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“琉球アスティーダ”が牽引する 社会課題解決型 スポーツビジネスとは?

長谷川茂雄

2021年3月30日、卓球Tリーグ男子のクラブチーム、琉球アスティーダを運営する琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社が、東京証券取引所のTOKYO PRO Marketへ上場を果たした。国内のプロスポーツチームの上場は、歴史上初めてのこと。これまで日本のスポーツクラブチームの運営といえば、どうしても企業PRやCSR活動の一環という印象が強かった。そこに一石を投じるかのように、同社は、利益循環型の健全なチーム運営の仕組みを創り出した。その根底には、社会課題を解決するという“強い志”がある。この画期的なクラブチームとスポーツビジネスの現状について、代表の早川周作氏にお話を伺った。

旧態依然としたスポーツ業界に
お金の循環を生み出す

「世界で戦える“プロ卓球チーム”を沖縄から生み出す」、「人口2万人の中頭郡中城村から上場企業を作る」。そんな壮大なスローガンを、設立からわずか3年で実現させた琉球アスティーダ。その裏側には、それまでスポーツビジネスには、一切関わってこなかったという早川氏の斬新な視点と行動力があった。

「クラブチームの運営を引き受けてから、世の中に夢と感動を与えるはずのスポーツビジネス業界には、お金の循環がないことを知りました。それを変えたくて奔走してきたのですが、大きな3つの課題があることに気がついたんです。1. ガバナンスが効いていない。 2. ディスクロージャー(情報開示)がされていない。 3. 上場している会社が1社もない。まずはそれらを解決すべく、動く覚悟を決めました」

大学在学中から、起業家として活躍してきた早川氏。

確かに、とりわけ日本では、スポーツクラブチームの運営が難しい印象がある。マイナースポーツともなれば、所属選手がアルバイトなどをして、生計を立てているケースも少なくない。それは、早川氏が指摘するように、スポーツ業界の仕組みにお金の循環が確立されていないから、というのは頷ける。とはいえ、長きにわたり根付いている“慣習”を変革することは、容易ではなかったはずだ。

「もちろん、業界に古くから横たわっている従来型のやり方に対して私が異論を唱えても、そう簡単には変わりませんでした。“先輩後輩”などの経済原理が働いていない慣習が強く根付いている業界でもありますので、難しさは常にあります」

旧態依然とした枠組みの中で新しいことを始めると、異物扱いされるのはどの業界も同じだ。とはいえ、琉球アスティーダは、目に見えて斬新な取り組みを次々に仕掛けていった。スポーツバル(飲食店)、物販サイト、パーソナルジム、トライアスロンスクールの運営など……。スポーツを起点にしたユニークかつ新しいビジネスを少しずつ確立していったのだ。現在、スポンサー企業は約170社。2019年12月期で2億6000万円以上の売り上げを計上している。

琉球アスティーダのチームロゴ。チーム名は、アス(明日)と、ティーダ(沖縄の方言で太陽)を組み合わせた造語。

弱い地域、弱い者に光を当てて
社会課題の克服を目指す

「有志有途(ゆうしゆうと)というのが、私の座右の銘なのですが、志を胸に諦めずに立ち向かえば、道は必ず開ける。まさに、それが私の考えです。だからといって、お金を儲けて、結果さえ出せれば、人が付いてくるのかというと、それも違います。大切なのは、どんな社会を作っていきたいのか? それを実現するために、突きつけられた課題にどう取り組んでいくのか? それを皆で共有しながら進んでいく。私が大切にしてきたのは、そこに尽きます」

ビジネスとして利益を生む構造を作り出すことは重要ではあるけれど、決してそこが主たる目的ではない。社会課題を克服するために、どんなビジネスが必要で、そのために、まず取り組むべき課題は何なのか? そんなシンプルなロジックに対峙しながら夢を実現させることの大切さを、早川氏は一貫して説いてきた。社会課題に関しては、“弱い地域、弱い者に光を当てる社会の仕組みを作る”という強い理念がある。

「たとえば、私が移住した沖縄は、最低賃金の低さは全国でもトップクラス、加えて、収入の格差も非常に高い地域の一つです。観光を主軸にした産業構造は問題が山積みですし、シングルマザーの増加も深刻化しています。それらの課題を克服するのに、卓球というスポーツは非常に有効な手段となるのです。5歳で始めて、15歳でプロになれる。しかもお金があまりかからない。そんなスポーツを通して、私の縁のある場所に恩返しをしたいという思いもありました」

早川氏が、琉球アスティーダを通して実現しようとしている“太陽循環モデル”。

横行するスポーツビジネスのロジックは、
自分の理念とは真逆

卓球は、地方創生も含め、多くの社会課題を克服していくための起爆剤となる。早川氏は、“スポーツビジネスでどう成功するか?” ではなく、社会課題を解決するための手段として卓球をセレクトしたに過ぎない。そんな哲学、先述のシンプルなロジックが、他に類を見ないビジネス的な成功をもたらしているというのは、非常に興味深い。

「スポーツは人を惹きつける魅力があるから、それを利用して儲かるビジネスをしようというのは、私とはロジックが真逆です。そういった哲学では、スポーツ業界に飲み込まれてしまう。そうではなくて、あくまでどんな社会課題を克服していくのか? そういった目的意識を持った社会課題解決型の事業モデルでなければ、これからの時代を生き残っていくことは難しいと思います」

2020-2021 Tリーグ男子ファイナルで、念願の初優勝を果たした琉球アスティーダ。

スポーツとビジネス。非常に相性が良く、両者が生み出す世界は一見華やかでもある。とはいえ、早川氏が指摘するように、長い歴史の中で、スポーツの持つ本質的な意義や社会的な役割は、少しずつ見失われてきたのかもしれない。特に日本では、スポーツそのものを純粋に支援しようという企業や団体は、世界的に見ても圧倒的に少ない。

「スポーツとは、本来、芸術などと同様に人間にとってなくてはならないものの一つです。本来、とてもエモーショナルなものであり、だからこそ多くの人を惹きつける。その本質的な価値を置き去りにするべきではないのです。子供たちが真剣に取り組むのは、そのエモーショナルな部分があるからに違いありません。それを大切にするために、お金の循環する仕組みを作り、これからも社会自体を変えて行きたい。その思いは変わることはないですね」

TOKYO PRO Marketへ上場を果たし、自ら金を鳴らした早川氏。

スポーツの社会的な価値と本質。それを蔑ろにすることなく大切にするために、健全なビジネスとして成立したクラブチームを運営する。この早川氏のスタイルは、既存のスポーツビジネスやチーム運営にも、大いに役立つ可能性が高い。

「スポーツというエモーショナルなものの価値は、半永続的なものです。私たちは、卓球を通してそれを失わないための仕組み作りをしていますが、例えばこの取り組みは、既存のBリーグやJリーグといった、よりメジャーなスポーツでも横展開や流用ができるものだと思っています。私たちの方法論で、少しずつでもスポーツ界を変えていければ本望です」

早川周作(はやかわ・しゅうさく)
1976年、秋田県秋田市生まれ。大学受験直前に家業が倒産し、父親が蒸発。新聞配達や皿洗いのアルバイトなどで学費を貯め、明治大学法学部へ進学を果たす。大学在学中より、起業家として複数の会社の立ち上げに参画した後、民主党公認候補として衆議院議員総選挙に出馬。落選を経験し、その後、ベンチャー企業対象の「ベンチャーマッチング交流会」の主催などを経て、2008年、SHGホールディング株式会社を設立。東日本大震災後に生活拠点を沖縄に移し、2018年、琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社を設立。代表取締役に就任し、2021年、東京証券取引所のTOKYO PRO Marketへ上場を果たす。琉球大学客員教授、明治大学MBAビジネススクール講師ほか、多くの講演活動も行なっている。https://ryukyuasteeda.jp/

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(text: 長谷川茂雄)

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世界王者復活なるか!57歳で挑む パラ陸上伊藤智也が起こす旋風

宮本さおり

「最高のマシンが仕上がった。マシンに負けない走りを見せたい」まもなく開幕を迎える東京2020パラリンピック大会。車いす陸上T52に出場する伊藤智也選手(バイエル薬品)は新しいマシンを横にそう意気込む。ロンドンパラを最後に引退宣言をしていた伊藤選手が再びパラの舞台へ。目指すのはもちろん金メダルを首にかけることだ。すでに57歳を迎えた伊藤選手だが、メダル争いをするのは年齢もはるかに下の選手たちだ。「1年延びたおかげでベストな状況が作れた」“おっちゃん”の勝負が始まろうとしている。

誰なんだこの人は?からはじまった復帰への道

これまで、パラリンピックに3回の出場経験のある伊藤選手は、2008年の北京パラではT52クラス400mと800mで世界記録を樹立して金メダルを獲得。その後のロンドンパラでは惜しくも銀となり、このレースを最後に現役を引退した。眠っていた闘志を奮い起こさせたのが今回のパラリンピックで競技用車いすの開発を手掛けることになった株式会社RDS代表・杉原行里との出会いだった。

「伊藤選手ですよね。僕が最高のマシンを作るので、もう一度パラリンピックで走りませんか?」

海外で行われたロボット技術を競う大会に操縦士として出場していた伊藤選手に杉原が突然声をかけてきたという。全く知らない若者のこの言葉が現実のものとなるとは、この時の伊藤選手は考えてもいなかった。

「誰なんだこの人は? というのが第一印象でしたね(笑)」(伊藤選手)

しかし、話を聞くうちに、“これは面白い”と思い始めた。

「僕も工業系のエンジニア出身なので、杉原さんの考えるマシンの理論はだいたいわかりました。テストドライバーにということで、再び挑戦することを決めました」

引退から5年、伊藤選手は再びパラを目指すことを決めた。

計測がもたらした走りの進化

人間の体とレーサー(競技用車いす)が一体となってレースを走る車いす陸上は、どことなく、車のレースとも似ている。人間の体を作りこむだけでなく、マシンの性能もレースを左右するからだ。BMWやHONDAが陸上競技用車いすの開発を手掛けているのはそういう繋がりもあるのだろう。これまで、既製品のレーサーを使って競技に参加してきた伊藤選手だが、今回のパラに向けてRDSが提案したのは最先端の計測技術を用いて作るオーダーメイドの車いすだった。

計測のため、RDSのファクトリーを訪れた伊藤選手。鋭いまなざしでスタッフ陣と話し合いを進めていた。

モーションキャプチャなどを使い、徹底的に計測すると、これまでの伊藤選手のレーサーでは、彼の持ち味をすべて出し切れていないことが分かってきた。東京パラの選考まで残り2年でどこまで高性能なマシンが作れるか、はじき出されたデータを元に、車輪の角度や座面など、伊藤選手の体にピタリとフィットし、出した力を十分にスピードに結びつけることができるレーサーの開発がはじまった。

開発の中でも要となるのがシートポジションの設定だ。車いす陸上は腕を使って車いすの車輪を回して走るレース。座面と車輪の位置次第で漕ぎやすさが変わる。しかし、車いす製造の現場には、最適なシートポジションを導き出すための計測機はない。エンジニアや現場の医療従事者の経験がものをいう世界だが、それを可視化することは難しく、トライ&エラーがしにくい環境で、制作されている。
レーサーだけでなく、普通の車いすについても同じだ。レンタル品を使う場合は既製品ありきで考えられるし、購入する場合も車いすは高額のため、多少フィット感が薄くても、何度も買い替えることができないため、ある程度の我慢が必要という状況だった。

しかし、伊藤選手の最適なポジションを探るには、何度も試す必要がある。そこで考案されたのがシーティングデータを計測するシミュレーター『RDS SS01』だ。このシミュレーターの完成は伊藤選手のマシン開発に役立てられただけに終わらず、リハビリ界にも大きな影響を与えはじめている。

例えば、頸髄損傷のユーザーにマッチした車いすを調整する場合、本人と技術者の感覚を頼りに何度も微調整を繰り返し、理想的な状態に近づけていた。だが、それは時間も手間もかかる。また、人の感覚に頼るところが大きいため、本当にそれがユーザーにとっての最適なシートポジションなのかはわかりにくい部分もあった。だが、『RDS SS01』を使えば、最適なポジショニングかの判断を数値という形で可視化し、客観的に見ることができる。

実際、『RDS SS01』で計測してみると、伊藤選手の場合、最適なポジショニングで走行すれば、かなりのタイムが出ることが見えてきた。「これなら勝てる!」チーム伊藤の結成から1年以上が経ち、ようやく金メダルへの道が見えはじめた。車体はRDSが得意とするカーボン加工技術で仕上げることで、軽さと剛性の両立を果たした。実はこの技術、F1の「スクーデリア・アルファタウリ」のオフィシャルパートナーであり、モータースポーツを支えてきた同社が長年培ってきた技術を転用、今回のレーサー開発に生かしたのだ。また、今回の伊藤モデルでは「スクーデリア・アルファタウリ」とのコラボレーションも実現、カラーリングもF1チームのカラーと合わせることになった。

「速そうでしょ!」と話しレーサーに乗る伊藤選手。「スクーデリア・アルファタウリ」とのコラボカラーのレーサーが人目を惹く。

「ちょっと止めておくと“これ誰のだ?”と、人だかりができるんです。見るからに速そうでカッコいいですからね。こないだなんて、人だかりが消えるまで1時間くらい待ちました。こんな最高のマシンを作ってもらったので、マシンに負けない走りにしますよ」(伊藤選手)

だが、世界のトップを決めるのがパラリンピックの舞台だ。伊藤選手の最大のライバルは同じ日本から出場する佐藤友祈選手(モリサワ)だろう。佐藤選手は伊藤選手も出場していたロンドン2012パラリンピックを見て車いす陸上をはじめた選手。伊藤選手が引退後のリオ2016パラリンピックのT52クラス400mと1500mで銀メダルを獲得、2018年の国内大会ではこの二種目で世界新記録を達成し、2019年の国際大会でも800mと5000mで世界記録を更新した実力の持ち主だ。

今回のパラリンピックで金が期待される佐藤選手は31歳、金奪還を狙う伊藤選手は57歳。50代後半と言えば、一般の社会でも、退職を意識し始める年齢だが、伊藤選手にその意識はない。57歳の“おっちゃん”が30代とどう戦うのか。おっちゃんの身体をマシンの力でどこまで拡張できるのか、もちろん、日本勢のワンツーフィニッシュにも期待がかかる。

最終調整に入った伊藤選手はここへきて好タイムを出している。先日のテスト走行でも好調をアピール。大会直前のこの時期において、マシンと身体が十分に仕上がってきたと実感する。

テスト走行で好タイムをはじき出す伊藤選手。

ここへきて体の使い方と漕ぎ方の抜本的な見直しも行った。友人である武道家から体の使い方についてレクチャーを受け、すぐさま自身の体で試してみた。この友人が伝えたのは健常者に話す内容だったが、伊藤選手はこれを独自に解釈、自身の走りに取り入れると、1500mを漕いでも以前ほど息が上がらなくなったと話す。体の調整と共にレーサー本体の調整も完了、車輪の角度を少し変えると、風が強い日のテスト走行にも関わらず、好タイムが出たのだ。「この1年で最高の状態に仕上げることができました。もしかすると、1500mもいけるかもしれません」伊藤選手の目は勢いづく。

最高のゴールを見せる準備はできた

伊藤選手のレースが見られるのは車いす陸上T52クラス100mと400m、1500mの三種目。競技場の外を走る車いすマラソンに比べ、彼が出場するトラック競技は競技場の地面の質によってもタイムが変わると言われるが、伊藤選手はトラックの質によらずにタイムが出るように体を仕上げてきたと言う。

決まったレーンを走り続けることがルールの400mと違い、1500mでは選手間の心理戦も繰り広げられる。序盤から先行すると、一身に空気抵抗をうけて他選手の風よけに利用されてしまう。あえて中間グループあたりを陣取り、他選手を先行させ、どのタイミングで勝負に出るかを見計らう。選手同士の駆け引きも見所だ。生身の体で走るのとは異なり、レーサーを操るレースのため、一歩間違えば大事故につながる。実際、伊藤選手も初出場のアテネ2004パラリンピックでは、スタートダッシュで力みすぎ、コーナーで遠心力に負けて転倒、2か所の骨折を負ったことがある。各選手がどのようなレース展開を見せてくれるか、ここも車いす陸上の見どころだ。

「あとは自分がどれだけいいエンジンになれるかですわ。今回仕上がった新しいレーサーで走ったら、トップスピードが時速で1㎞上がった。最高の形で最後のバトンを受け取り、最高のゴールを見せる準備はできました。“伊藤のおっちゃんを走らせてよかった”と思ってもらえる走りを見せますよ」チームと中年の夢を乗せ、ゴールに向けての戦いが始まろうとしている。

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(text: 宮本さおり)

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