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パラアスリートの感覚を体験できる卓球台「PARA PINGPONG TABLE」に、あの芸人が挑戦!

川瀬拓郎

本メディアでは、今年3月に「パラ卓球を盛り上げて、世界へ!立石兄弟が挑む東京2020への道」と題した記事でパラ卓球を取り上げた。その際、紹介した PARA PINGPONG TABLE が、CHIMERA GAMES の HERO X ZONE に登場。松岡修造氏のモノマネでおなじみ、そしてパラ卓球アンバサダーとしても活動中の芸人こにわ氏と、この斬新な卓球台をプロデュースし、パラ卓球協会の広報を担当する立石 イオタ 良二氏に話を伺った。なお、立石兄弟については前述の記事をご参照いただきたい。

初のパラリンピック、
初の金メダルも1964年の東京だった!

―パラ卓球が始まったのはいつ頃なのでしょうか?

イオタ「戦争で負傷した兵士のリハビリの一環として、卓球は古くから障がい者の間で親しまれてきました。はっきりといつから始まったと明言することはできませんが、現在のパラ卓球の形になったのは、1964年の東京パラリンピックでした。障がい者スポーツの国際大会が、パラリンピックという名称で呼ばれるようになったのも、まさにこの時だったのです」

こにわ「パラリンピックで日本初のメダルは、当時の卓球がもたらしたものだったんですよね。そしていよいよ来年は東京2020ですから、これは運命的なものを感じますし、すごい巡り合わせですよね」

―こにわさんがパラ卓球のアンバサダーになった経緯とは?

こにわ「僕は元々、バスケットボールをやっていて、田臥勇太選手と同世代で、漫画の『スラムダンク』にも影響されました。約10年前から松岡さんのモノマネをして、テレビに出るようになったのですね。だから、松岡さんが出演しているテレビ番組を全部観るようにしていたのです。そうなると、テニスはもちろん、世界水泳、全英オープンゴルフ、オリンピックのキャスターもやっていたので、ほとんどのスポーツ種目を観ていたんですね。そうして、ほとんどの種目を網羅できるくらいスポーツに詳しくなっていったんです。当然、その中には卓球も含まれていて、伊藤美誠選手とも連絡を取り合うようになりました。そうこうしているうちに、共通の知り合いに “そんなにスポーツに詳しいなら、パラ卓球をやっているイオタ君に一度会ってみないか?” と言われて、お会いしたことがきっかけです」

イオタ「人もいない、お金もない、(競技に必要な)物もない。そうした状況で、こにわさんと出会ったのです。そのときは、具体的に何をしようということまで決められなかったのですが、その後、こにわさんがイベントで募金活動を始めてくれたんです」

こにわ「“みんなの一円がメダルへの一球に” というキャッチフレーズで、表彰台型の募金箱を後輩に作ってもらって、募金活動を行いました。当時、『灼熱の卓球娘』というアニメの仕事をしていたタイミングもあって、配給元のエイベックスさんにも協力していただきました。金額はそれほどではなかったのですが、イオタさんを通じて畠山さん(パラ卓球協会会長)に直接お渡しすることができたのです」

ポジティブアプローチで生まれた
全く新しい卓球台

―こちらの PARA PINGPONG TABLE ですが、卓球台の左右の長さが違いますね。

イオタ「この卓球台が画期的なのは、パラ卓球選手がいなくても、彼らと同じ感覚を体験することができ、彼らの視覚を可視化した形状になっていることです。どうしてもパラスポーツへの関心は、家族や友達に障がい者がいるなど “関わる理由がある人” に限られてしまう。メディアの方がこうして取材に来て、パラ卓球を体験しても、それは “車いすに乗るという非現実” でしかありません。この卓球台で目指したのは、ネガティブなアプローチではなくポジティブなアプローチでした。重りをつけたり、動きを制限したり、ネガティブな要素で障がいを意識させるのではなく、健常者も自然に入り込んでプレーを楽しんでもらえるのです」

こにわ「実際にやってみるのが一番早いですね。実際にこうして(長い方の)卓球台を前にして立ってみると、ネットが遠く感じます。ネット際にボールを落とされたら、身体を伸ばしても、全然届かない!(笑)」

驚異的なプレーを見せた
エジプトのパラ卓球選手

イオタ「これだけ幅広い障がいをフォローできる競技は他にありません。例えば、片腕を欠損している方は、車いす競技はできませんよね。でも、卓球なら立位でも細かくクラス分けされているので、どんな障がいがある人でもプレーできる競技なのです」

こにわ「前回のパラリンピックで衝撃を受けたのは、エジプトのイブラヒーム・ハマドトゥ選手でしたね。彼は両腕がないのですが、ラケットを口に咥えてプレーするのです。サーブするときは、シューズを履いていない右足でトスをするのです」

イオタ「パワーとスピードはもちろん、卓球で大切なのはボールを回転させる技術が欠かせません。普通は手首でひねりを加えて回転させるのですが、この選手の場合は首のひねりで回転をかけるのです。普通の人がやったらムチ打ちになってしまいそうですが、常識では考えられないようなプレーをしているのです。その姿を見たとき、自然に涙が溢れてきてしまった。決して憐れんだ訳でもありません」

―イオタさんはプロの道を諦め、パラアスリートの兄をサポートしながら、日本代表のコーチとしてリオに飛んだわけですね。


イオタ「プロを諦めて家業を継ぐことを決めたときは、ショックのあまり2ヶ月くらい部屋に引きこもっていました。友だちの選手が活躍している姿を見ることすら苦痛でした。そうして悶々とした日々を送っていたのですが、やはりその時も自分を支えてくれたのは卓球でした。その後、兄のコーチをしながら、仕事で稼いだお金で、兄の海外遠征をバックアップしてきたのです。他の兄弟の学費も捻出しなければならず、貯金はいつもゼロでした。ある時、ITビジネスで成功して、億単位で稼いでいる友だちの高級車の助手席に乗せてもらったときは、本当に劣等感を感じましたし、惨めな気分になりました。でも、イブラヒーム選手のプレーを見て、もうそんなことはどうでも良くなったんです。劣等感なんかどこかへ吹き飛んでしまった。五体満足な身体がある自分なら、何だってできるはずだと。それからというものの、兄と一緒にこうして卓球と関わることができるのは、最高のことだと思えるようになったんですね。広報としての活動を通じて、この体験を多くの人に知ってもらいたい。多くのクリエイターに賛同してもらい、協力して実現した PARA PINGPONG TABLE は、そうした想いから生まれたものでもあるのです」

こにわ「僕がスポーツに詳しくなったきっかけは松岡さんの影響もありますが、小さい頃に親父と一緒に野球のテレビ中継を観ていたことが大きいかも知れません。というのも、当時の人気だった江川さんと掛布さんの解説を聞いていると、ピッチャーの配球術が次第に理解できるようになってきたからです。そこには、駆け引きがあり戦略がある。これはどんなスポーツでも一緒なのですが、フィジカルと技術に加えて、戦略がなければ勝てない。これはパラ卓球でも同じもことが言えるのです。例えば、車いすの茶田選手の場合、ラケットが届かないネット際に打たせないためのサーブを打ち、ラリーをしなくてはいけない。相手が返してくるコースを先読みしてプレーを組み立てるのです。この PARA PINGPONG TABLE を体験してみれば、茶田選手の驚くべき戦略が理解できる。だからこそ、この卓球台が特別なのです」

東京2020の全選手が
スーパースターになれると信じて

イオタ「どんなスポーツでも解説ができるくらい詳しいこにわさんに、そう言っていただけるのは本当にありがたいですね。パラ卓球の代表選手になるためには、日本大会はもちろん海外大会で勝利してポイントを貯めなければなりません。その渡航費も滞在費も全て自費です。だからスポンサーを見つけないといけないし、国からサポートを受けている海外選手に比べたら、かなりハードルが高いことは事実です。じゃあどうするのか?と、想像力を働かせながら色んなコミュニケーションを取ることが僕の仕事ですし、そのひとつの成果が PARA PINGPONG TABLE なのです」

こにわ「パラスポーツはもちろんですが、僕は日本のアスリートを全員スーパースターにするという気持ちを持って応援しています。NBA のレブロン・ジェームスや NFL のペイトン・マニングのようなスーパースターに、日本人は到底敵わない、スーパースターになんかなれないと諦めてしまったら、もうその先がない。でも、当の選手たちは超ポジティブなんですよ。だから応援する僕らが、その気にならなければ絶対に無理。日本のアスリートにはその可能性があるし、あらゆる想像力を駆使して全力でパラ卓球を盛り上げていきます」

HERO X ZONE を訪れた来場者の多くが、PARA PINGPONG TABLE を体験。最初はただの卓球台だと思ってプレーを始めたら、何かが違う…。「障がい者の方にとって卓球台が、こんなに広く感じられるとは驚きました」とコメント。

立石イオタ良二(たていし・いおた・りょうじ)
1985年、福岡県生まれ。創業大正10年となる博多・立石ガクブチ店の四代目。一般社団法人日本肢体不自由者卓球協会 渉外広報担当。大学時代、全日本学生選手権大会団体銅メダル、ダブルス7位。全日本卓球選手権7位。現在は、コーチとして兄を支える。

こにわ
1982年、東京都生まれ。サンミュージック所属のお笑い芸人。松岡修造、石橋貴明、中山雅史、松木安太郎など、多くのモノマネのレパートリーをもち、数多くのテレビ番組に出演。スポーツ全般に精通し、2017年からパラ卓球のアンバサダーを務めている。

(text: 川瀬拓郎)

(photo: 増元幸司)

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車いすで陸上トラックを駆け抜けろ!【X-CHALLENGE】

岸 由利子 | Yuriko Kishi

プロアスリート×芸人がお届けする『X-CHALLENGE』とは!?「X-CHALLENGE」は、パラアスリートのエクストリーム・スポーツの凄さを、お笑いコンビ「シンプル」の大蜘蛛さんが体を張ってお届けする連載企画。マシンの乗り方や操作方法など、プロのアスリートに直接手ほどきを受け、その場で実践するというエキサイティングかつ危険をはらんだ内容です。

今回は、パラスポーツの花形競技『車いす陸上』 金・銀メダリストの伊藤智也選手に、教えを乞う!

今回、大蜘蛛さんがチャレンジするのは、「車いす陸上」。読んで字のごとく、競技用の車いすに乗って行う陸上競技です。指南してくださるのは、北京パラリンピックで金メダル、ロンドンパラリンピックで銀メダルを獲得し、800m T52では、世界記録を樹立するなど、日本の車いす陸上界を牽引してきたトップアスリートの伊藤智也選手。ロンドンパラリンピックを終えた後、引退するも、東京2020で復帰することを決意し、この夏、メディア初披露となる“生涯現役宣言”をHERO Xで語ってくださいました。

俄然ヤル気の大蜘蛛さんを伊藤選手が一蹴!「車いす陸上をナメてちゃいけないよ」

「今回は、(伊藤選手が走る)映像を見て、予習してきました。全力で走って、マジで伊藤さんに勝ちますから!」といつにも増して、やる気マンマンの大蜘蛛さん。一方の伊藤選手は、「じゃあ、こっちも5%くらい本気出すよ」と余裕しゃくしゃくの様子。

「いやいや、僕、何歳か知ってます?32歳ですよ。今年54歳の伊藤さんには絶対負けませんから」、「ハハハ。大蜘蛛くん、ナメてちゃいけないよ」、「今日は、勝たせていただきますから」、「言っておくけど、この競技で君の自慢の太ももは、何の役にも立たないからね」…と初っぱなから、芸人コンビのような掛け合いのオンパレード。実はこのお二人、縁あって、東京で食事を共にしたことがあるのだそう。それはもう楽しい時間を共有したそうですが、さて今回はどうなるか!?

レース用車いすは、「前傾姿勢で蒸気機関車のようにこぐ」がポイント

「この競技って、主にどこの筋肉を使うんですか?」。出合い頭から戦闘態勢の大蜘蛛さんでしたが、習う姿勢はなんとも謙虚。「そうだね、腕の筋肉が6割、胸筋と僧帽筋が4割って感じかな」と伊藤選手も優しく回答。

車いす陸上のアスリートの場合、足を折りたたんだ正座の状態でシートに乗って走ります。しかし、それを健常者がやると、足がしびれて、30分も経つと感覚がなくなってしまうのだそう。今回は、大蜘蛛さんのために、従来の車いすのように、足を降ろした状態で乗れるマシンを特別にご用意いただきました。

とはいえ、背もたれのない特殊な形状のマシンです。伊藤選手によると、ハンドリム(ホイールの内側にある小型の輪)に両手を置き、前傾の姿勢を保つことが基本。ただ、その姿勢を保つこと自体、かなり難易度が高いようです。

「今、後ろに倒れないように前に体重かけてるんですけど、ちょっと後ろに(体重を)かけると、すぐに体をもっていかれる感じですね。すぐにバランスが崩れます。これヤバイですよ」

伊藤選手のサポートを受けながら、わざと体を後ろに反らせて、転ぶ練習を行った後、マシンのこぎ方の伝授へ。「出来るかぎり、前かがみの姿勢で、蒸気機関車みたいに、ハンドリムをこいでいくというイメージです。親指は進行方向に向けて、肘は張ることを意識して。さあやってみよう!」

伊藤さんご愛用の樹脂製グローブ。触った感触は、ギブスのような感じです。

プロアスリートも“握力”ではこがない!?

一見すると、握力でこいでいるように見えますが、「握力は必要ないんですよ。握力でこぐと、選手でも100メートルくらいで(力が)切れてしまいます。大蜘蛛くんの場合、こぐような筋肉になっていないので、おそらく50メートル辺りで切れるはず。それくらい過酷なんですね。だから今日は、これを使ってください」と大蜘蛛さんに手渡されたのは、プロのアスリートも使用するという特殊なグローブ。これがあれば、握力を使うことなく、ギュッと握った状態を保ってこぎ続けることができるそうです。

一方の伊藤選手は、2パーツに分かれた樹脂製のグローブを着用。親指、人差し指、中指と、薬指、小指をそれぞれの穴に入れ、固定した状態でこぎます。ちなみに、プロの世界では、今回、大蜘蛛さんが使ったグローブと、伊藤選手ご愛用の樹脂製グローブの使用率は、半々ぐらいなのだそう。

ブルー部分が、トラックレバー。その右側にあるのがブレーキ。トラックレバーの中央にあるのが、スピードメーター。

「大蜘蛛くん、センスありすぎて、面白くないですね…」

「レース用の車いすは、普通の車いすとは設計が全く違います。進む力は非常に強いですが、曲がる力と止まる力がほとんどないので、そういった時に必要なテクニックを今から少しずつ教えます」

トラックは、基本的に左曲がり。左にカーブを切る時は、“トラックレバー”と呼ばれるハンドルの左側を左手で叩くようにグッと押す。すると、ハンドルが少し曲がるので、そのままマシンごとに左に曲がっていく。コースがまた直線になったら、今度は、トラックレバーの右側をグッと押して元に戻すー驚くことに、この一連の動作をあっという間に習得した大蜘蛛さん。

「できてる!勝てる!僕、もう分かりましたわ。めっちゃオモロイ!」。興奮した様子で、車いすをスイスイ操り始めた大蜘蛛さんを傍目に、伊藤選手がスタッフ陣の元へ寄って来ました。

「冗談抜きで、彼、びっくりするくらいセンス良いんですけど。僕が今まで教えた中で一番センスがある。センスありすぎて、面白くないですね…」

上達が早いのは良いことですが、あまり上手くなりすぎてしまうと、この企画を実施する意味がなくなってしまいます。だって、あくまで、素人が経験することで、エクストリーム・スポーツの凄さ、難しさを伝えることが主旨なのですから。ああ、どうしよう、企画の方向性が変わってきそうです。

100mにチャレンジ!40秒を切れたら、伊藤選手からご褒美がもらえる!?

伊藤選手とスタッフ一同で話し合った結果、もし100mを40秒切ることができたら、なんと伊藤選手から直々、車いすマラソンを伝授してもらえることに。

なぜ、車いすマラソンなのかというと、今年10月に開催予定の車いすマラソン大会(ハーフマラソン)に、伊藤選手が6年ぶりに参加するからです。この大会では、健常者のレースもあるので、「トレーニングして、それに出ちゃえばいいじゃない?僕が教えますよ。タフなレースだけど、すごく楽しい人生経験になると思います」という伊藤選手の提案から決まったアイデアです。

約1時間半の練習を終えて、いざ100m。「20秒切ってやりますよ、僕は!」。スタートラインに立った大蜘蛛さんの顔は、真剣そのもの。走る姿を眺めながら、「残念ながら、すごく上手い…」と伊藤選手。

「初めて(レース用車いすに)乗って、100mなんて走れないのに。走ってるだけで、脅威だから。40秒切れたら、スゴイよね」―さて、気になるタイムは…なんと34秒!

「僕、もしかして天才ですか?」、「いやいや、秀才止まりだけど、極めてスゴいですね」。思わぬところで才能を開花させた大蜘蛛さんに、全く笑えないスタッフ一同、更なるたくらみを企てるのでした。

今度は、400mにチャレンジ!3分切れなければ、芸人失格!?

次なるチャレンジは、レース距離を400mに伸ばし、タイムは3分以内。「400mだと、僕らで大体1分が目安。もし仮に2分で走れたとしたら、その時点で、全日本(選手権)の予選には出られますよ」と伊藤選手。

今回もし、3分を切ることができたら、大蜘蛛さんには、ハーフマラソンのコーチングに加えて、伊藤選手率いる“チーム伊藤”への入団許可が認められます。さらに、ハーフマラソン大会に出場した暁には、HERO Xが特集を組んで追いかけるという特典付き。逆に、切れなければ、次回からのX CHALLENGEは、別の芸人さんに変更することが決定。「ヤバイ!そっちの方がキツい!」。無茶ぶりなルールにもかかわらず、素直に受け止めてくれる大蜘蛛さん、さすがは芸人。途中で転んでくれたら、面白い展開になるのになぁ…邪な気持ちと共に、健闘を祈ります!

そして、いざスタート!直線コースの100mと違って、400mは随所にカーブがあり、トラックレバーの操作が求められます。このチャレンジでは、伊藤選手が大蜘蛛さんの横に付いて走りながら、スピードを計測して伝えてくれることに。

前半、ただひたすら目の前のコースを順調に走り続けた大蜘蛛さん。「ファイト!ファイト!」、「回せ、回せ!」。伊藤選手が掛け声をかけるも、「アカン、もう腕パンパンや!」と息も荒くなり、転がるようにゴールへ。ホッとした瞬間、バランスを崩してみごとに転倒。

「尻の付け根がめっちゃ痛いんですよ。足も、ちょっとしびれてます。腕も重いです」―全力を振りしぼり、走り切ったにもかかわらず、「ダメでした…」とタイムを測定していたHERO X編集長より、早速悪い知らせが。

「芸人として正しいのか分からないんですけど、タイムは2分36秒!」ダメとは、芸人としてダメ(面白くない)という意味でした。かくして、チーム伊藤への入団決定。「伊藤さんの元で学ぶというのは、不本意ですけど(笑)、師匠として、ビシバシご指導ください!」

車いす陸上の醍醐味は?と聞くと、伊藤選手はこんな風に答えてくれました。「やっぱりスピード感でしょうね。非常に速いスピードで走るので、車好きな人は好きだと思います。800m以上になると、スタートから自分が何番手に入って、あの選手から逃げ切れるだろうか、でも、多分後ろから刺してくるだろうなというように、競馬のような駆け引きがあるので、また違った面白さがあります」

X CHALLENGE、いかがでしたか?次回も、エクストリーム・スポーツの凄さを体当たりでお届けします。どうぞお楽しみに!

伊藤智也(Tomoya ITO)
1963年、三重県鈴鹿市生まれ。若干19歳で、人材派遣会社を設立。従業員200名を抱える経営者として活躍していたが、1998年に多発性硬化症を発症。翌年より、車いす陸上競技をはじめ、2005年プロの車いすランナーに転向。北京パラリンピックで金メダル、ロンドンパラリンピックで銀メダルを獲得し、車いす陸上選手として、不動の地位を確立。ロンドンパラリンピックで引退を表明するも、2017年8月、スポーツメディア「HERO X」上で、東京2020で復帰することを初めて発表した。

シンプル 大蜘蛛英紀
サンミュージックプロダクション所属。キングオブコント2012 / 2016にて準決勝進出の実力 を持つお笑いコンビ「シンプル」のボケ担当。
http://www.sunmusic.org/profile/simple.html

(photo・movie: 大濱 健太郎 / 井上 塁)

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

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