テクノロジー TECHNOLOGY

【国立リハ×UCHIDA×RDS】パラリンピアンとリハビリ研究者の歩みが結実!

川瀬拓郎

医療・リハビリ領域での新しいシステム開発、ものづくりで注目を集める国立障害者リハビリテーションセンター研究所・神経筋機能障害研究室長の河島則天氏。パラアイスホッケー日本代表として活躍し、2010年のバンクーバー大会で銀メダルを獲得した高橋和廣氏。高橋氏をテストパイロットとして開発を進めてきた下肢装具「C-FREX」は、麻痺によって脚が完全に動かない脊髄損傷者の二足歩行を無動力で可能にするという。 そんな「C-FREX」とHERO X編集長率いるRDSが開発した「RDS WF01」がコラボ!来る7月14日、西東京市における点火セレモニーにて全貌が明かされる「C-FREX × RDS WF01」について、直前リポートをお届けする。

いつかその日が来ると信じてトレーニングを続けた

大学生時代のスノーボード中の転倒事故で脊髄損傷を負い、車いす生活となった高橋氏。病院でのリハビリを経てすぐにパラアイスホッケーに打ち込み、2002年から18年までの冬季パラリンピック4大会に日本代表として出場したキャリアを持つ。現在は代表から引退し、地元の西東京市の職員として勤務している。そんな高橋氏が聖火リレーランナーとして、久しぶりに公の場に姿を現すことになる。そこには、ある研究者との出会いが欠かせなかった。

高橋:事故直後は動かなくなった足もそのうち治るだろうと、あまり深刻に受け止めていませんでした。ここ(国立障害者リハビリテーションセンター:以下、国立リハ)に転院して初めて、もう歩けないということを知らされました。ただ、それまで打ち込んできたスポーツによって得られた経験や努力が無駄になるということはないし、きっとこの身体になっても何か自分にできることがあるはずだと思っていました。

河島:僕は2000年から国立リハで研究のキャリアをスタートさせましたが、最初に取り組んだ研究テーマが脊髄損傷者の装具を使った歩行リハビリでした。そのタイミングでカズ(高橋氏)が入院していたんです。入院中のリハビリで関わりを持ち、年齢が近いこともあって親しく接するようになり、退院後もその関わりはごく自然に続きました。当時はまだ再生医療のサの字もない頃でしたが、「麻痺した脚の機能を維持しておくことは重要だし、この先恐らく再生医療なども進歩するだろうから、退院した後も装具での歩行リハビリを続けていこうよ」と勧めて、実際にそれを続けてきた感じですね。

二度と自分の脚で歩くことができないという現実を受け止め、いつ来るか分からない医療の進歩を信じて20年以上もリハビリを続けて来られたのは、患者と研究者という関係性を超えた信頼と高橋氏の持ち前のポジティブな意識と日々の努力があってのこと。C-FREXの開発に至ったのも「いい装具がないなら、自分たちで作るしかない!」というシンプルな動機からだった。前回の取材から3年半が経過したが、改めて現在に至るまでの経緯を振り返ってみよう。

C−FREX開発初期段階のCG画像

記事を読む▶DIYスピリッツがもたらした二足歩行アシスト装具C-FREXの可能性【the innovator】前編

河島:C-FREXの開発は全くのゼロから始めたわけではなく、従来型の装具の構造や機能、そして使い手側のカズが歩行リハビリによって積み上げた動きやスキルがベースになっています。脊髄損傷者の誰もが歩けるロボットを作るのではなく、カズのアスリートとしての高い身体能力があるからこそ、無動力での膝を曲げた歩行も実現可能だろう、というのが開発前の思惑でした。モーターなど外部の動力を使って誰もが歩けることを目指すようなロボット装具とは、そもそもコンセプトや出発点が異なるわけです。カズと出会ってから20年以上になりますが、彼のパラアスリートとしての活動を通じて大きな人間的成長を得たことも、一緒にやってこられた要因ですね。

高橋:リハビリを義務的に捉えていたら、これほど長く続いたとは思えません。受傷直後の国立リハでのリハビリが終わっても、ほぼ毎日装具を使って家の周りを歩いていました。それがルーティンとなり、ライフワークとなっていきました。僕は股関節周りの筋肉も動かないのですが、C-FREXの支柱と残された体幹でしっかりと麻痺した脚を支えて、まずは安定した立位姿勢が可能になります。それから杖と上半身でバランスを取り、重心移動とともに体幹を起こす動作によって、振り子のように脚を前方に振り出していくのです。「杖で身体を支えるのはとても大変でしょ?」とよく言われますが、両手の杖はあくまでバランスを取るためのサポートで、麻痺しているとはいえ体重は装具と脚で支えますからそれほど疲れません。装具さえ壊れなければ1時間だって連続で歩けます。

オリパラ延期による一年を経てトリプルコラボへ
国立リハ×UCHIDA×RDS

開発中の装具の動画をご覧になればお分かりだが、C-FREXは振り子のように脚を交互に前方へ出して、重心移動させながら、膝の動きも伴った二足歩行を実現する。開発に着手したのは2016年からだが、それ以前の長年のトレーニングによってパイロット側の高橋氏が身体と装具の調和した使い方を熟知していることもあり、動力なしに膝の動作を実現するという目標を達成している。

高橋:転倒したこともありますが、それほど危険だと感じたことはありません。転倒して装具を壊して、歩けなくなる時間ができてしまうことの方がむしろ苦痛でした。C-FREXの開発以前からずっと歩行トレーニングをしていたし、多少の段差やスロープでもそれほど困難ではありません。

河島:以前に取材していただいたときのC-FREXはまだ試作段階で、ちゃんと膝を曲げて歩ける段階ではありませんでした。ある程度満足いく歩行になったのが、昨年、コロナの影響がなければ実施予定だった7月のトーチリレーの時期で、もともとはトーチリレーをお披露目の機会とする予定でした。オリパラの延期が決定した後、1年前にできていたことをただ繰り返すだけというのはもったいないので、歩行動作や膝の動きをスムーズにできるように改良を重ね、当初からコンセプトとして掲げていた車いすとのコンパチブルを実現させようということになりました。

以前の取材時は、装具と車いすの両方の開発をUCHIDA社が手がけていたが、今回の聖火リレーではRDS社の車いす「RDS WF01」を組み合わせることになった。両社ともにカーボン加工技術において屈指の技術力を誇る会社で競合他社でもある。ライバルのタッグは可能性への挑戦を意味し、その結果、双方の技術を駆使して新しいビジョンを示し得るプロダクトへと昇華しつつある。

河島:そもそもC-FREXの初期ビジョンには、より自然な歩行を実現するということに加え、“歩く”というアクティビティを実現するための環境やアクセシビリティを考慮した車いすとのコンパチブルを掲げていました。C-FREXの開発は今まで通りUCHIDAさんに、車いすに関しては別案件での共同開発を進めてきたRDSさんに技術連携をお願いして実現しました。今回の試みはあくまで新しいビジョンを示すプロトタイピングの段階ですが、実際にC-FREXとWF01を合流させてみたところ、思いのほか良く調和し、脊髄損傷者が使うシーンをイメージできつつあるため、プロダクトとして仕上げる方向もありかなと、率直に思っています。ちなみに調和の理由は、C-FREX、WF01のいずれも、僕が絶大な信頼感をもって接してきたプロダクトデザイナーの小西哲哉が手掛けたものである、という共通点があるので、当然といえば当然です。

高橋:従来型の装具では2本の脚を棒のように固定して歩行していたのですが、C-FREXは膝が曲がり、カーボンのしなやかさが良く作用するので、より自然な歩きになりました。膝を曲げて歩くというのは長らく忘れていた感覚ですし、自分の目で直視して曲がっていることを実感しながら歩けるようになったことは、大きな進歩になったと思います。車いすに関しては、WF01は見た目がかっこいいので、すぐに乗ってみたくなりました。いかにも車いすというデザインから解放されて心理的なハードルが下がったことで、外出意欲を向上させてくれる効果もあると思います。

記事を読む▶「WF01」で車いすの概念を変える!!RDSが送り出す最新パーソナルモビリティー

今できる技術をできていない分野へ転用すること

さて、まだ遠い未来の話になるが、先端医療では脳に電気的な信号を送って運動神経へと伝達させ、機能が失われた部位、欠損した部位を動かせるという取り組みが一部で話題になっている。こうしたアプローチについては、実現までのハードルが高いことや倫理面での問題が立ちはだかる。実際に現場で研究を続けている河島氏と高橋氏は、どのような見解をお持ちなのだろう。

河島:みなさんが思い描くテクノロジーを駆使した未来の医療・リハビリの姿は、BMI(ブレイン・マシン・インターフェイス:ヒトの脳とコンピュータをつなぐ技術)やロボットリハビリなどの先進技術かもしれません。我々の研究室では再生医療リハビリを主要テーマとしていますし、僕の本職は装具の研究開発ではなく新しいリハビリ医療技術の現場実装を目指すことです。ただし、高度な技術がなければリハビリが進歩しないかというと決してそうではなく、むしろ先進技術を駆使するという向きとは反対に、現状は本来使える技術や情報が溢れ、飽和している状態だと思います。「新しい技術を」と力まずとも、他の産業領域ですでに実現できている技術を適宜必要なところにあてがうだけで、障がい当事者への恩恵につながるようなものづくりや環境構築は充分に可能だと思っています。事実、今回のC-FREXは特殊なセンサーやモーター、製造技術を駆使したものではなく、すでにある装具にカーボン素材の特性や機構設計、デザインの要素を取り入れて、使いやすく洗練されたものにアッセンブルしたというだけのことですから。

高橋:再生医療が進化して脳から神経へ伝達することができたとしても、脚を動かすという感覚を忘れてしまっていたら歩けません。残された身体をいかに思い通りに動かせるようにしておくかということも重要だと思います。僕がC-FREXで歩いている時は、脳からの命令が脚にたとえ伝わっていないとしても、確実に“脚を動かしている”イメージをもって歩いています。装具というツールが身体と一体になり、自分の動きとして表現される、という感じですね。あと、歩きからは離れますが、車いすのことを言うと、通常の車いすのブレーキは、タイヤをレバーで押し付けるタイプがほとんどですが、WF01はディスクブレーキを使っており、これには驚きましたし、「これいいじゃん!」って興奮しました。タイヤにレバーを押し当てて車輪を止める方法よりも、ブレーキ機構そのもので止めるほうが「カチッ」っていう音もでないし見た目もスッキリするし、いいですね。ちょっとした改良かもしれませんが、実際に使う側にとってはありがたいものなのです。

たしかにディスクブレーキは昔から使われてきた技術で、決して珍しいものではない。旧態然とした車いすのイメージにとらわれず、既存の技術を転用するだけでも大きな改善につながる好例でもあるのだ。これまでも河島氏は、医療技術や義肢装具の進歩による恩恵を、より多くの障がい者が受けられることの重要性について言及してきた。絵に描いた餅ではなく、できることを着実に、実現可能な未来に一歩だけでも近づくこと。C-FREXは小児用モデルの開発や、脊髄再生医療後のリハビリツールへとつなげることも念頭に置いて既に計画しているというから納得である。普段使いの車いすとアクティビティとしての歩きをシームレスに繋ぐことを可能にしたC-FREXとRDS WF01のコラボレーション。「見ている人々にポジティブな印象を与えることができれば嬉しい」と語る河島氏と、ともにリハビリを続けてきた高橋氏の長年の歩みが今、披露される。

◎点火セレモニー・西東京市:7月14日(水)15:35~16:06
※当日はライブストリーミング配信予定。詳細は「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会 東京都ポータルサイト」へ。

河島則天(かわしま・のりたか)
金沢大学大学院教育学研究科修了後、2000年より国立障害者リハビリテーションセンターを拠点として研究活動を開始。日本学術振興会海外特別研究員、特別研究員SPDとしてのトロントリハビリテーション研究所での活動を経て、帰国後は新しいリハビリテーション技術の開発に取り組む。計測自動制御学会学術奨励賞、バリアフリーシステム開発財団奨励賞のほか、学会での受賞多数。2014年よりC-FREXの開発に着手。重心動揺リアルタイムフィードバック装置BASYS、3指電動義手Finchの開発をはじめ、数々のリハビリテーション装置の開発を手掛ける。

高橋和廣(たかはし・かずひろ)
1978年生まれ、東京都出身。小学6年生からアイスホッケーのジュニアクラブに所属、高校在学時には3年連続インターハイに出場。大学3年の時、スノーボード中の事故で脊髄を損傷し下半身不随に。リハビリ退院後にパラアイスホッケーに出会う。以後、東京アイスバーンズに所属し、02年のソルトレーク大会から3大会連続で日本代表として出場、2010年バンクーバーパラリンピックでは中心選手としてパラリンピック団体競技として初の銀メダル獲得に貢献。代表から引退した現在も河島氏とともに歩行トレーニングを続ける。

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(text: 川瀬拓郎)

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ルーツは日本にあり!意思の通りに動かせる最新義手“X-Finger®”の開発者を直撃【the innovator】

中村竜也 -R.G.C

アメリカDidrick Medicalが開発した “X-Finger®”は、難しい装置を使わずに、使用者の自指の動きに合わせて自然な指先の動きを実現、指欠損者が日常を取り戻すための助け手となっている。そんなX-Finger®の考案者で同社CEOのダン ディドリック氏は日本の技術に絶大な信頼を寄せている一人だ。来日中のダン氏を直撃、X-Finger®の誕生秘話と、ダン氏と日本のつながりについて伺った。

X-Finger® 最初のクライアントとなったのは戦争で指を失った軍人。普通、指を失った軍人は退役せざるを得なくなるのだが、ダン氏のもとを訪れた男性は再度、軍のテストを受けたいという強い意志があったという。X-Finger®の第1号使用者が、戦地に向かう軍関係者となれば、国が認めるほどのクオリティを持っていることの証しにもなる。世に出すためのまたとないチャンス、「やり甲斐のある仕事、全力で挑みました」。しかし、ここまでの道のりが平坦だったわけではない。

日本で思い出した自分の道

空手を始めとする日本のの文化が好きだったというダン氏は、大学を卒業して1週間後には日本へと渡る。まず横浜駅で英語の地図を入手、そこからどこに住めるのかと考え、川崎に向かったのだ。「ノープランにもほどがありますよね()」。その後、英語講師としての職を見つけて、川崎で暮らし出す。工業地帯という川崎の場所柄なのか、ある日、仕事で指をなくした人との出会いがあった。ひょんなことから、彼のために義指を作ることになり、プレゼント。すると、彼の顔がパッと明るくなったのだ。このことをきっかけに、ダン氏は英語講師を辞める決意をしたという。「今まで自分がやってきたことと、また向き合ってみようと思ったんです」

実はダン氏、幼いころから特殊メイクが大好き。元々手先が器用だったダン少年は、特殊メイクをすることにのめり込み、13歳の時には特殊メイクのHow toビデオを発売するほどの腕前となっていた。ダン氏18歳頃のこと、ある日、歯科医師の父から「自分の患者のために鼻と上唇を作ってくれ」とのオーダーを受けた。

「父の患者に、9本の歯と上唇と鼻を口腔癌の手術で失ってしまった方がいたんですね。父はその方の義歯を作ってあげたのですが、地元の病院が彼女のために作ったエピテーゼ(人工ボディ)の完成度がかなり低かったんです。それを見た父が『息子がエピテーゼを作った方が、もっといい物が作れる』とその患者に伝え、了承を得たので、得意の特殊メイクの技術を駆使し製作しました。そして彼女が、完成したエピテーゼを初めて着けた時に、嬉しくて泣きだしたんです。私にとっては、特殊メイクアップアーティストとして初めての仕事であったと同時に、その経験が私の人生を大きく変えました」

川崎での出来事は、当時の思いを蘇らせた。ただ、日本語もあまり喋れず、義指を作る会社へのコネクションもない日本では、なかなか道は険しいと判断。7年間住んだ日本を離れ、故郷フロリダに戻る決意をし、顔の失われた部分を復元する顎顔面技工士の会社を始めた。

その会社での初めての患者は、3本の指を失い手話もできない、しかも耳も不自由という方だった。家族とコミュニケーションをうまく取るためにも、曲がる義指を作らなければと考えた。多くの義指は、いくつかの専門会社が各パーツを作り、ひとつの義指を完成させるのが通常であり、ダン氏のように1人ですべて完成させるスタイルは極めて稀なこと。そして、この経験こそがX-Finger®の始まりの前夜となったのだ。



そこからX-Finger®の開発に取り掛かる準備を始めたダン氏だが、販売を開始するには、特許やCAD含め1000万円近く掛かることが分かった。「当時はまだ経済的に厳しかったこともあり、自分の力ですべて挑戦してみることに決めたんです。そして数々の試練を乗り越え、第1号の試作品を完成することができたのです」

それから2年の歳月をかけ、ようやく保険会社の認可を得ることができた初期のX-Finger®の様子がこの動画で確認出来る。

「やはり開発には予算というものがつきもので、私もそこに苦労をしてきました。でも逆を言えば、高いモチベーションと情熱を持つことができたとも言えるのです。お金を理由に辞めるわけにはいかないじゃないですか。そこで考えたのが、様々なコンテストにX-Finger®を出すということ。なぜならそこには何千万という賞金があったからです」

投資家からのオファーももちろんあったという。しかし、目の前にぶら下げられた人参を容易に掴んでしまえば、X-Finger®の未来はないとダン氏は判断したのだ。そして、自らの判断を信じるべく、高い志のもとコンテストに臨んだ結果、数々の優勝を手にし、開発費用となる賞金を手に入れていった。それだけではない、優勝という二文字は、どんなものにも勝るPRとして、瞬く間にその名を世に広めていくのである。

日本での開発・製造に踏み切った理由

「中国の工場は、最初はすごくいい完成度で各パーツを作ってくれるのですが、時が経つにつれて完成のクオリティがどんどん落ちていくんです。そのことに悩んでいた最中、現在Didrick Medical Japanとして稼働している、愛和義肢製作所の林さんが私にコンタクトを取ってきてくれました。私は日本に住んでいた経験があるので、日本製のクオリティの高さをよく知っていて、それはもう嬉しかったですね()。現在も、様々な国でX-Finger®を作っていますが、やはり日本製の質の高さは飛び抜けています」

現状に満足しないからこその品質の高さ

「おそらく多くのX-Finger®ユーザーは満足してくれていると思います。でも私自身、デザイン、機能性とも常に上を目指しているので、まだまだ満足していない状態です。もっとよくできるはずなんです。作り手側の人間なら分かると思うのですが、満足のいった最新作だから販売しているはずなのに、すぐに改良点が見えてくる。発明家がだいたいお金持ちになれない理由がそこです()。まだちょっとお見せできませんが、今回来日したのも、新しいアイデアを愛和義肢製作所に伝えたかったからなんです」

そして最後にX-Finger®が切り開く未来を、どのように考えているか伺った。

「一番の願いは、私が考案したX-Finger®を、若い世代の方々にもっと素晴らしいものへと進化させていってほしいです」

今ここにある製品は、きっとダン氏にとってはすでに過去の物なのだろうとお話を聞いて感じた。使用者の話をしっかりと聞き、受け止める作業の繰り返しが、新たなひらめきのきっかけになる。そんな彼の頭の中は現在進行形で何年も先を見据えているに違いない。

※X-Finger®は平成30年度に厚生労働省 補装具の完成用部品に登録され、公的支給の対象となり、労災でも対応可となっている。

Didrick Medical
 https://www.x-finger.com/index.html

株式会社 愛和義肢製作所 
https://aiwa-gishi.jp/

(text: 中村竜也 -R.G.C)

(photo: 壬生マリコ)

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