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東京パラリンピックを成功させる秘策は、2012のロンドンに学べ!

中村竜也 -R.G.C

観戦チケットの販売枚数がおよそ270万枚と、それまで最高だった北京大会の180万枚を大きく上回り、史上最も多い観客が競技を観戦し、史上最高の成功を収めた「ロンドン 2012 パラリンピック」。2020年に東京パラリンピックを控えた我々は、動員数だけではないそれ以上の成功に導くためには、いったい何が必要なのか。

ロンドンパラリンピック成功の背景には、オリンピック委員会とパラリンピック委員会の一元化をはじめ、街のバリアフリー化に徹底して力を入れた行政の努力や、タクシー会社による座席を折り畳み、車いすのスペースを確保できるようにした企業努力など幾つかの要素が存在する中、最も注目したいのは「市民の理解」が大きな要因としてあげられている点です。

この「市民の理解」とはどのような意味なのでしょうか。東京に置き換えて考えてみた時に、建物のバリアフリー化や、交通機関の車いすへの対応など、すでに整いつつある誇るべき部分ももちろんありますが、悲しい現実として、先進国の中でも我が国日本は、障がい者への理解が低いという現状があると感じます。

では一体、東京都民がロンドン市民に習うべきことはどのようなことなのか。それは、多くのロンドン市民が、当事者の気持ちになって生活することで心のバリアフリー化を実現し、市民全体が意識の中でパラリンピックの参加者になったことで生まれた大きな力があってこそ、成功へと繋がっていったと考えられます。

何をもって成功とするのかという議論はもちろんあると思いますが、ロンドンパラリンピックをモデルにした場合の「市民の理解」とは、このようにトータル的な意味での意識変革が実現した時に、真の成功というものが現実になってくるわけです。そう、東京オリンピックの成功は、決して参加者だけではなく東京都民の意識が同じ方向に向かってこそ実現するのです。

(text: 中村竜也 -R.G.C)

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車いすの女王 土田和歌子。驚きのトライアスロン転向宣言までの舞台裏【HEROS】後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

アイススレッジスピードレースと車いす陸上競技で、通算パラリンピック7大会に出場し、計7個のメダルを獲得。日本人として初めて夏季と冬季の両大会で金メダリストに輝くなど、四半世紀に渡るパラアスリート人生を最前線で走り続け、数々の伝説を残してきた車いすアスリート・土田和歌子選手。2016年リオ大会の女子マラソン(車いすT54)では、惜しくも、トップとわずか1秒差で4位に終わったが、その後、わずか3ヶ月の競技歴で初参戦したASTCパラトライアスロンアジア選手権(フィリピン)で優勝し、2017世界パラトライアスロンシリーズ横浜大会(女子PTWC)の出場権を得て優勝という新天地での快挙を成し遂げたのち、今年1月、トライアスロンへの転向を発表した。車いすマラソン女子の第一人者のこれまでとこれからを探るべく、土田選手に話を伺った。

車いす陸上を極めたい。
その一心で“レーサー”と
共に駆け抜けた20年


2017年9月、オランダ・ロッテルダムで行われた「ITU世界トライアスロンシリーズグランドファイナル」に出場した後、土田選手は、従来の車いす陸上のトレーニングを中心とした練習の日々を送っていた。取材に伺ったこの日は、千葉県内某所での強化合宿中だった。自身の体と一体化し、ロードレースを疾走する通称“レーサー”こと、競技用車いすについて、土田選手はこう語る。

「この20年、車いす陸上を極めたいという想いでやってきました。最速を求めて、八千代工業が作るレーサーに乗りたいという強い想いから、現在に至って同社に所属させていただいています。今乗っているレーサーは、5台目。以前は、型が決まったマシンに乗っていたので、フレームの全長も1800mmとかなり長かったのですが、弊社では自分の体に合わせて作っていただいているので、1700mmぐらい。膝の角度やポジションも微調整できる仕様になっています」

土田選手が使用しているレーサーは、八千代工業が、ホンダR&D太陽株式会社と株式会社本田技術研究所と三社共創で開発している『極<KIWAMI>』を名に冠したフラッグシップモデル。3Dスキャナーを駆使した姿勢測定により、土田選手の体にぴったりフィットしたマシンは、CFRP(炭素繊維強化プラスチック)の特性を活かした最先端設計技術により、高振動減衰カーボンフレームと超軽量カーボンホイールを実現している。

「日本はモノづくりに長けた国。海外の選手は皆、日本のレーサーに乗りたがります。“どこに行けば、乗れるの?買えるの?”としょっちゅう聞かれますね。実際、八千代工業のレーサーを使う海外の選手は増えていますし、多くの選手がこれに乗って活躍する時代になってきました。この先、東京2020に向けて、かなりのユーザー数が増えるのではないかと思います」

車いすマラソン女子の先駆者として数々の功績を誇りながら、初参戦したトライアスロン大会で優勝するなど、今なおアップデートし続ける土田選手の快進撃。その優れたパフォーマンスが、八千代工業のレーサーの素晴らしさを世に広める上で、大いに貢献していることは言うまでもない。

「でも、蓋を開けてみたら、失敗の方が多いんですよね。レースに関しても、中々うまくいかない部分があって。その中でも、パラリンピックでメダルを獲得してこられたことは、自信にもつながっていますし、世界の選手たちにも評価してもらえているところなのかなと思っています。それに恥じないように、今後も色々と挑戦していきたいです」

2020年、世界と戦える自分であるなら、
挑戦したい

夏季と冬季を合わせて、パラリンピック7大会への出場を果たし、両大会で日本人初の金メダリストに輝いた土田選手。自国で開催されるパラリンピック東京2020について、今、どのような想いを抱いているのだろうか。

「ロンドン大会までは、パラリンピックが一つの目標であって、そこに向けて活動していくことが活力源でした。でも、それ以降は、正直、4年スパンの目標設定がなかなか難しくて。2020年に選手である自分の姿を想像すると、やっぱりすごくワクワクしますし、そこに向けて頑張りたいという気持ちはもちろんあります。ただ、挑むべきかどうかの見極めは、すごく重要だから、自分と向き合うことから逃げずにシビアにいきたい。その上で、世界と戦えるレベルにいるなら、挑戦したいと思っています。その時々で、挑戦って変わってくると思うんですよね。答えはひとつじゃないというところで、自分の幅を広げるためにも、トライアスロンに挑戦していますが、この先どうしていくかということは、現時点では、はっきりとは言えません。目の前のことをひとつずつしっかりこなしながら、ひとつずつ答えを出していきたいと思います」

2018年1月、
トライアスロンへの転向を発表。
目指す先は、東京2020のメダル獲得

それからまもなくして、衝撃のニュースが飛び込んできた。今年1月16日、日本トライアスロン連合により、土田選手のパラトライアスロンへの転向が発表されたのだ。18日に日本財団パラリンピックサポートセンターで開かれた記者会見では、「やり残したことがないと言えば嘘になるけれど、未知の競技であるトライアスロンに転向する決意をしました。2020年東京パラリンピックでのメダル獲得が最大の目標。一戦一戦チャレンジしていきたいです」と強い意気込みを見せた。

リオ大会からパラリンピックの正式競技となったパラトライアスロンだが、東京大会については、男女とも4種目、出場選手数は、男女各40人と公表されているのみで、実施種目(クラス)は、未だ明らかにされていない。その詳細は、今年12月末までに、国際パラリンピック委員会(IPC)から発表される予定だ。もし、自分のクラスが実施されなかったとしても、車いすマラソンへの復帰はなく、トライアスリートとしての高みを目指し、挑戦していくことを土田選手は明言している。

「私は、スタートラインに立った瞬間に並んだ選手は皆、ライバルだと思っています。どんなに良いコンディションでそこに立てたとしても、パフォーマンス力を発揮できなければ勝利はないし、自分の力を過信してもいけないということは、これまでたくさん失敗してきたので、痛いほどよく分かっています。競技力に関わらず、そこに立った全員にチャンスはあるはずです」

取材の最後に放ってくれた言葉に、土田選手のアスリート魂を垣間見た。このスピリットは、20年以上、自分の全てを賭けて挑んできた陸上界から、トライアスロンへと、勝負の舞台は変わっても、変わることなく彼女の中に宿り続けることだろう。2月17日にオーストラリアで開催されるパラトライアスロンW杯から、5月の横浜大会を含めて、米国、スペイン、フランスなどの世界を転戦する。車いすの女王・土田和歌子が、再び頂点に立つ日はもうすぐかもしれない。

前編はこちら

土田和歌子(Wakako Tsuchida)
1974年10月15日、東京都生まれ。高校2年の時に友人とドライブ中の交通事故で車いす生活に。93年からアイススレッジスピードレースを始め、98年長野大会1000m、1500mで金メダル、100m、500mで銀メダルを獲得。96年から陸上競技に転向し、04年アテネの5000mで金メダル、車いすマラソンではシドニーで銅メダル、アテネで銀メダルを獲得。パラリンピックには夏冬通算7大会に出場し、計7個のメダルを勝ち取ると共に、日本人初のパラリンピック夏冬両大会金メダリストになった。17年4月にフィリピンで開催されたASTCパラトライアスロンアジア選手権に初参戦して優勝し、5月の2017世界パラトライアスロンシリーズ横浜大会(女子PTHC)の出場権を得て優勝。04年10月より八千代工業株式会社に所属。18年1月16日、パラトライアスロンへの転向を発表した。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 壬生マリコ  写真提供:八千代工業)

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