF1チームの株式を買い取って、F1チームのオーナーになることが多いが、その代表的なものがレッドブル社だ。1990年代の終盤に参入したスチュワートがジャガーへ、そして2005年にレッドブルへとオーナーが変わった。近年のF1ではメルセデスとレッドブル、自動車メーカーとエナジードリンクのチームが覇権を争っている。同じ場で戦っているのだが、チームオーナーでありスポンサーでもある企業の思惑が全く異なるという面白い現象がF1には存在しているのである。

レッドブルは、久々の日本人F1ドライバー・角田裕毅選手が所属するアルファタウリを傘下に収めているチームである。アルファタウリは2019年までチーム名がトロロッソ(イタリア語で赤い雄牛)、英語で表記したらRedBull だ。メインスポンサーがレッドブルかつ、アルファタウリはレッドブルのファッションブランドである。レッドブルは、モータースポーツの他のカテゴリーにも積極的にスポンサー活動を展開している。若い有望ドライバーの育成をも行なっており、角田選手もその一人だ。モータースポーツ以外にもあらゆるスポーツのアスリートをサポートしている。

筆者は、1980年代のトールマンチームが日本の電子機器メーカーのスポンサードを受けるために来日し、プレゼンテーションを行った際に通訳として同席した経験がある。トールマンは、未だに日本のレースファンのみならず世界中のファンから慕われ、人気がある故アイルトン・セナがF1デビューを果たしたチームだ。トールマンはその後、ベネトン、ルノー、ロータス、そして現在は再びルノーとして参戦している。当時のプレゼンテーションのポイントは、グローバルに企業展開を目指すためのコラボレーション、F1のハイエンドステイタスが企業イメージアップに貢献すること、企業のロゴが世界中に露出することだった。現在もチームがスポンサーに対してプレゼンテーションをする際の内容は大きく変化していないだろう。そしてプレゼンテーションやオファーを受けた企業は、メリットがあると判断すれば、巨額のスポンサーフィーを支払うわけである。

唐突ではあるが、相撲とF1はとても似ている。
相撲部屋とF1チーム、相撲巡業とグランプリ転戦。各巡業には勧進元がいてその巡業を司り、F1のグランプリは主催者が仕切る。相撲部屋とF1チームをそれぞれ束ねる相撲協会とF1グループ。各相撲部屋には後援会があり、F1チームにはスポンサーが存在している。力士個人にも贔屓の谷町さんが居て、F1ドライバーにも個人スポンサーが居る。相撲の後援会とF1のスポンサーの大きな違いは、F1のスポンサーは高橋二朗スポンサーをすることによって企業の存在を強くアピールしようとすることであり、その先の利益に繋げようとすることにある点だ。F1のスポンサーたちは、F1GPを通じてマネーゲーム、マネーレースに参戦していると言っても良いのである。

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(text: 高橋二朗)

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“障がい”を商売に役立てる!車いす陸上選手、木下大輔のタブーを打ち破る挑戦 前編

下西 由紀子 | Yukiko Shimonishi

のどかな風景が広がる宮崎大学グラウンドの一角。体育会の部室が並ぶ長屋の端の倉庫で、黙々と競技用車いすをこぐ選手の姿があった。同大学を卒業後、大学の障がい学生支援室の特別助手として働きながら、2020年の東京パラリンピック、陸上競技出場を目指す木下大輔選手だ。木下選手は学生時代、仲間とともに、障がい者がスムーズに飛行機に搭乗できるアプリを開発し、2018年3月、学生ビジネスプランコンテスト「キャンパスベンチャーグランプリ」(日刊工業新聞社主催)で、文部科学大臣賞受賞という、アスリートとしては異色の経歴を持つ。障がいをビジネスにすることのタブーを打ち破り、挑戦し続ける姿を追った。

パラ五輪でメダルを獲り、
宮崎の障がい児たちに選択肢を示したい

中学2年生の時、ふらりと入った図書館で、女性のパラリンピアンが書いた本に衝撃を受けた。「車いすでも海外で戦える世界があるじゃん。オリンピックがあって、メダルを目指せる」。もともとスポーツが大好きで、小学校の頃は車いすに乗りながら、地元の野球チームで健常者と一緒にプレーしていた。メジャーリーガーになりたいと夢を抱き、中学でも野球を続けようとしたが、両親に「障がい児が野球をしても将来の道はないし、周りに迷惑をかけるだけだからやめなさい」と言われ、反発心を募らせていた。「パラリンピックのことは、周りの大人が知らなかっただけ。でも、知らないことで、子どもたちの選択肢が狭まる。将来パラリンピックでメダルを獲って、メディアで取り上げられたら、宮崎の障がい児たちに選択肢を示せる」

その瞬間から「パラリンピックに出場し、メダルを獲得する」ことが、木下少年の夢となった。

しかし、車いす陸上の指導者は近くにおらず、中学、高校と練習は自己流。時折、宮崎県の車椅子陸上チームの練習や合宿に参加することで、研鑽を続け、高校時代に県大会で100mの記録をマークした。大学進学後も陸上部に所属するも、独自のメニューで練習。大学2年時の日本選手権、100mで2位、その後のジャパンパラリンピック大会で3位の成績をおさめ、中国での世界大会に出場。結果は2位だったが、優勝した選手は自分より細く、競技用車いすも古い型を使用していた。「海外ではいったいどんな練習をしてるんだろう? 僕は世界と戦うって言っているのに、世界のことを何も知らんやん」。

海外のトップアスリートの生き方に刺激を受けた
「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム
」

帰国後、大学の国際連携センターへと足を運び、文部科学省が官民協働で取り組む海外留学支援制度、「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」の第1期生を募集していることを知った。先生には強力に勧められたが、不安が先立ち、足踏みし、その1年後、大学4年を迎える春休みに、「行かなければ絶対に後悔する。飛び込んでしまえ」と決断。審査に受かり、2016年10月~2017年2月までの5か月間、オーストラリアのニューカッスルに留学、リオパラリンピックのメダリストが在籍するチームに所属した。

多国籍の選手らと練習に励む中で感じたことは、日本と海外とのスポーツに対する向き合い方の違いだった。日本では、ストイックであることが美学のように語られ、身を削るようにして練習に取り組む傾向があると感じていたが、海外の選手たちは、トップの選手ほど、自分を追い込みながらも、競技自体を楽しんでいた。練習は時間より質を重視し、時には1時間で終わることも。また、選手たちは基本的にスポーツだけではなく、それぞれ個人の取り組みをしていた。チームには社会人が多く、企業で企画やマーケティングに携わっている選手、NPO活動や教育に携わっている選手もいた。「アスリートだけでは、社会的に認められない。プラスアルファのことをしなければ、社会に還元できないという空気があった」

障がい者が健常者と対等に交渉をしている姿も何度も目の当たりにした。「できることとできないことをはっきり伝えることで円滑にやりとりし、ビジネスでもお金が回っている。スポーツ以外の場でもトップになれるという姿を見せてもらった」障がいというハンディをはねのけ、活躍する多くの人に刺激を受け、木下選手は車いす陸上からさらに新たな一歩を踏み出す。

(後編へつづく)

木下 大輔(Daisuke Kishita)(国立大学法人 宮崎大学 障がい学生支援室 特別助手)
陸上競技【T34(脳原性麻痺・車椅子)クラス】選手
1994年宮崎県都城市生まれ。先天性脳性まひによる両下肢不全で、生まれながらにして両足がほとんど動かない。内部障がいもあり、指定難病ヒルシュスプリング病のため、生まれてすぐ大腸のすべてと小腸の半分を摘出。中学2年生の時に、車椅子陸上を始め、宮崎県立高城高等学校時代は、宮崎県大会で100mの記録を残した。宮崎大学工学部時代は、3年時に中国で開催された国際大会で、100m、200mともに2位。大学4年時に文部科学省が展開する「トビタテ!留学JAPAN 日本代表プログラム」の制度を利用し、車いす陸上競技の研鑽のため2016年10月~2017年2月までオーストラリアに留学。帰国後の国際パラ認定大会では2位を獲得した。一方、大学の仲間とともに、学生起業家の登竜門である、学生ビジネスプランコンテストにエントリー。障がい者がスムーズに飛行機に搭乗できるアプリを開発し、全国大会で文部科学大臣賞を受賞した。大学を卒業後、宮崎大学で障がい学生支援室の特別助手を務めながら、2020東京パラリンピック、陸上競技800mでの出場を目指す。

(text: 下西 由紀子 | Yukiko Shimonishi)

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