コラボ COLLABORATION

選手と開発者をつなぐ“感覚の数値化”伊藤智也×RDS社【究極のレースマシン開発】Vol.2

岸 由利子 | Yuriko Kishi

北京パラリンピックで金メダル2個、ロンドンパラリンピックで銀メダル3個を獲得し、世界の頂点に立つも、引退を表明した車いす陸上スプリンター・伊藤智也選手。今夏、約5年の沈黙を破って、HERO X上で現役復帰を発表し、「57歳で迎える東京2020で金メダル獲得」を目指して、着々と準備を進めている。そんな伊藤選手と共に、RDS社は、エクストリーム・スポーツのマシン開発に精通したエンジニアや気鋭のプロダクト・デザイナーらと「チーム伊藤」を結成し、目下、通称“レーサー”と呼ばれる車いす陸上用マシンを開発中だ。世界に1台のレーサー・伊藤モデルの行方はいかに?今回は、RDS本社で開かれた2度目の研究開発ミーティングのもようをお伝えする。

東京2020に向けて極限まで進化する、
マシンと伊藤智也

本題に入る前に、前回までの内容を少しおさらいしておきたい。9月初旬に行われたキックオフ・ミーティングでは、伊藤選手を囲んで、開発の指揮を執る同社クリエイティブ・ディレクターで、HERO X編集長を務める杉原行里(すぎはら・あんり)をはじめとする「チーム伊藤」の主要メンバー5名が初顔合わせした。5時間以上に及ぶディスカッションでは、車いす陸上という競技そのものやマシンについての質疑応答などが行われたのち、「2018年夏、プロトタイプ完成」を一つの目標に決めた。が、ここで不思議に思う人もいるだろう。東京オリパラの開催は2020年夏なのに、なぜ2年も前にプロトタイプを作り上げるのか?

理由は、主に二つある。まず、乗り心地やポジションなど、選手側からの細かな要望を反映するべく、マシンには、極限のレベルまで改良・調整が加えられていくからだ。RDS社のエンジニアたちは、これまで手掛けてきたチェアスキーのマシン開発を通じて、この段階がいかに重要で、かつ膨大な時間を要するかを熟知している。

もう一つは、伊藤選手がマシンに体を慣らせるために、十分な時間が必要だからだ。とりわけ今回は、自分の体にぴったり合ったオーダーメード・マシンに乗るのは、20余年のアスリート人生の中で、伊藤選手にとって初めての経験であり、新たな挑戦でもある。パラリンピックが「身体と技術の融合」と言われるように、最高のパフォーマンス力を発揮し、勝利を掴み取るためには、自分の体の一部となって共に疾走するマシンと、寸分の狂いなく一体化するレベルに到達するまで、馴染ませていくことが不可欠なのだ。

トップアスリートとの共同開発は、
『感覚の数値化』から始まる

秋晴れの空が美しい10月の朝、チーム伊藤のメンバーがRDS本社に集まり、第2回目となる研究開発ミーティングが行われた。今回、メインとなる課題は「計測」。まず、マシンの“動き”や“しなり”を計測すること。伊藤選手が長年使用してきた長距離用のマシンを3Dスキャナーでスキャンし、走行中の力の分散バランスなども含めた力学的なデータを、モーションキャプチャやフォースプレートを使って計測し、解析していく。次に、伊藤選手の走りを同様の機器を使って計測する。ハンドリムをこぐ時、腕や首、肩などの部位が、どのような角度で、どのように動いているのかということをエンジニアリングの観点から解析していく。

「往々にして、アスリートと開発側のコミュニケーションは一方通行になりがちです。例えば、“こんな感じになれば、もっといい”と選手が言う時の感覚は、当然ながら目に見えるものではなく、いわば、本人にしか分からない体感的なもの。それらを開発側の僕たちがきちんと理解するためには、『感覚を数値化する』ことが不可欠です。そうすることで、選手の意図をより正確に捉えることができると共に、数値という明らかな指標があれば、伊藤選手と開発チームの互いにとって、現状を把握する助けにもなりますし、ひいては、最大限に力が発揮できるマシンの開発に活かすことができます」とクリエイティブ・ディレクターの杉原は話す。

いざ、感覚の数値化へ。伊藤選手の頭、肩、肘、手首などの可動部と、ホイールなど、マシンの各部には、“マーカー”と呼ばれるモーションキャプチャの計測点が取り付けられた。伊藤選手が、100m走を想定して、屋内練習用マシンをこぐ間、天井の四方に設置したカメラが、伊藤選手とマシンの動きを多方向から撮影すると、認識されたマーカーが、パソコンを介してデジタル化した動作として取り込まれ、スクリーン上に映し出される。

車体のフレームに鼻がぴったりつきそうなほど頭を深く下げた前傾姿勢で、伊藤選手が全力疾走を繰り返す間、計測は続けられた。固定された屋内練習用マシンが、今にも超高速で走り出しそうなパワフルな動きに、開発チームの視線が釘付けになる。「マシンとグローブが“ギア”なら、伊藤選手の腕は“車のエンジン”」と杉原が語る意味が腑に落ちてくるようだ。測定したデータを解析用ソフトに取り込むと、各マーカーの変位量が表示され、それらを繋ぐと、車体や伊藤選手のフォームや動きが浮かび上がる。インターバルを挟みつつも、立て続けに走った伊藤選手の額は、汗でびっしょりだった。

ここで一旦、計測は終了。今回、モーションキャプチャで取得したデータを基に、ハンドリムをこぐ時のフォームや、グローブとの整合性を解析するなどして、伊藤選手にとって最適なハンドリムとグローブの開発が進められていく予定だ。

vol.1  獲るぞ金メダル!東京2020で戦うための究極のマシン開発に密着

vol.3  100分の1秒を左右する“陸上選手のためのグローブ”とは?

vol.4  フィーリングとデータは、分かり合えるのか?

伊藤智也(Tomoya ITO)
1963年、三重県鈴鹿市生まれ。若干19歳で、人材派遣会社を設立。従業員200名を抱える経営者として活躍していたが、1998年に多発性硬化症を発症。翌年より、車いす陸上競技をはじめ、2005年プロの車いすランナーに転向。北京パラリンピックで金メダル、ロンドンパラリンピックで銀メダルを獲得し、車いす陸上選手として、不動の地位を確立。ロンドンパラリンピックで引退を表明するも、2017年8月、スポーツメディア「HERO X」上で、東京2020で復帰することを初めて発表した。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

RECOMMEND あなたへのおすすめ

コラボ COLLABORATION

獲るぞ金メダル!東京2020で戦うための究極のマシン開発に密着 伊藤智也×RDS社【究極のレースマシン開発】Vol.1 後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

今年8月、メディア初となる現役復帰をHERO X上で宣言した車いす陸上アスリートの伊藤智也選手が、いよいよ動き出した。北京パラリンピックで金メダル、ロンドンパラリンピックで銀メダルを獲得した歴戦の勇士がめざす復帰の舞台は、東京パラリンピック。本連載では、2020年に向けて、RDS社が手掛ける伊藤選手のマシン開発の軌跡を追っていく。9月4日、開発に携わる主要メンバーがRDS本社に顔を揃え、キックオフ・ミーティングが行われた。

欲しいのは、滑らず、耐久性に長けたグローブ

車いす陸上において、グローブも、マシン並みに大事だ。既製品の柔らかい布製のグローブに松ヤニを付けるのが今のトレンドだそうだが、伊藤選手が現在使用しているのは、2パーツに分かれた樹脂製のグローブ。走行中は指を折り、固定した状態でこぐ。

「布製のグローブは、ホイールに“面”で当たるので、非常に滑りにくいのですが、接地面のゴム部分は裂けやすく、耐久性は乏しい。対して、樹脂製は耐久性に優れていますが、“点”で当たるので、ほんの数ミリのズレでバーンと外して、滑ってしまう可能性もあります。そうなると、トップから最下位まで一気に落ちてしまいますね」

2020年東京パラリンピックの開催期間は、8月25日から9月6日。ことにグローブに関しては、「季節的にも、雨が降ることを考慮した改良が必要になってくる」と伊藤選手は話す。

「例えば、樹脂のような硬い素材で、接地面だけは柔らかくて耐久性があるものに変えていくとか。目を閉じていても、7時の位置にジャストに降りてきて、蹴ることができたらベストです。あと、グローブは、軽ければ軽い方が好ましいですね。こんなに重たいのを使っているのは、多分僕くらい(笑)。理由ですか?不器用なだけです」

いよいよ計測、解析の第一歩へ

こちらは、伊藤選手が愛用してきた長距離用のマシンを3Dスキャナーでスキャンしている様子。マシン全体の形状をじっと眺める開発チーム一同から、新たな質問が投げかけられた。

―後部の車輪に“ハネ”は付けない?

ハネをはめると、横風を食らった時に全部持っていかれるので、あまり使ったことがありません。あと、目を閉じると、自分の手がどの位置にあるのかを把握しづらくなる、僕が抱えている障害はそういうものなので、漕いでいる時に、ほんの少しのズレで滑ってしまうと、腕がすぽーんとハネの中に落ちてしまう危険性があります。100mの選手は、総じてハネを付けていますが、今のところ、僕はあえて使わないようにしています。知るかぎり、後部の車輪がフルカーボンの選手もあまりいないですね。ハネを使うのは、重さがあるからじゃないかな。

次に、走り方を解析するために、モーションキャプチャを使って計測を行った。マーカーと呼ばれる計測点を、肘、肩、手首、背中などの可動部に貼り付けた状態で、伊藤選手がマシンを漕ぐ。その動きを天井に設置された複数のカメラで撮影すると、計測点だけが認識されて、デジタル化した動きとして取り込めるというものだ。

モーションキャプチャのカメラが認識するのは、平面として見えるマーカーの位置(2次元座標)だが、各カメラの位置と角度、原点と座標軸を定義する「キャリブレーション」による情報と、各カメラの2次元座標の情報を組み合わせることで、3次元座標がはじき出されて、映像となる。

上記は、走行中の伊藤選手の動きを表した画像。(実際には動画)どれほど正確で精緻なものかは、伊藤選手のコメントが教えてくれる。

「思ったよりもきれいでびっくりしました。良いリズム刻んでますね(笑)。自分の意識の中ではなかったけれど、左腕の方が、肘が上がっているし、漕ぎ方が柔らかいです」

「各分野のエキスパートの方たちとマシンのことをじっくりお話できて、さまざまな可能性があるんだなと感じました。勝ちにいくために、勝てる状態を自分なりに作っていくので、皆さんよろしくお願いします!」

次回のミーティングまでに、5パターンのハンドリム(持ち手部分)を打ち出すことになった。現段階では、材質にはこだわらず、伊藤選手の手に最も吸い付く形状を探すことが目的だ。2020年に向けて、一つずつ形になっていく伊藤モデル。今後も、その過程を密着取材で追っていく。

前編はこちら

vol.2  選手と開発者をつなぐ“感覚の数値化”

vol.3  100分の1秒を左右する“陸上選手のためのグローブ”とは?

vol.4  フィーリングとデータは、分かり合えるのか?

伊藤智也(Tomoya ITO)
1963年、三重県鈴鹿市生まれ。若干19歳で、人材派遣会社を設立。従業員200名を抱える経営者として活躍していたが、1998年に多発性硬化症を発症。翌年より、車いす陸上競技をはじめ、2005年プロの車いすランナーに転向。北京パラリンピックで金メダル、ロンドンパラリンピックで銀メダルを獲得し、車いす陸上選手として、不動の地位を確立。ロンドンパラリンピックで引退を表明するも、2017年8月、スポーツメディア「HERO X」上で、東京2020で復帰することを初めて発表した。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

  • Facebookでシェアする
  • LINEで送る

PICK UP 注目記事

CATEGORY カテゴリー