医療 MEDICAL

“脳卒中が治る”未来を描く、リハビリテーション神経科学の可能性【the innovator】前編

長谷川茂雄

慶應義塾大学理工学部でのBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)研究を経て、“リハビリテーション神経科学”という新たなサイエンスを打ち出した牛場潤一氏。「脳の機能は、一度でも深刻なダメージを受けると回復できない」という医学界では当たり前の概念を、自ら覆そうとしている同氏は、“医”と“工”の壁を取り払い、そこを行き来することで、「脳卒中による身体の麻痺が治る未来が見えてきた」と語る。それは異端が思い描いた幻想などではない。純粋な探究心と行動力、ユニークな発想が実を結び不可能を可能にしつつあるのだ。その現状を知るべく、まるでバーが併設したアート展示空間のような牛場氏の研究室を訪ねた。

小学生のときに抱いた
AIへの興味がすべての始まり

牛場氏の研究室には、バーカウンターが併設してある。ここは牛場ならぬ通称“ウシバー”。グラスを傾けながら学生とディスカッションすることもしばしば。とても理工学部の研究室には見えない。

脳科学が身近に感じられるようになった近年。BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)という言葉もよく耳にするようになった。脳にダメージを受けた人が、自らの脳波を信号に変えてデバイスを自由に動かす。ひと昔前ならSFで描かれたようなテクノロジーが、もはや当たり前になりつつある。

そんなBMI研究の第一人者である牛場潤一氏は、慶應義塾大学理工学部に籍を置きながら、脳の本質を理解すべく学生の頃から医局に頻繁に出入りし、医学の知識を深めるとともに独自の研究スタイルを確立させてきた。まさにの二刀流といえるのかもしれない。

「もとを辿れば、小学生の頃にAIの研究をしている理工学部の大学院生に、プログラムを教えてもらったことがきっかけでした。それから僕は人間の知能とはパソコン上に実装できるのか? そんなことを考えるようになったんですね。ちょっと早熟だったかもしれません(笑)。でもAIのしくみは、実際の人間の脳とは違う。そう思うようになってから、今度は、生理学とか医学の勉強をし始めたんです」

目指すべきは
行き来できる知識と技術の習得

研究室のいたるところに、牛場氏が書いたこの空間の目的やヴィジョン、哲学などが展示してある。インスタレーションのように、来訪者のために特別にディスプレーすることもあるという。

小学校のときには、もうすでにロールプレイングゲームを自分で作り、中学校、高校時代も、人間の知能はどうすればパソコンという魔法の箱に組み込むことができるのか? そんな近未来的な技術の探求に没頭したという。そこから人間の脳そのものに興味を持ったとき、祖父が脳卒中を発症。会話ができなくなり、人格も変わってしまった。

「やっぱり脳って、(人間の)すべてのコントローラーそのものなので、そこに病気があると、本人も周囲の人間もこんなに苦しむのだと実感しました。だから、脳の本質を理解することができたら、祖父のように脳の病気で苦しんでいる人たちに福音をもたらすような技術が作れるのではないか? そのために医学のことを一度しっかりやって、それを自分が好きで追い求めてきた理工学の分野に活かそうと。そういう道筋は、自分にしかできないのではないかと思うようになったんです」

祖父の脳卒中も転機となり、牛場氏は理工学と医学の世界を行き来できる、ハイブリッドな知識と技術を習得したいと考えるようになった。それが現在の研究スタイルの土台にもなっている。

「医学も深く知りたかったのですが、残念ながら医学部に入れるほど頭が良くなくて(笑)。結局、理工学部に入って、なるべく医学に近い研究室に潜り込もうと、いろいろ工夫したんですよ。医学部の授業も履修して単位振替をしたり、ツテを辿って医学部のリハビリ科出入りさせてもらえるようにしたり。医局に席をもらって、医局員の人たちと机を並べて研究ができるようにもしていただきました。それは今でも感謝しています」

かくして理工学部生でありながら医局に入り浸るようになった牛場氏。あいつは医者だっけ?と周囲から言われるぐらいに溶け込もうと努力し、そうこうしているうちに、ドクターから、入局した新人が受ける解剖学の試験を受けてみろと言われたという。

「これはチャンスだと思いました。それで猛勉強をして、その年に受験した人のなかでトップの成績を取ったんです。そしたら周囲からこいつは本気だ!と認められて、なんとか仲間に入れてもらえたんですよ。それからは、現役のドクターにいろんな楽屋話を聞いたり、疑問があれば質問したりしながら医学的知識と医療現場の認識を深めていきました。でもドクターが診療をしている平日の日中は、理工学部に戻って電気回路やプログラミングを学ぶというライフスタイルを続けて。そんな学生時代で得られたのは、医療に使える技術だけを追い求めても、患者さん一人一人のヒストリーや現場の様々な泥臭いことと向き合わなければ、フェイクでしかないということでした」

生物本来が持っている力で
脳の機能も回復するはずだ

研究室のソファ周辺には、牛のオブジェやチェアが。学術的な雰囲気と最新のテクノロジー、牛場氏の遊び心の詰まったユニークな空間だ。

自分がのめり込んできた理工学的な技術と、医局や現役ドクターから見聞きする医療のリアル。それを結びつけるのは、教科書や座学で得られる知識だけではないと痛感した。そしてを深く掘り下げて初めて見えてきたのは、リハビリテーション神経科学という新しいサイエンスの形だった。それが、牛場流BMI研究へと繋がっている。ハイブリッドな知識と技術を、セオリーだけで成り立たない医療現場に生かす。それは常識を打ち破る挑戦でもあった。

「自分は、そんな流れを経てBMIの研究をしてきたわけですが、注目したのは、脳のやわらかさ、つまり可塑性なんですね。ノーベル生理学・医学賞を受賞したラモン・イ・カハールが言うように、神経は一度切れたら再生しないと長らく信じられてきました。だから脳卒中の患者さんは麻痺が一生残るし、治療介入しても治らないとされていますが、脳の中には損傷をまぬがれた、健康な状態の神経がまだ残っています。自分はテクノロジーをうまく使って、そういった脳部位が本来持っている治る力を引き出そうと考えたんです。そういう設計のデバイスを作れば、患者さんの脳のなかに残された書き換わる力が働くはずだと」

まさに医学と理工学、そのどちらか一方を追求しただけでは得られない牛場氏ならではの視点。それは、あたかも医工連携を一人で実践しているような印象さえ受ける。

手に持っているのが脳波を検出して脳内の運動情報を読み取るBMI。

「僕自身は、医工連携という言葉は、あまり好きではありません。脳や人間を治そうとしたときに、その性質や特性にフィットするテクノロジーをデザインすることで価値を生み出す。それは当たり前のことだと思うんです。医の側はこれをやって、工の側はこっちをやりますというような分業制ではなく、本来は一体的なものであるはずなんです。自分の専門がリハビリテーション神経科学という言い方をしているのには、それを標榜する意図もあるんですよ」

後編へつづく

牛場潤一(うしば・じゅんいち)
1978年、東京生まれ。慶應義塾大学理工学部生命情報学科准教授。2004年に博士(工学)を取得し、同年から慶應義塾大学理工学部生命情報学科に助手としてキャリアをスタートさせる。専門は、リハビリテーション神経科学。2008年よりBMI研究を開始し、理工学部からの新たな神経医療の創造を目指している。芸術や音楽への造詣も深く、学生時代はファンクバンドやジャズバンドでトランペットを担当していた。祖父は、慶應義塾大学医学部第8代医学部長の牛場大蔵氏、父は、應義塾大学名誉教授でフランス文学者の牛場暁夫氏。
http://www.brain.bio.keio.ac.jp/

(text: 長谷川茂雄)

(photo: 河村香奈子)

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人工関節から高齢化社会のQOLを考える。上智大学 久森紀之教授が挑む生体機能材料研究

浅羽 晃

高齢化社会が進むにつれて、ますます重視されているのがQOL(Quality of Life/生活の質)だ。単に長生きできればいいというものではなく、命あるかぎり、充実した日々を過ごしたいという思いは、すべての人に共通するだろう。ところが、年齢を重ねるとQOLを損なうさまざまな事象と向き合うことになる。骨や関節軟骨などの変性による、骨粗鬆症、変形性脊椎症、変形性関節症などの疾患はその典型だ。上智大学理工学部機能創造理工学科では、人工関節を中心とした生体機能材料の研究によって、骨や関節に悩みを抱える患者を救おうとしている。研究のリーダーである久森紀之教授にお話をうかがった。

人工関節の多くは輸入品だが、
そのことによる問題も生じる

人工関節には、膝関節、股関節、肩関節、肘関節などがあるが、久森教授が専門領域としているのは人工膝関節だ。変形性膝関節症や関節リウマチによって膝関節の損傷が進むと、人工膝関節置換術という手術が行われ、その件数は現在、年間8万件に達する。これほど広く用いられている人工膝関節だが、まだまだ改良の余地は多い。

「日本で使われている人工関節はほとんどがアメリカやヨーロッパから輸入したものです。もちろん、手術においては患者さんの形状にできるだけ合った人工関節を選ぶのですが、輸入品は欧米の人の体型や体格、生活様式に合わせてつくっています。すなわち、日本人の患者さんに、完全に合っているとは言えないわけです。輸入品に頼るのではなく、日本人の体型、体格、生活様式に合わせた人工関節を、出だしから考える必要があります」

新たな独自の人工関節を設計する際は、日本の実情に合わせて、耐久性の向上も考慮される。現在の人工関節の耐久性は10~15年とされているが、高齢化が進む日本においては現状の耐久性が二次的な問題を発生させる恐れがあるのだ。

「70歳で人工関節にすると、80~85歳のときに交換する必要があります。高齢での手術は患者さんにとって肉体面、精神面で大きな負担になりますから、予期せぬ疾病を誘発するリスクもあるでしょう。そこで私たちは現状の2倍、20~30年の耐久性を目指して、研究・開発を進めています」

日本人の体型、体格、生活様式に合い、耐久性も向上させた人工関節をつくるとなると、素材と形状の両面から改良を進める必要がある。

「現在、人工関節の土台となるパーツの素材はチタンが一般的です。体内に入れていても毒性のある成分が出ることはないうえに、軽くて丈夫なことから選ばれているのですが、体に本当に適しているのかというと、確証はありません。そもそも、人工関節に使われているチタンは医療用に開発されたものではなく、航空機の材料として用いられているものです」

現行のチタンが、人工関節の素材としてベストであるとはかぎらないのだ。しかし、久森教授は、現時点ではチタンから離れるつもりはない。チタンを主成分としたチタン合金で、最適な素材がないかと探っている。

「まったく違う素材で、より人工関節に適したものがあるかもしれません。しかし、その素材を発見し、さらには安全性を検証して認可を受けるとなると、長い時間がかかります。私たちの仕事は、研究成果を社会にフィードバックする使命もありますから、スピードは重視します。そうなると、より優れたチタン合金を開発するほうが現実的なのです」

高度な医療である機能創造の研究を
慶應大学医学部とジョイントで行う

膝の動きを忠実に再現できる装置を開発した。たとえば、この装置に膝関節の模型を取り付けると、前十字靭帯や後十字靭帯、外側側副靭帯や内側側副靭帯にどのような力がかかるか、正確に測ることができる。

チタンについては、その長所である高い強度が、人工関節においてはマイナス要素となっている面もある。

「骨に対してチタンが強すぎるのです。我々の骨というのは体に力が入ることによって、毎日、入れ替わり、骨に力をかけないと痩せてきてしまいます。体内にチタンを入れると、チタンが力をもってしまい、場合によっては骨が痩せてしまうことがあります」

形状の改良については、ここ10年ほどで急速に進化かつ一般化した3Dプリンタが大いに役立っている。

「従来の人工関節は、いくつかあるサイズのバリエーションのなかから、患者さんに合ったものをインプラントしてきたわけですが、3Dプリンタを使うことにより、オーダーメイドで人工関節を提供できるようになります。ジャストフィットサイズのものを提供でき、骨質も考慮できるという意味では、3Dプリンタは整形外科領域において、非常に有効な手段になっています。実際に私たちも、チタン合金の粉末を使って3D造形した人工関節のサンプルをつくっています」

上智大学理工学部機能創造理工学科は、人工関節をはじめとする機能創造の研究を慶應義塾大学医学部と共同で行っている。

「ドクターは医者の考えで患者さんに向かいます。我々は医療で必要な実験の手法や、解析の方法、シミュレーションといったものを工学部の知見をもって行います。両者がジョイントすることで、医学に貢献することができれば、すばらしいことです」

上智大学理工学部と慶應大学医学部のジョイントによる大きな成果のひとつが、膝の動きを模擬できる装置の開発だ。この装置を用いると、膝を伸ばしたり、曲げたり、ひねったりという生理的な動作を忠実に再現できて、そのときに、膝関節のどの部分にどれだけの力がかかっているかを計測することができる。

「たとえば、どのような方向に、どれくらいの力を入れたら靭帯が切れるのかということがわかります。それを医学的なデータとして活用すれば、もっといい手術の手法や再建が提案できたり、新しい素材を使った人工靭帯をつくったりすることも可能でしょう。

痛みを解消する新しい装具は
膝の根本的な治療を可能にする

慶應大学医学部、義肢装具メーカーと共同開発した装具は膝痛の根本的な治療も可能にして、歩く楽しさを取り戻す。

膝を傷めている患者の歩行をサポートする装具も、上智大学理工学部機能創造理工学科と慶應大学医学部とのジョイントで開発した医療器具のひとつだ。

「膝が悪くて歩けないというのは、多くの場合、骨と骨が擦れて痛いからなのです。従来は、サポーターなどで膝を固定し、骨と骨が擦れないようにするという対処法が一般的でした。しかし、これでは治療を先延ばししているだけであり、膝の周りの筋肉は衰えるだけです。私たちは、骨と骨が離れていれば痛くはないという点に着目して、新しい装具を開発しました」

具体的には、装具の膝の部分に設けたリンクによって、膝を伸ばした状態のときには大腿骨(太ももの骨)と脛骨(膝から下の脚の骨)が強制的に離れるような仕掛けをつくり、骨と骨の接触を防いでいる。

膝の部分にリンクを設けたことにより、膝を伸ばしたときに大腿骨と脛骨が強制的に離れるようになっている。

「理論的には、大腿骨と脛骨が離れれば痛まないのですが、膝の小さなリンクによって本当に体重を支えられるのか、大腿骨を実際に持ち上げることができるのかということを、各種の計測により数値で示し、効果をエビデンスとして証明しました。実際に、この装具を試用した方からは、まったく痛みを感じずに歩くことができると、好評をいただいています」

この装具は、慶應大学医学部ならびに沖縄の義肢装具メーカーと共同で開発した。

「一般的に、現代の研究は、一個人や研究室だけで成果を上げることは難しい。工学があり、医学があり、メーカーがあって、チームとしてまとまることが非常に大事なのです。プロフェッショナルな集団が集まることによって、研究の成果が世に出るスピードが早くなります。工学だけでバイオマテリアルの研究を進めることには限界があると思います」

久森教授が進めている研究のなかで、実用化すれば有意義なもののひとつに、人工骨の新素材がある。現在、人工骨の主原料は歯磨き粉にも用いられているアパタイトであり、久森教授もアパタイトを基本とした素材を想定している。

「アパタイトとコラーゲンをミックスした材料を体に入れれば、骨の生成が早くなるのではないか、サンゴのような生物由来のカルシウムも利用できるのではないかなど、仮説を立てて研究しています」

近年、サンゴの白化現象が、地球温暖化を原因とするシンボリックな出来事として報じられている。環境悪化を食い止めることがなにより大事なのだろうが、死滅したサンゴの有効利用を考えることも大切な視点だろう。そこには久森教授の研究に対する信条が表れているように思える。

久森紀之(Noriyuki Hisamori)
1971年、東京都生まれ。工学院大学工学研究科工学化学専攻博士修了。1999年より、上智大学理工学部機能創造理工学科にて、高度医療技術に用いる生体機能材料について、ならびに環境強度および破壊力学に基づく構造物の安全安心性について研究中。現在、理工学部教授。慶應義塾大学医学部スポーツ医学総合センター非常勤講師。ソフィアオリンピック・パラリンピックプロジェクト研究部会長。研究の先には患者さんがいるので、「誠実に、謙虚に」がモットー。

(text: 浅羽 晃)

(photo: 増元幸司)

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