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異次元レベルの解放感!?レジェンド大日方邦子が語る、チェアスキーの魅力と未来 前編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

3月18日に閉幕したピョンチャンパラリンピックで、最も注目を浴びた競技のひとつ、チェアスキー。W杯個人総合2連覇を達成した世界王者・森井大輝選手(=トヨタ自動車)は、狙いを定めた金メダルには、惜しくも届かなかったが、滑降で銀メダルを獲得し、4大会連続のメダル獲得を達成。鈴木猛史選手(=KYB)がスーパー大複合で4位に入賞するなど、次々と嬉しいニュースが飛び込んできた。なかでも、日本勢初の金メダルを含む5個のメダルを獲得し、出場全種目で表彰台に立った女子大生チェアスキーヤー・村岡桃佳選手(=早大)の活躍は、目覚ましい。1大会で金・銀・銅メダルを完全制覇したのは、実に、1998年長野大会の大日方(おびなた)邦子さん以来のこと。この大快挙によって、チェアスキーというスポーツが、今まで以上に多くの人に知られたことは間違いない。チェアスキーの魅力とは? 今後のスポーツの発展は、いかに? 冬季パラリンピックにおける日本人初の金メダリストであり、チェアスキー競技で、冬季大会日本選手最多記録の合計10個のメダルを獲得したチェアスキーの第一人者・大日方さんに話を伺った。

「誰よりも速く、上手くなって、世界一を目指したい」
チェアスキーヤーの想いは、ただ、それだけなんです

―数ある冬季パラスポーツの中でも、今、チェアスキーにとりわけ熱い注目が集まっています。ここに至るまでには、大日方さんのこれまでのご功績やご活動が大きく貢献しているように思います。

チェアスキーの魅力が大きく伝わるひとつのきっかけになったのが、98年の長野パラリンピックですね。その後、大輝森井大輝選手狩野亮くん鈴木猛史くんと、話題をさらう選手が、時代を紡ぐかのように次々と出てきました。彼ら3人も、夏目くん夏目堅司選手)も、今の日本代表の男子選手って、どこか華がありますよね(笑)。それぞれが持っているストーリーも面白くて、個性豊かです。1年の中でも、場合によっては、家族よりも一緒に過ごしている時間が長かったりもするので、選手同士、お互いのことは大体分かっていますし、ファミリー感は強いですね。

現役時代の大日方邦子さん。2009 IPC障害者アルペンスキー世界選手権大会のスーパー大回転とスーパーコンビで銅メダルを獲得した。©電通パブリックリレーションズ

―大日方さんが現役選手だった頃と今の環境は、違いますか?

今と同じように、その時々で支えてくださる方がいましたし、決して、ひとりで戦っていたわけではないのですが、ことチェアスキーやパラリンピックの話になると、こちらの意図していることがなかなか伝わらなくて、苦心しましたね。「私たちは、チェアスキーヤーとして、世界一を目指したい。誰よりも速く、誰よりも上手くなりたい。ただそれだけなんです」と伝えると、「そうは言っても、障がい者スポーツだから、勝たなくても良いのでは?」という答えが返ってくることが多くて。「いやいや、そうではないんです」と説明するのですが、これもまた伝わりづらくて。ほんの数年前までは、そんなやりとりをすることがよくありました。

例えば、皇居を1周、ランニングするのに、ゆっくりと走りたい人もいれば、42.195kmを2時間半で走るために、必死でトレーニングしている人もいて、スピードの加減は、目的によってもさまざまですよね。でも、ゆっくり走ることにこそ、意義があるとは、誰も言わないでしょう? 障がい者スポーツだから、勝たなくても良いというのは、それと同じこと。スポーツを楽しむシチュエーションにおいて、障がいの有無は関係ないんです。

チェアスキーをスポーツとして観て欲しい。スポーツ選手として妥協なくやっていきたい。そのことを伝えるために、これまで講演会など、さまざまな場所でお話させていただく機会がありました。分かりやすくするために、たとえ話を交えたり、あれこれと趣向を凝らしながらやっていくうちに、少しずつではあるけれど、私たちの想いが伝わって、広がって、今がある。そんな感じだと思います。

チェアスキーの面白さは、
用具×テクニックの融合が織り成す“奥深さ”

―大日方さんにとって、チェアスキーの面白さとは何ですか?

たくさんあるのですが、ひとつは、用具と自分のテクニックが融合することによって、出来なかったことが、どんどん出来るようになることですね。「ここをちょっと変えてみたら、こんな反応が出た」とか、用具にこだわればこだわるほど、色んなことが、どんどん出来るようになります。「こんなパーツを作ってみたら、こんなことも出来るかも」と、考えを巡らせるのは大変楽しく、そして奥深い。だからこそ、終わりがないんです。

例えば、カービングターン(※1)という技術がありますが、私たちの場合、スキー板を変えるだけでは、出来るようにはなりません。体や用具の動かし方を工夫したりするうちに、より深い可動付けが出来るようになりますが、それだけでは、滑るスピードに持っていかれてしまいます。そこで、そうならないためには、どうすれば良いのかを自分で考える。すると、鍛えるべき筋肉の部位が分かってくるというように、色んな要素が連鎖している中で、トライ&エラーを繰り返しながら、出来ることがだんだんと増えていく。それによって、スピードも、もちろん上がりますし、より優れた技術を得られるようになるというプロセス。それが、単純じゃないところがまた面白いんですね。

※1 カービングターン=厚さ数ミリのスキー板のエッジを使い、極限まで、雪との摩擦を減らしてターンする技術

―自らマシンや用具に手を携えて改良する選手たちのこだわりは凄まじく、圧倒されます。

自分でやらないと、自分のやりたいことが出来るようにならないんですね。何か良いパーツないかなと思って、現役時代は、DIYショップなど、さまざまな材料屋さんによく足を運んでいました。大輝(森井大輝選手)がチェアスキーを始めたばかりの10代の頃から、連れ立って行くこともしばしばでした。パーツや素材を買ってみて、これ、ちょっと重いなとか、自分の感覚で確かめたりするのを多分、大輝はちゃんと見ていたんですね。「このパーツだったら、バイク屋の方が良いですよ」と薦めてくれて、一緒に出掛けることもありました。彼は、どんどん追い越してくれる存在ですね。今は、用具をいじることも、用具に対する知識も、はるかに彼の方が先を行っていると思います。

心を解き放つ、異次元レベルの迫力とスピードも魅力的

―森井大輝選手は、まさに、スーパーマンと呼ぶにふさわしい選手ですよね。

そうですね(笑)。非常に繊細な感覚を持っていますし、それを表現する能力も極めて高いです。特に、用具開発を行う時は、自分の感覚を他者に分かるように伝える、かつ具体的に用具のどの部分をどうしたいのかというところまで、伝える能力が求められますが、彼はすでにその力を持ち備えています。加えて、優れているのは、“人を巻き込む力”。アスリートが、ひとりでできることは限られています。だからこそ、「この選手に金メダルを獲らせてあげたい」、「応援したい」、「一緒にやりたい」とサプライヤーさんをはじめ、周りの人々を奮起させて、動かすことは、アスリートとして非常に重要な能力です。

用具を開発するエンジニアなど、技術側の人たちに対して、「ちゃんと、理解していますよ」とサインを出すことも大事ですね。言葉にするなど、きちんと表現することで、「なるほど、この選手は、ちゃんと分かっているな。感覚が鋭いな」とエンジニアたちは、受け取ります。例えば、スキーのチューンナップのサービスマンが、無言のメッセージを発信している時って、あるんですよね。果たして、チューンナップが良かったのか、どうか。滑ってみて、どんな風に感じたのか。内心、選手からそれを聞きたいわけです。そこを察して、「今日は、ここがこんな風だった」と伝えると、「じゃあ、もっとこうしてみたらどう?」と、提案をもらうことが出来るようになるなど、良き変化が生まれてきます。

―狩野亮選手のインタビューで、「直滑降のテストをした時のスピードが、時速126km」と伺った時、あまりの速さに驚愕しました。

迫力とスピードも、チェアスキーの面白さのひとつですね。自分で滑っていて、「おー! 別世界に行ってる!」と、テンションがマックスになる時があります(笑)。多分、スピードが時速80kmを超えたあたりでしょうか。視野がグーッと狭くなっていきます。先は見えるんですけど、視野がどんどん狭くなっていって、周りの景色は流れていく感じです。やっぱり、異次元ですよね。日常とは全く違うところに、もうひとつステージがあって、そこにいる時が、一番、心が解放されるというか。あの解放感は、私にとって、すごく魅力的です。

後編へつづく

大日方邦子(Kuniko Obinata)
1972年東京都生まれ。3歳の時、交通事故により右足を切断、左足にも重度の障がいを負う。高校2年の時にチェアスキーと運命的に出会い、スキーヤーとして歩み始める。冬季パラリンピック日本人初の金メダルを獲得した1998年長野大会を含め、リレハンメルからバンクーバーまで、アルペンスキー競技で5大会連続出場。合計10個のメダル(金2個、銀3個、銅5個)を獲得し、冬季大会日本選手最多記録を更新。2010年9月、日本代表チームからの引退を表明。以後、電通パブリックリレーションズの社員として、公職活動に従事しつつ、スポーツを取り巻く社会環境の改善に取り組むほか、「誰もが安心して生きられる社会」を目指し、多様性を許容できる社会の普及に資する活動にも取り組んでいる。日本パラリンピック委員会運営委員、日本パラリンピアンズ協会副会長、スポーツ庁 オリンピック・パラリンピック教育に関する有識者会議委員、内閣府障害者政策委員会委員。女性のパラリンピアン、メダリストとしては夏冬通じて初となる選手団長に就任し、2018年ピョンチャン大会の日本選手団を率いる大役を務めた。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 河村香奈子 ※森井大輝選手:増元幸司 狩野亮選手:A.Carloni/SportXall)

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F1スポンサーの変遷にみる世の中の潮流

高橋二朗

「F1マシンは走る広告塔」だ。
数百億円の年間予算で運営されているF1参加チームは、スポンサー無しにはどうにもならないのである。しかしF1がスタートした1950年にはチームとスポンサーという関係はなかった。当時は、自動車メーカーの参戦が主で、繰り出すマシンには、社名かエンブレムが描かれていたのである。そして、マシンのカラーリングは、イタリアメーカーのマシンは赤、イギリスは濃い緑、フランスは青、ドイツは銀、というようにナショナルカラーで彩られていた。日本からF1の黎明期に参戦していたホンダは、白地に日の丸をデザインしたカラーリングだったのである。

やがて、自動車メーカーに代わってレースを専門とするチームが参入するとF1の世界にチームとスポンサーという関係が生まれ、マシンのカラーリングはナショナルカラーからスポンサーのカラーリングを纏うようになる。

タバコメーカーがこぞってスポンサーに

初めての例が1968年のこと。イギリスのチーム・ロータスがインペリアル・ブランズ社(イギリスのタバコ会社)のいちブランド「GOLD LEAF(ゴールドリーフ)」のパッケージと同じカラーリングを施したのである。ロータスは、それまでブリティッシュグリーンを基調にイエローラインがマシンにカラーリングされていた。それが一新されて赤・白・金のカラーリングにブランド名がボディにデザインされた。これは大きな出来事であり、以降、せきを切ったように多くのタバコメーカーがF1チームのスポンサーとして、ボディカラーリングとブランドロゴを露出し始めたのである。
スポンサー企業の目的は、自社と自社ブランドの広告宣伝である。喫煙とF1のイメージが融合してグローバルにPRできるというメリットと、巨額のF1チームの運営予算が捻出できるという互いの思惑が合致したのだ。タバコの市場は世界中にあり、F1チームをスポンサーすることによって、各国で開催されるF1グランプリで多くのモータースポーツファンがサーキットの現場で、さらに、テレビ放映によって約1億人の視聴者がそのロゴを目にすることになるのである。

フィリップ・モリス社のブランド「Marlboro(マルボロ)」は、フェラーリとマクラーレンの2チームのスポンサーをしていた。マクラーレンは、マルボロのパッケージデザインをそのまま踏襲し、色は赤と白。デザインは赤の矢羽とロゴを配していた。一方のフェラーリは、伝統のイタリアンレッドを頑なに守り、スポンサー名が分かるのはロゴだけ。また、禁煙の機運が高まり出して、開催国によってタバコの広告宣伝が規制されていた場合は、サブリミナル効果を狙ってロゴを連想させるデザインを施したのである。しかし、タバコの広告宣伝は、2006年をもって一切禁止されてしまい、ロゴは見ることができなくなった。だが、現在もフェラーリには、赤いボディに『MISSION WINNOW』というロゴデザインがされている。これはフィリップ・モリス社のプロジェクト名なのである。何を目指すプロジェクトかは定かではないが、依然として同社はフェラーリを支援している。他のタバコメーカーも同じようなプロジェクト名を掲げている例がある。

タバコの広告宣伝が禁止されるまでにどれだけ多くのタバコメーカーがF1のスポンサーになっただろうか。John Player Special(ジョン・プレイヤー・スペシャル)、GITANES(ジタン)、CAMEL(キャメル)、LUCKY STRIKE(ラッキー・ストライク)、WEST(ウエスト)、Rothmans(ロスマンズ)、GAULOISES(ゴロワーズ)などなど挙げればキリがない。日本からもCABIN(キャビン)、MILD SEVEN(マイルドセブン)がスポンサー参入していたこともある。これだけ多くのタバコメーカーがF1にスポンサードしていたのは、タバコのイメージ戦略とF1の存在がとてもマッチしていたからだ。

(画像元:https://www.facebook.com/CamelF1/posts/1577500425651457
黄色のボディーで人目を惹いたCAMELのマシン。このときのドライバーはアイルトン・セナ。

変わるスポンサー企業

依然として自動車メーカーがスポンサーであり、レーシングチームオーナーである形態も残っているのがフェラーリとルノー、そしてメルセデスである。
実は、ホンダもチームを有していたことがある。既存のメルセデスチームの前身として3年間ではあったが、「ホンダ」というチームが存在していた。これは、直前のオーナー、ブリティッシュ・アメリカン・タバコ社がエンジンを供給していたホンダにチームの株式を売却したことでそうなったのだ。そして、そのチームがやがてメルセデスとなった。現在ホンダは、メルセデスと覇権を争うレッドブルにエンジン供給をしている。かつては、BMWとジャガーもチームを抱えていた。自動車メーカーがチームを有するということは、強さと速さをアピールするイメージ戦略と技術開発の両面のメリットを考えてのことだ。しかし、勝てないことで逆の結果を生むこともある。

タバコ、自動車メーカーの他にF1のスポンサーに名乗りを上げたのがファッション、飲料、エンジンオイル、ホイール、銀行、IT、コンサルティング、電気機器メーカー。ちょっと変わったところでは浄水器メーカーもある。タイトルスポンサー、サブスポンサー以外の、小口のスポンサーや技術供与のテクニカルスポンサーに至っては、相当数の企業が参入している。蛇足だが、アメリカのモータースポーツには飲食店チェーン、洗濯洗剤、清涼飲料水、スーパーマーケット、家庭建材など生活に密接な企業のスポンサーが目立つ。そして、海外の場合、時折軍隊がスポンサーに付くことさえあるのである。これらはより多くの一般層への露出を考えてスポンサーしていることがうかがえる。

スポンサーはF1チームの株式を買い取って、F1チームのオーナーになることが多いが、その代表的なものがレッドブル社だ。1990年代の終盤に参入したスチュワートがジャガーへ、そして2005年にレッドブルへとオーナーが変わった。近年のF1ではメルセデスとレッドブル、自動車メーカーとエナジードリンクのチームが覇権を争っている。同じ場で戦っているのだが、チームオーナーでありスポンサーでもある企業の思惑が全く異なるという面白い現象がF1には存在しているのである。
レッドブルは、久々の日本人F1ドライバー・角田裕毅選手が所属するアルファタウリを傘下に収めているチームである。アルファタウリは2019年までチーム名がトロロッソ(イタリア語で赤い雄牛)、英語で表記したらRedBull だ。メインスポンサーがレッドブルかつ、アルファタウリはレッドブルのファッションブランドである。レッドブルは、モータースポーツの他のカテゴリーにも積極的にスポンサー活動を展開している。若い有望ドライバーの育成をも行なっており、角田選手もその一人だ。モータースポーツ以外にもあらゆるスポーツのアスリートをサポートしている。

筆者は、1980年代のトールマンチームが日本の電子機器メーカーのスポンサードを受けるために来日し、プレゼンテーションを行った際に通訳として同席した経験がある。トールマンは、未だに日本のレースファンのみならず世界中のファンから慕われ、人気がある故アイルトン・セナがF1デビューを果たしたチームだ。トールマンはその後、ベネトン、ルノー、ロータス、そして現在は再びルノーとして参戦している。当時のプレゼンテーションのポイントは、グローバルに企業展開を目指すためのコラボレーション、F1のハイエンドステイタスが企業イメージアップに貢献すること、企業のロゴが世界中に露出することだった。現在もチームがスポンサーに対してプレゼンテーションをする際の内容は大きく変化していないだろう。そしてプレゼンテーションやオファーを受けた企業は、メリットがあると判断すれば、巨額のスポンサーフィーを支払うわけである。

唐突ではあるが、相撲とF1はとても似ている。
相撲部屋とF1チーム、相撲巡業とグランプリ転戦。各巡業には勧進元がいてその巡業を司り、F1のグランプリは主催者が仕切る。相撲部屋とF1チームをそれぞれ束ねる相撲協会とF1グループ。各相撲部屋には後援会があり、F1チームにはスポンサーが存在している。力士個人にも贔屓の谷町さんが居て、F1ドライバーにも個人スポンサーが居る。相撲の後援会とF1のスポンサーの大きな違いは、F1のスポンサーはスポンサーをすることによって企業の存在を強くアピールしようとすることであり、その先の利益に繋げようとすることにある点だ。F1のスポンサーたちは、F1GPを通じてマネーゲーム、マネーレースに参戦していると言っても良いのである。

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(text: 高橋二朗)

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