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情熱はやがて技術になる。業界No.1メーカーの開発の裏側に迫る!【日進医療器:未来創造メーカー】

岸 由利子 | Yuriko Kishi

日進医療器株式会社(以下、日進医療器)は、医療・福祉用からバスケットボール、テニス、陸上やチェアスキーなどの競技用に至るまで、あらゆるタイプの車いすや福祉用具の開発を手掛ける業界No.1メーカー。同社を創業した故・松永和男さんは、1964年の東京パラリンピックで、車いすを自在に操り活躍するアスリートたちの姿に感動し、同年より車いすの製造を開始。1969年頃には、日本初のオーダーメード車いすの製造を始めたパイオニア的存在だ。今回は、国内外から注目が集まる競技用車いすの開発について、同社開発部設計課の山田賀久さんにお話を伺った。

アスリートの要望のヒアリングから始まる老舗メーカーの真摯なものづくり

今日に渡って、日進医療器が遵守するものづくりの重要な要素は二つ。ユーザーの立場に立ち、使いやすさを真剣に考える「製品に対する情熱」、そして、長年培ったノウハウの上に綿密な検査と研究を積み重ねた「高い技術力・開発力」だ。

リオパラリンピックで、車いすバスケットボール日本代表チームのキャプテンを務めた藤本怜央選手をはじめ、宮島徹也選手や吉田絵里架選手など、アスリートのために同社が開発する競技用車いすには、それらが凝縮されている。

日常用の車いすをオーダーメードで作る場合、身体寸法の計測をはじめ、「ここに入りたいから、この幅にして欲しい」など、ユーザーの生活環境や、障害のレベルや種類によって異なる要望のヒアリングは、基本的に全国各地の販売店の人たちが行っている。競技用車いすも、同様に計測やヒアリングが行われるが、異なる点は、その段階を含めて製造までの過程を日進医療器が一貫して担っていることだ。

「選手の意図を正確に汲み取るために、大会に出向く時や、弊社に来社いただく時など、直接お会いした際に希望を細かく伺います。最近は、アメリカ、中国や韓国など、海外からの依頼も多く、通訳を交えて選手と話すこともあります。それらを踏まえて、私たちは図面を引き、その図面を元に製造工程に入ります」と山田賀久さんは話す。

製造プロセスへのこだわり、“乗り味”のバリエーション「選手想い」の創意工夫を凝縮したレース用マシン

欧米のメーカーと違って、日本の車いすメーカーは、強度が強く、軽量に出来る7000系のアルミ合金を多用する傾向にある。その中でも日進医療器は、1.2~1.3mmという極めて薄い部材を独自開発し、レース用車いすに使用している。特筆すべきは、その組み上げ方。接着してリベットを打つなどの方法ではなく、この肉薄の部材に熱を加えて曲げ、溶接しているのだ。業種に関わらず、他のメーカーや企業ではほとんど使われていないという、特殊で難易度の高い技術である。

しかも、量産品の車いすの場合は“固定治具”と呼ばれる専用の型を使って製造されるが、競技用などのオーダーメードの場合は、それらを使わず、熟練の職人が一人で一台を組み上げていくのだという。

「その他の競技用車いすに比べて、レース用車いすは、特に軽さと剛性が求められます。溶接で組み上げると、部材が重なる部分が少ないので、その分重量も軽くなりますし、強度の面でも優れています。ただ、熱に溶けやすく、下手をするとすぐに穴が空いてしまうので、溶接には熟練を要します」

「NSR-Cシリーズ」は、CFRP(炭素繊維強化樹脂)をメーンフレームに使い、アルミ製フォーク・シートフレームと組み合わせた陸上競技用車いす。

「CFRPは、剛性や軽さだけでなく、振動吸収性にも優れていて、より柔らかい感じの乗り味が特徴的です。路面に近い姿勢で、長時間走り続けるマラソン選手には、“走行中の細かい振動を吸収してくれる”など、好評をいただくことが多いですね。例えば、ロードバイクでも、しなやかな乗り心地のクロモリ(クロームモリブデン鋼)を好む人もいれば、カーボンやアルミを好む人もいるように、競技用車いすも、選手によってそれぞれに好みは違います。選べる幅が広がればいいなという想いも込めて、開発にあたっています」

洋服や靴のように福祉用具も、日常に溶け込めたら理想的

陸上競技をはじめ、バスケットボールやテニス、チェアスキーなど、どの競技においても、「選手の要望を元に、車いすというマシンを選手の体に合わせることが何より大事」と山田さんは話す。

「現状、来年のピョンチャンパラリンピックのことで頭がいっぱいなのですが、2020年の東京パラリンピックに向けて、これまで以上に密なコミュニケーションを取って、彼らが何を求め、何を考えているかについて、さらに理解を深めていきたいと考えています。観戦する機会が少ないことも関係していると思いますが、パラスポーツは、まだどこか特別なものという見方があることは否めません。東京2020は、ある意味でその概念を打破し、誰にとっても身近に感じられる良いきっかけになるのではないかと思います。環境だけでなく、人々が気持ちの上でもバリアフリーになれたら、今よりもっと素晴らしい社会が実現するのではないでしょうか」

2025年、国民の3人に1人が65歳以上、5人に1人が75歳以上という、前代未聞の超高齢化社会を迎える日本。車いすをはじめ、日進医療器の介護用品や医療福祉施設向け用品の需要が、ますます高まることが予想されるが、開発者たちは、どんな価値を提供したいと考えているのだろうか。

「どれだけ時代が変わっても、私たちが提供していくべき価値は、“長く乗れる、長く使えるもの”です。洋服や靴などを買う時と同じように、車いすや杖などの福祉用具も、必要に応じて自分の好きに買いに行く。そんな感じで、人々の生活に当たり前にあるものとして、自然に溶け込めるようになれたら理想的だと思います」

誠実な社会貢献をモットーに、技術革新に日々努めながら、一人ひとりに合わせた製品づくりに邁進する老舗メーカーの今後に期待したい。

日進医療器株式会社
http://www.wheelchair.co.jp

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

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モンスターをスーパーモンスターに。世界中のトップアスリートが慕う、大阪のアニキ技師【川村義肢株式会社:未来創造メーカー】

岸 由利子 | Yuriko Kishi

身体の極限と技術の融合を競うパラアスリートにとって、身体のパフォーマンス能力や強靭なメンタル力の鍛錬と同等に、義手、義足やマシンなどの技術面に磨きをかけることは不可欠だ。車いすテニスの国枝慎吾選手、チェアスキーの森井大輝選手や狩野亮選手、ウィルチェアラグビーの池崎大輔選手など、名だたる国内のトップアスリートをはじめ、新進気鋭の若手アスリートや海外のアスリートたちが厚く慕う一人の技術者が大阪府大東市にいる。義肢装具業界のリーディングカンパニーとして知られる川村義肢株式会社(以下、川村義肢)で技師を務める中島博光さんだ。今回は、アスリートの活躍を支える技術開発の裏側を探るべく、大阪本社の中島さんを訪ねた。

戦争で手足を失った人たちのために
原点は、オーダーメードの義肢づくり

第二次世界大戦の終戦直後の1946年、義肢を手掛ける「川村義肢製作所」として創業した川村義肢。手足を失った人々のために数多くの義肢をオーダーメードで製作・提供してきた。現在は、義肢装具の他にも、乳房や手足などの人工ボディ、車いす、医療器具や福祉用具の開発から住宅改修に至るまで、人々の暮らしを幅広くサポートするサービスを提供している。

中島博光さんは、18歳で同社に入社して以来30年、技師として研鑽を積んできた。2000年にチェアスキー選手のシート製作を手掛けたことをきっかけに、車いすマラソンや車いすバスケットボールなど、さまざまなパラスポーツのシート関連製作に携わってきた。現在は、国内外のトップアスリートから依頼を受け、数多くのシートや関連部品の製作にあたっている。

ここは、本気のアスリートが集うミラクルな秘密基地

中島さんは、徹底した現場主義の人。名刺も配らず、営業の電話も一切かけない、出張にも行かない。それらに充てる時間があれば、作業部屋で知恵を絞り、手を動かすことを選ぶ。そんな中島さんに製作依頼したければ、大阪本社まで行くしか術はない。言い換えれば、中島さんの居場所を探すだけのモチベーションやエネルギーを持つ本気の人だけが足を踏み入れることのできる聖地なのだ。

「車いすテニスの国枝慎吾選手とチェアスキーの狩野亮選手が一緒になったり、チェアスキーの森井大輝選手、村岡桃佳選手、夏目堅司選手が、偶然居合わせたり。中々、ミラクルな空間やと思ってるんです」


この日は、ウィルチェアラグビーの永易雄(ながやす・ゆう)選手が訪問中だった。同競技で活躍する池崎大輔選手と連れ立って来社したことを機に、マシンのことなどで相談事があるたびに、中島さんに会いに来るのだそうだ。

「今日は、競技用車いすのセッティングを見てもらいに来ました。背もたれにこれを取り付けたいんです」。永易選手が見せてくれたのは、手のひらに収まるくらいの小さな黒いパーツ。より快適な乗り心地になるらしい。驚くことに、中島さんからアドバイスを受けると、自らハサミを握ってパーツに向かい始めた。

「彼は元から器用だし、右手の握力も20くらいあるし、やろうと思えばできるんですよ。やっぱり本人じゃないと分からんことが9割9分やし、あんまり口出しするのもどうかと。自分ではやりたくないっていう選手もいますけど、本人たちのためにも、教育していかんとあかんのですよ。常々、言うんです。“海外の試合や遠征の時に、何かあったらどうするの?自分で対処できなくて、パフォーマンス力が落ちたら、本末転倒やで!”と」

ちょっと目を離すと、すぐに姿が見えなくなる中島さん。一所に長くいるのが苦手だそうで、常に忙しく動き回っているが、背もたれにいざパーツを接着する段階になると、いつの間にか戻っていて、永易選手の車いすにさっと手を携えた。

「現役選手兼メカニックになっても、いいと思うんですよね。他の選手の気持ちも分かってあげられるじゃないですか。彼がメカニックの役割を果たしてくれる日が来たらいいなと本気で思っています」

物づくりにかけるエネルギーは、いつだって同じ

こちらは、中島さんと共に、チェアスキーのシートや関連部品の製作の中心を担っている技師の宮本雄二さん。北海道在住の一般の方から注文を受けたレジャー用のチェアスキーシートの製作中だという。アスリートの場合と同様に、一般の方が発注する時も、サイズ計測のために来社してもらい、すべて手作業で作り上げていく。

「サイズ計測から完成まで、僕らが実質手を動かしているのは、15時間くらい。発注から納品までは約1ヶ月ですね。レジャー用でも、レース用でも、かけるエネルギーは一緒です」と手を動かしながら、宮本さんが教えてくれた。

「二人三脚を三人四脚にして、もっとチームを広げたいですけど、その途中ですね。本来は、三世代先くらいまで引き継いでないといけないんですけど。注文がたくさん入った時は、ひぃひぃ言いながら僕らがやってます(笑)」

これまで中島さんたちが手を携えてきたマシンの総数は98台。(2017年8月時点)001がチェアスキーの狩野亮選手、002が森井大輝選手というように、一台ずつシリアルナンバーが振られている。上記は、チェアスキーの鈴木猛史選手のために製作中のシートだ。

「防弾チョッキの素材を使っています。これを4枚重ねたら、ピストルの弾は貫通しません。もし、レース中に転んでも、粉々に砕け散ってホース状になることもない。ものすごく頑丈です」

オーダーメードで手に入れた体の自由

この日、もう一人の来客があった。チェアスキーの選手を目指しながら、千葉県船橋市で歯科医を務める奥山楽良(おくやま・らら)さんだ。7年ほど前にチェアスキーを通して中島さんと出会い、仕事で使う診療用の椅子を作ってもらったという。

「私は左足がないので、既存の椅子だと、下半身のどこか一部に圧力が集中してしまい、痛みを感じることもありました。中島さんにオーダーメードで作っていただいた椅子は、まんべんなくフィットして、圧力を逃してくれるので、がっちりした安定感があります。スポーツと同じで、上半身にも自由度が出るので、十分なパフォーマンス力が発揮できます。チェアスキーのシートと義足も、作っていただいています」

僕は、モンスターをスーパーモンスターにするお手伝いがしたい

数多くのトップアスリートの活躍を裏側で支えてきた中島さん。最近一番ハマっているのは、ウィルチェアーラグビーだという。

「リオパラリンピックの前に、池崎大輔選手から電話がかかってきたのが、始まりでした。彼をはじめ、ウィルチェアーラグビーの選手たちと知り合ってまだ1年ほどしか経っていません。言うたら、今、チェアスキーをスタートした頃と一緒の状態です。これまでの僕らの実績は関係ないんです。むしろ、それを捨てなあかんのですね。極論を言うと、作ることより、捨てる方が面白いですね。だって、勇気要りますやん」

「強い選手って、案外悩んでるんですよ。比べる対象がない反面、他から追いかけられるし、危機感も人一倍強い。願わくは、僕は、モンスターをスーパーモンスターにするお手伝いがしたいです。振り返ってみると、弱い人を強くするための一番の近道は、強い人をさらに強くするために築き上げたノウハウが役立っている気がするので。もし、世界最強と言われているウィルチェアーラグビーのライリー・バット選手と会う機会があれば、言いますよ。“俺に任してみてみ。もっとモンスターになれるで”って(笑)」

右側に立てかけてあるのが、製作中のスロープだ。

廃校を利用した新たな取り組みとは

パラスポーツのシート関連製作など、技師としての仕事とは別に、中島さんが今、熱心に取り組んでいることがある。

「ここから10分くらいのところに廃校になった小学校があるんですよ。ウィルチェアーラグビーの選手たちの練習場として使えるように交渉したんです。明後日が第1回目の練習なんですが、住宅改修のノウハウを活かして、傾斜のゆるいスロープなどを取り入れました。今、作っている最中なんですけどね。ウィルチェアーラグビーの車いすは他の競技と比べてかなり重たいですし、握力のない選手も多くいます。彼らにとって、より便利な空間として使ってもらえたらいいなと思います」

長年培ってきた技師としての確かな技術力と審美眼。聞いていて爽快な気持ちになるほど、歯に衣着せぬ物言い。そして、物づくりに対するアスリート顔負けの一本気な姿勢。「続けることより強いものはないと信じてやっています」―どれほど心で思っていても、さらりと言葉にできる人がどれほどいるだろうか。透徹した人間的魅力を放つ技術界の異端児、中島博光。彼の人柄と情熱に引き寄せられるように、今日もアスリートたちは川村義肢の扉を叩く。

川村義肢
http://www.kawamura-gishi.co.jp/

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

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