対談 CONVERSATION

熱い思いを乗せ車いすで国会を爆走中!元パラリンピアンの国会議員が目指すモビリティ革命とは?

長谷川茂雄

日本には、元パラリンピアンの参議院議員がいることをご存知だろうか? 2010年のバンクーバー大会、アルペンスキーに出場した横沢高徳氏、その人である。自身の経験を元に国政へ出馬、走り抜けるフィールドをゲレンデから国会に移した同氏は、実は、編集長・杉原とは以前から互いをよく知る間柄。そもそもはチェアスキーを介して知り合い、パラスポーツやそれを取り巻く環境、そしてプロダクトについて語り合うことも多々あったという。では、今回の特集のテーマであるモビリティが活躍する社会を構想するならば、国政を担う立場の横沢氏は、いま何を思いどんなヴィジョンを描くのか? それを伺うべく参議院議員会館を訪ねた。

モトクロス、チェアスキーを
経て政治の道へ

杉原:横沢さんは、参議院議員になる前はパラリンピアンですけど、さらにキャリアを紐解くとモトクロスのライダーですよね。そもそもモトクロスを始めたきっかけはなんだったんですか?

横沢:実家が自動車整備工場を経営していたんですよ。それで整備士さんが出場したレースを親父とたまたま観に行ったら、もう目の前に仮面ライダーが現れたと思って(笑)。全身が震えて、俺もあんなふうになりたいと思ったのが最初です。

杉原:その感覚、自分もわかります。本格的にモトクロスを始めたのは、いつからなんですか?

横沢:小学3年生の時に、親が子供用のバイクを取り寄せてくれて。それからバイクに乗るようになって、徐々にモトクロスの世界にのめり込んでいきました。「俺は、怪我なんかしない、背骨なんか折ったりしない!」って親に言ってたのに、本当に折っちゃった(笑)。

杉原:(笑)。それでチェアスキーに転向したと。

横沢:そうですね。25歳で怪我をして、病院のベッドで観たのが長野パラリンピックだったんですよ。でも、その時はまさか(自分がパラスポーツを)やるとも思っていなくて。それなのに、バイクに乗れないと言われたら、何か乗り物が欲しくなりまして(笑)。

杉原:人機一体じゃないですけど、モトクロスみたいにマシンと体が一緒になる感覚を味わえる競技と言ったら、もうチェアスキーしかないですよね(笑)。

横沢:そうなんです。パラスポーツの中でも、もっともスピードが早いですし、それから約10年かけて頑張って、2010年にバンクーバー大会に出場させていただいて。

杉原:その後引退されて、2018年大会の時は僕がフランスにいて、メッセンジャーで日本にいる横沢さんとチャットしながら応援したのを覚えていますよ。それで、その次の年(2019年)の5月頃に、ちょうど羽田空港の出発ロビーで横沢さんから着信があって、出たら「選挙に出ることになった」と言われて。僕も、最初、えっ? ってしか返せなくて。

横沢:そうでしたね。自分としても人生最大のチャレンジになりましたね。

杉原:それで、今やっと聞けますが(笑)、どうして、政治の世界に入ろうと思ったんですか?

滝沢:そうですね、小さい頃からモータースポーツをやってきて、途中で車いすに乗ることになったり、パラスポーツに挑戦することになったりと、いろいろな人生経験をするなかで、矛盾を感じたり、おかしいな? と思うことが多々あったんですよ。

杉原:その思いは競技を離れてから強くなったんですか?

横沢:それはあるかもしれないですね。20年も車いす生活をしているのに、全然(世の中が)変わらないところが気になってはいました。不便さや各制度に対する疑問もありましたし。それなら、直接、制度や法律を決める国会に行くチャンスをいただけるのであれば、これまでの自分の疑問や、みんなの思いをどんどん届けるのが一番早いんじゃないかなと、思ったんですよ。

人口減少が進む地方こそ
モビリティ革命が必要

杉原:なるほど。元パラリンピアンの国会議員は、日本の歴史上初ですよね。

横沢:はい。ただ、自分としては、逆にこういう経験をした人間が国会にいないのはおかしいと思っていました。車いすユーザーであること、元パラリンピアンであることで、見えるもの、発信できることもあるだろうと。あとは単純に、大きなものにチャレンジしたいという思いもありました。

杉原:実際に1年やってみてどうですか?

横沢:まだ1年ですが、言えば変わるものだな、という実感はあります。与野党関係なく、誰もが抱えている課題っていうのは、変えられるし変わっていくものですよ。

杉原:これから日本は超高齢化社会を迎えるわけですが、そのスピードは地方のほうが早いですよね。横沢さんが(選挙で)出た岩手も高齢化率はもうすでに高まっていますし、人の動き、移動の手段は限られてきていますよね。

横沢:おっしゃる通りです。日本を人間の体に例えたら、足の先や手の先である地方の血流をよくしないと全身の状態がよくなりません。だから地方こそモビリティを充実させていく必要はあると思います。最新技術を投資して、(杉原)行里さんがよく言うように、「今の理想を未来のスタンダードにする」発想をカタチにする。僕も議員として、思いっきり力を入れていきたい課題のひとつですね。

杉原:東京や政令指定都市ではなくて、過疎化が進んでいたり人口減少が激しいところほど、モビリティ革命が必要ですよね。岩手は、盛岡市以外は電車移動が主ですか? バスの需要は、高いですか?

横沢:いや、バスは採算が取れないからと路線廃止の動きが強まっていますね。

杉原:そうなると(移動の)手段がどんどんなくなっていきますよね。そういう状況は、もうすでに緊急性が高いと思うんですけど、AIやIoT化、それに伴ってモビリティも発展していけば、僕は、地方にこそ新しい職業が生まれる可能性があると思うんですよ。

横沢:それを踏まえたうえで、モビリティのプラットフォーム作りをしていくという発想は、すごくいいなと思いますね。地方では、絶対に免許を返納しなきゃいけないような年配の方が、すごい低速で運転していたりします。それは、車がないと生活していけないから。安全性を担保した上で、さまざま利用できるモビリティの新しいプラットフォームを作ることは急務ですね。若者からお年寄りまで利用できる手段やモビリティがあれば、もっと豊かに暮らせますから。

杉原:そうですね。僕は、車いすという概念自体も無くなればいいなとも思っているんですよ。モビリティと捉えて、欲しい人が誰でも買って好きに乗れるもの。そうすれば、より選択肢が増えるのではないかと。他の乗り物と比べて車いすだけ選択肢が少ないのはおかしいですよね。

多様なモビリティが
自由に楽しめる社会を目指して

横沢:確かにそうですね。僕も一番変えたいのは、車いすのイメージそのものです。友人が怪我をした時も松葉杖は使いますけど、車いすには絶対に乗らないと言っていましたから。でも、歩ける人でも乗ってみたいと思える車いすがあれば、みんな積極的に乗るんじゃないですか。

杉原:そうなんです。しかも、これからは、車いすもその人に合ったものが生まれてくる。
どんな人でも使えるユニバーサルデザインを求めるのではなくて、これからパーソナライズの時代です。適切なシーティングポジションにしても、一人ひとり違いますから。

横沢:なるほど、それは面白い時代ですね。

杉原:年を取っても、広い選択肢から自分の好みで物が選べるって大事だと思うんですね。それに、格好良い、格好良くないという感性もなくしちゃいけない。

横沢:それはそうですよね。身に着けるものにしても車いすにしても。

杉原:とはいえ、道交法とかで制限は色々とありますから、例えば選べる電動車いすも現状は限られてきますよね。それに関しては、変化が必要だと思いますか?

横沢:必要ですね。常々それは感じています。規制することで、人の命を守ったり、安全を担保したりする必要はもちろんありますが、みなさんの生活をよくするのが法律ですから。よくなる方向であれば、やはり変えていくべきだし、時代に合わせて新しい法律を作るのは、国会、立法府の役目ですね。

杉原:社会実装を目的としたモビリティ、ハードウェアとMaaS(マース)のようなモビリティサービスを進めていくのは、これからのポイントになりますね。

横沢:一部の人たちのためだけではない、ソフトもハードも当たり前にあるような社会。自分は、それを作っていくために議員生活を費やしたいですね。コロナ禍があってオンラインが普及していますけど、人の移動はなくならないですよ。やっぱりレースでもなんでもライヴには敵いません。ビールも生が一番美味しい(笑)

杉原:確かに!(笑)じゃあ、あと残りの任期5年をかけて、どんなことを目指しますか?

横沢:この前、杉原さんが手がけたWF01(http://hero-x.jp/article/5833/)を国会内でテスト走行したんです。すごいスピードで地下通路を走っていたら、何あれ? って、みんな振り返るんですよ。物珍しいっていうのもあったと思いますが、そういうみんなが乗ったり見たりして、ワクワクするようなモビリティに普通に乗れる社会にしたいです。

杉原:僕らも、いろんな人から、貸してと言われるようなモビリティをたくさん作りたいですね。また横沢議員に乗ってもらいますから(笑)

横沢:今日は本会議だから、どのモビリティに乗ろうかなって、選べる社会がいいですね(笑)

横沢高徳(よこさわ・たかのり)
1972年、岩手県紫波郡矢巾町生まれ。小学3年生の頃にポケバイに乗りはじめ、その後モトクロスに没頭。スズキ(株)のテストライダーを経て22歳で国際A級ライセンスを取得。1997年、練習中に事故を起こし脊髄を損傷する。1999年にチェアスキーと出会い、以後、国内外の大会で好成績を残す。2010年、日本代表としてバンクーバーパラリンピックアルペンスキーに出場。(大回転21位)。2019年、第25回参議院議員選挙にて岩手選挙区より出馬(無所属)。初当選を果たすとともに、同年、国民民主党入党。

(text: 長谷川茂雄)

(photo: 増元幸司)

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ヘルスケア最前線-京都最大規模の医療法人が考える健康促進の処方箋

京都市民の健康を多角的に支える取り組みをする洛和会ヘルスケアシステム。今年8月には山科区にある洛和会音羽リハビリテーション病院にテラス棟を新設した。この新棟には、「らくまちテラス」という交流スペースもつくられている。健康教室や介護予防講習会の開催はじめ、地域の人が気軽に集える場所にするのが狙いだ。 VR技術を使った機器など、最新技術の導入にも積極的な洛和会。3代目理事長に就任した矢野裕典氏。医師であり、若手経営者としても手腕を振るう矢野氏にHERO X編集長杉原行里が話しを聞いた。

京都市民の健康を支える洛和会

杉原:先日、わたしが代表を務める株式会社RDSと矢野さんが理事長を務める医療法人洛和会は包括提携を結ばせてもらいました。洛和会さんと一緒に健康の未来を考える機会が持てること、とても嬉しく思っています。何度か矢野さんとお話しをする中で、矢野さんが考えていることは病院という枠では収まらない、もっと壮大なことをされているなと感じました。医療を軸にいくつものことをされていますよね。

矢野:そうですね。

杉原:いったいいくつのことを手がけているんでしょうか?

矢野:ありがとうございます。この8月にテラス棟を新設した洛和会音羽リハビリテーション病院はじめ、洛和会丸太町病院など、病院やクリニックが10施設、訪問介護やリハビリテーションなどを担う介護関連の事業所や施設が16施設、保育園や児童館など、子ども関連の事業を含めた健康・保育分野が18施設あります。これに加えて、こうした所で働く人を育てる看護学校など、教育・研究機関を6つ運営しています。

杉原:とんでもない数ですね(笑)。

杉原:洛和会の前身は町医者だったと聞きましたが、もともと京都で病院をされていたんですか?

矢野:わたしの祖父が京都で1950年に矢野医院という病院を開業したのが始まりです。うちの祖父は京都の人ではなくて、兵庫県の丹波の出です。曾祖父は丹波篠山で学校の校長をしていた人物でした。私の祖父は医者になりたいと、現在の京都府立医大への進学を希望したのですが、当時は医者の社会的地位はそれほど高いものではなかったため、猛反対されたんです。曾祖父は怒って祖父を追いかけ回していたようで、それを見た村の人がみんなでなんとか怒る曾祖父を止めて、「本人が勉強に行きたいと言ってるんだから、行かせてやってくれ」となだめてくれたおかげでどうにか京都府立大に入学したんです。

杉原:今の子たちは様々な選択肢の中から自分で道を選べるけど、曾おじいさんの時代はそんな時代だったんですね。

矢野:そうなんです。医者になんかなるな、医者になるなら軍人になれと言われたと聞いています。

杉原:時代背景を考えると、それは腑に落ちるというか、大げさな話しではないと思いますね。そして、なんとか京都で大学に通えた。それで京都で開業という流れになったんですか?

矢野:そう、大学で京都に出たのがきっかけといえばきっかけですね。京都で祖母と出会って結婚したのですが、祖母は西陣織りなどに携わる結構大きな家のお嬢さんでした。その祖母の実家の屋敷の一部を間借りする形で矢野医院は始まりました。

HERO X 編集長杉原行里(左)と矢野裕典氏(右)

杉原:だからあんな京都のど真ん中に医院を開業できたんですね。その後にできたのが丸太町の病院ですか?

矢野:そうです。矢野医院の開業した17年後の1967年に洛和会丸太町病院を開設したんです。

杉原:その初代が作ったものを2代目、矢野さんのお父さんがさらに広げられていった。

矢野:そうですね。祖父はその後、1973年には医療法人洛和会を設立して、1980年には音羽病院を造ったのですが、その年に祖父は62歳で他界してしまったんです。

杉原:それはまた大変でしたね。

矢野:はい。それで、医師だった私の父、一郎がその年に理事長に就任し、介護サービスセンターや看護学校、われわれの施設で働く職員のお子さんのための保育園がいるなと、保育事業をするようになり、今のようになっていきました。

ヘルスケア意識の向上に効く処方箋?

杉原:この夏には洛和会音羽リハビリテーション病院に新たな場所がオープンしたと聞いています。このリハビリテーション病院ではVRゴーグルを使って行なうリハビリなど、最先端のリハビリ体験もできると効いています。われわれの開発した歩行解析ロボットも洛和会の中での実証実験が始まっていきます。さまざまなデータを取ることで導き出されたものを人々のヘルスケアに還元していきたいという思いがあります。

新たにできたテラス棟にある「らくまちテラス」。洛和会音羽リハビリテーション病院は『すべての人にハーモニーケアを』をコンセプトに地域医療に貢献している。

杉原:機器を開発するのと同時に考えないといけないことがあると思っています。それは、データを提供してくれた人たちに対して、データを元に利益を生んだ企業からなにかの形でペイされる仕組みが必要ではないかと思っているんです。

皆さんに継続的かつ意欲的に参加してもらうためには、なにかしらの経済活動を生む必要があると思っています。例えば、けっこう皆さんポイントカードとかでポイントを貯めて使うポイ活のようなことをされていますよね。あの感覚がヘルスケアにも必要ではないかと感じているんです。

矢野:それは一理あると思います。

杉原:例えば、神奈川県の横浜市が市民の健康増進のためにやっている「よこはまウォーキングポイント」というのがあるのですが、ご存じですか?

矢野:はい。

杉原:18歳以上を対象に無料(送料は個人負担)で万歩計を配っているんです。市内の協力店舗に設置されている読み取り機に万歩計をかざすと歩いた歩数に応じてポイントが付与されて、抽選で商品券などが当たるというものなんですが、これで歩く人が増えて、長寿率にも貢献しているという話しもあるほどです。

「健康になろう」とか、「健康促進」と呼びかけるだけではなかなか人は行動に移さないというか、限界がある。ゲームなど、エンターテイメント性を持たせてやったほうが人は動くのではないかと思うんですよね。

矢野:うちの法人でもウォーキングイベントをやっていますよ。ウォーキングアプリを入れてもらって、グループで挑戦してもらうイベントです。賞金総額は100万円にしていたのですが、職員4000人くらいが参加してくれました。

杉原:確かに洛和会さん、健康的な体系の人が多いですよね。これはどこかからの補助金などではなく、自分たちでやっているんですか?

矢野:はい。自治体ではなく、自分たちで自腹でやっているんです。これが京都市に広がったらいいなと思っています。

杉原:つまり、実証実験を自分たちでやっているということですね。

矢野:そうです。健康であることと経済活動の関連性はすでに日本でも言われるようになっています。経済産業省が推進する健康経営優良法人というのもその1つだと思います。海外の研究に、社員が健康な会社は株価も上がるという結果が出たものがありまして、アメリカなどでは社員の健康は経営に大きく影響するという考えが大企業を中心に広まっています。

日本でも、社員や職員の健康を促す取り組みをしている法人を認定する取り組みが始まっています。認定マークを表示出来るほか、この認定を受けると自治体や金融機関からさまざまなインセンティブを受けられるようになっています。主に企業が取得しているものですが、今年、われわれ洛和会もこの認定を受けました。医療機関としては京都で1番目、関西全体でみたら2番目だそうです。

新棟に設けられたスタッフのための休憩コーナー。海中写真の壁紙は職員が撮影したもの。

矢野:なぜわれわれがこの認定を受けたかと言えば、やはり、うちで働いてくれている職員が健康で長く働き続けてくれることが経営としても一番いいわけですよ。そして、われわれ自身が定期的に検診などでデータを蓄積することにより、世の中にも還元できるものが生まれると思っています。企業に対してで言えば、今までのように検診費用が安いからうちでやりませんかではなく、健康経営や社員のウェルビーイングをトータルでサポートできますよということもできる。

杉原:今までのお話しを伺っていて、京都のヘルスケアは洛和会が担うこと、担っていることがめちゃくちゃ多いなと感じました。今後、理事長としてこの洛和会でどんなことをしていきたいと思いますか?

矢野:まずは京都市、特に公立病院がない山科区を中心にいろいろとやっていきたいと思っています。山科区の人々の健康を支えることはもちろん、うちで働く職員の健康、地域の子どもたちの健康を守ることを中心にしていろいろと仕掛けていきたいと思っています。そして、病院へのアクセスとしての交通網を作り上げることも視野にいれていきたいです。

杉原:なるほど、そこはまちづくりに繋がりますね。すぐに相談できる病院が近くにあるのは生活する場を選ぶ時にも重要ですよね。なそんな洛和会さんとRDSは先日、包括協定を結び、歩行解析ロボットを使った実証実験が始まりました。皆さんに楽しみながらやっていただき、健康という形で還元していく、そんな研究や仕組み作り、プロダクト作りを洛和会さんと一緒にやっていきたいですね。今日はありがとうございました。

矢野:ありがとうございました。

矢野 裕典(やのゆうすけ)
医療法人社団 洛和会 理事長 。1981年生まれ。2014年、帝京大学医学部卒業。同大学医学部附属溝口病院、特別養護老人ホーム四天王寺たまつくり苑勤務を経て、2019年、洛和会ヘルスケアシステム副理事長就任。2021年理事長に就任、NPO法人VHJ機構理事。

 

text:HERO X編集部

写真提供:洛和会ヘルスケアシステム

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