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ロンドンパラリンピックの仕掛け人に聞く『東京2020成功のカギ』 ジャスパル・ダーニ氏 来日インタビュー 後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

オリパラの開催都市として、世界の注目が東京に集まる2020年夏。「パラリンピックの成功なくして、東京2020の成功はない」――小池百合子都知事がそう語るように、スポーツの祭典としての成功以上にまぎれもなく問われるのは、真の意味で社会に変革をもたらす力があるとされるパラリンピックの成功だろう。史上最も成功したパラリンピックといえば、観戦チケット約278万枚を完売し、各競技場の客席が連日満員の観客で沸いた2012年のロンドン大会が記憶に新しい。前編では、ロンドンパラリンピックの仕掛人、ジャスパル・ダーニ氏(Jaspal Dhani)に、その成功が社会にもたらしたさまざまなレガシーについて話を伺った。後編では、東京2020のキモとなるパラリンピックを成功に導くためにできること、大会後の2025年に到来するとされる超高齢化社会に向けて、日本が準備しておくべきことなどについて同氏に助言を求めた。

キーワードは、「継続」「リーダー」「教育」

ダーニ氏によると、ロンドンパラリンピック後はパラリンピックの振興をはじめ、ロンドン市内を走るタクシーやバスには車いす用のスロープが装備され、地下鉄のアクセシビリティの向上、インクルーシブデザインを取り入れた“ライフ・ロング・ホーム”やインクルーシブ教育の普及、障がい者に向けた職業訓練や雇用率の上昇など、6年以上経った今も、社会のあらゆるところでレガシーは発展し続けているという。これだけの変化をもたらしたロンドンパラリンピックを成功に導いた一番の要因は何だったのだろうか。

「ロンドンパラリンピックは、数えきれないほど多くの組織・企業のサポートや市民の応援があってこそ実現した大会であり、そのすべてがひとつになった時、成功を収めることができました。その先陣を切ったのが、ご周知の通り、IPC(国際パラリンピック委員会)の委員長を務めたフィリップ・クレーブン氏(Philip Craven)です。オリンピック以上に、パラリンピックについては当初から確固たるビジョンがありました。それは、パラリンピックというひとつの大会を作り上げていく最初の段階から、パラアスリートはもちろん、会場デザインやパブリシティなど、あらゆるプロセスに障がい者が参画するということ。このビジョンを実現したことが、成功の主たる要因だと思います」とダーニ氏は話す。

Ned Snowman / Shutterstock.com

東京2020に向けて、今、日本ができることは何か?――史上最高と言われる大成功を収めたロンドンパラリンピックに大きく貢献したダーニ氏にアドバイスを乞うた。

「日本の政府は、すでに本格的なインフラ整備に取り掛かっていますよね。今回、東京の街を少し視察しましたが、ハード面でのアクセシビリティは素晴らしく、多くの点においてロンドンよりも進化しているというのが率直な感想です。街のデザインや公共交通機関の改善など、今取り掛かっていることをこれからも続けていくことが大切だと思います。将来的には、東京だけでなく、日本中でも同じ取り組みを実施することができたら、あらゆる人々が行きたい場所にアクセスしやすくなりますよね」

もうひとつのポイントは、「障がい者のリーダーを育てること」だとダーニ氏は言う。

「政治、ビジネス、教育をはじめ、人々の生活に関わるすべての分野において、障がい者のリーダーを育てることも必要だと思います。そして、垣根を超えて、その人たちが幅広いコミュニティに紹介されていくべきだとも思います。その意味でも、インクルーシブ教育は非常に重要。マストと言っても過言ではありません。私がこれまでの人生で学んだことのひとつは、“人は経験を共有した時に初めて、互いを一番理解できるということ”です。国籍やバックグラウンドの違う子どもたち、障がいのある子もない子も一緒に教育を受ける。そんな中から未来のリーダーは生まれてくると思います。インクルーシブ教育は、幼い子どもの時こそ、スタートするのに最適な時期だと思います」

その一例として、ダーニ氏は自身の娘の話を挙げてくれた。学生時代にファッションデザインを学ぶ中、(誰にとっても)“アクセシブルなファッション”を論文テーマのひとつに挙げ、エキシビションでは障がいのあるモデルやないモデルをミックスして起用し、自らデザインした作品を披露したのだそう。

「彼女は障がいを持つ父親だけでなく、その友人たちに囲まれて育ってきました。車いすに乗っている人を見てショックを受けたり、驚くこともない。むしろ、そんなことを考えもしません。エキシビションで多様なモデルを使ったのは、彼女にとっては、紅茶を飲みたい時にティーパックとお湯を用意するように、極めて自然なことでした。障がいの有無に関係なく誰もが楽しめるファッションを体現できる人たちを選び取り、プレゼンテーションをしたのです。インクルーシブ教育を行うことによって、長期的にはこういった変化が起きてくると思います」

超高齢化社会のカギは、
イノベーションの促進と未来計画

「オーダースーツのように、テーラメイドの車いすです」とダーニ氏が見せてくれたのは、車いすバスケットボールの競技用車いす。

パラリンピックは、世界トップレベルのパラアスリートが競い合うスポーツ大会であるとともに、義肢や競技用車いすなどの開発で培われた先端技術が、介護や福祉などに広がっていくビジネス創出の機会だという見解もある。これについてどう思うか、ダーニ氏の意見を聞いた。

「パラリンピックの威力は、明らかに駆動力です。パラアスリートたちが限界に挑み、未知の領域を押し広げていくごとに、従来とは違う考え方を持つイノベーターたちが生まれ、新たなイノベーションが生み出されてきました。例えば、この競技用車いす。私が車いすバスケットボールをやり始めたのは1981年頃でしたが、当然ながら今使われている技術は存在していませんでした。両者を比べると、石器時代から近代にタイムトリップしたような劇的な進歩です。車いすに限らず、建物や公共交通機関、スイミングプールなど、社会ではありとあらゆるイノベーションが次々と起きていますし、介護や福祉に留まらないと私は思います。それらはほんの一部です。パラリンピックにインスパイアされた数々の発展は、もっと大きな意味でビジネスに広がりを持たせていると思います」

東京2020に向けて盛り上がりを見せる一方、日本は着実に超高齢化社会の歩みを進めている。内閣府の高齢社会白書(平成30年版)によると、総人口が長期の人口減少の過程に入っているのに対し、団塊の世代が75歳以上となる2025年には、65歳以上人口が3,677万人に達すると推測されている。世界のどの国も体験したことのない未曾有の時代を迎えるにあたって、今から準備するべきことは何なのか。

「イノベーションを促進し、発展させていくことが重要だと思います。今歩けている人が、もしかしたら10年後には歩けなくなっているかもしれません。常々、カンファレンスなどでも伝えていることですが、もし介護の負担を軽減したいというなら、政府は10年後、20年後、あるいはその先の計画を立てなくてはいけないでしょう。それは、誰かひとりの未来のためになるとともに、国民の未来への投資です。始めるのに遅いということはありませんが、実行していくためには、誠実な対話と分析、長期的なビジョンと戦略を必要とするでしょう」

車いすやハイテク義肢など、パラスポーツの世界で培われた技術は、「今後、高齢者にとっても大いに役立つだろう」とダーニ氏は話す。

「すべては自立した生活を送るためです。ケアハウスや施設に頼ることなく、ローカルコミュニティでそれぞれの人が自立してアクティブに過ごすためにも、それらの技術は使われていくべきだと思います。しかし近年、新たに生まれたテクノロジーは非常に高価であることも事実です。電動車いすを例に挙げると、ヨーロッパのハイエンドでは3万ポンド(約415万円)と、一般的な乗用車より高額です。その他の車いすなど先端技術を使った用具が、一般の人々の手に届くように助成金を支給するなど、政府は対策を打つ必要があると思います」

東京2020は、きっと素晴らしい大会になる

再び、話はパラリンピックに戻った。1948年にイギリスで発祥して以来、70年にわたって紡がれてきた歴史の中で、「あれがすべての始まり」とダーニ氏が言うのは、パラリンピックがオリンピックと同じ場所で開催されるようになった1988年ソウル大会だ。

「私の記憶が正しければ、初めてパラリンピックのチケットを販売し始めたのも、ソウル大会だったと思います。それ以前はほとんど観客がいませんでしたが、ソウル大会を機に、2000年シドニー大会は多くの興奮と熱狂を生み、次のレベルへと押し上げ、2012年ロンドン大会ではお話してきた通り、また次の次元へとレベルを上げることができました。つまりソウル大会以降、発展の連続だったわけです。そして迎える東京2020、プレッシャーがありますよね(笑)。かつては、比喩的に世界中の注目がホスト国に集まると言われていましたが、今ではもうリアリティです。世界中の注目はその国に注がれ、大会の成功はパラリンピックの成功によってジャッジされるようになりました。プレッシャーは大きいけれど、その分だけ東京2020はきっと素晴らしい大会になると思います」

「2020年に向かう今はメディアにとってもエキサイティングな時期ですよね」とダーニ氏はにこやかに話す。いちメディアとしての「HERO X」が氏の目にどう映るのか。尋ねると、iPad上でサイトのページをスクロールしながら、「このイメージはクールですね。これも素敵ですね」と次々に好感触の感想を述べてくれた。

「多くの人はインスパイアされるストーリーにモチベーションを感じるものだと思います。アスリートやスポーツのストーリーを止まることなく伝え続けること、日々、興奮を作り出し、人々に届けることが大切です。それは、多くの企業にとっても新たな情熱を生み出すでしょう。なぜなら、そこにある物語やメッセージに突き動かされるからです。昨今、アスリートやスポーツについての事実を再解釈したメディアの表現が必要とされています。その熱を伝播していくうえで、HERO Xがトレイルブレイザー(先駆者)になる可能性だってあると思います。パワフルで刺激的なストーリーをぜひ発信し続けてください」

2020年夏、オリンピックスタジアムや東京体育館、国立代々木競技場が満員の観客で沸かせるだけでなく、ロンドン大会のように社会にさまざまなレガシーを起こし、長期的に発展し続けることができてこそ、真の意味で東京2020は成功したと言えるのだろう。その挑戦はまだ始まったばかりだ。

前編はこちら

[TOP画像引用元:https://www.dailymail.co.uk/

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

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チェアスキー界のワンダーボーイの素顔は、超ピュアな17歳【佐藤林平: 2018年冬季パラリンピック注目選手】

朝倉 奈緒

どんな競技や業界においても、若手ホープは貴重な存在です。日本を代表するチェアスキーヤー、夏目 堅司選手が育成に力を注ぐ、佐藤林平さんもそのひとり。とりわけ「チェアスキー」という特殊で高額な用具が必要な競技で、既に世界を舞台に勝負している17歳は少なくとも日本では佐藤林平さん以外にはいないでしょう。そんな稀少な高校生チェアスキーヤー、佐藤林平さんに、来年のピョンチャンパラリンピックに向けての心境や、地元である野沢温泉村のことなどを聞いてみました。

野村温泉村はGW前までスキーオンシーズン

長野県・野沢温泉村からはるばる東京・表参道にやってきた林平さん。東京では半袖の人も多く見られる5月中旬に、ほんのり小麦色に焼けた青年は、いかにも健康そう。「屋外でトレーニングしているのですか?」と尋ねたところ、野沢温泉村ではGW前までスキーができるのだとか。日焼けしているのは、数日前までチェアスキーの練習をしていたからだそうです。

そんな林平さんの地元・長野県の野沢温泉村はスキーが盛んで、林平さんが通う県立の飯山高校は、長野県で唯一スポーツ科学科を設けており、スキーの各種目において、歴代のオリンピック選手を輩出する、スキーのエリート高校です。スポーツ科学科は他の普通科などに比べて実技の授業が多く、スポーツ心理学の先生が講義をすることもあるそうです。

林平さんは高校のアルペン部と、クラブチーム「野沢温泉ジュニアスキークラブ」に所属しており、シーズン中はスキー三昧の生活。地元にいるチェアスキーヤーは林平さんのみで、コーチに自分から積極的にコミュニケーションを取ったり、独学で勉強したりと、人一倍努力が必要とされる環境でありながら、「チェアスキーはとにかく楽しい!」と満面の笑みで話してくれました。

雪のない夏のシーズンは主に有酸素運動や体幹トレーニングで体力をキープしているのだそう。
「アルペンスキーの男子の座位クラスのレースは女子が滑って、立位クラスが滑った後になるから、コースはボコボコで走りにくい。そういった悪いコンディションの中で、いかに軸をずらさずに、バランスを保って滑ることができるか。そこが勝敗を決めるポイントになるので、コアトレーニングで体幹を鍛えて、イメトレをすることが大切ですね。」と林平さん。先ほどまでの人懐っこい笑顔も一変、チェアスキーの話をするときの眼差しは鋭く、真剣です。

スーパー高校生、卒業後の進路は?

林平さんが初めて東京に来たのは中学1年生くらいの夏、日本のトップチェアスキーヤーである森井大輝さんが「一緒にトレーニングをしよう」と招いてくれ、ウェイトトレーニングを中心に教わったのだそうです。「東京は地元に比べて道が平で走りやすいし、ジムにも器具が揃っている。それはいいんだけど、とにかく電車の乗り換えが大変()。」地元の野沢温泉は坂ばかりで、車いすで外を走ることがほとんどできないそうです。森井選手とは、毎年一度、秋葉原のメイド喫茶に行くのが恒例の楽しみになっているという、プライベートな暴露話もしてくれました。高校生の林平さんにとって、東京は刺激的な街に映っているのでしょうか。

去年は、チェアスキーの大会に出場するためにオーストリアに遠征し、スキー場の規模が大きく、雪質の違いに驚いたといいます。「日本の雪は柔らかいけれど、少しでもバランスを崩すと板が埋まっていってしまう。それに比べてオーストリアの雪は硬く、締まっていて滑りやすい」。雪質をこんな風に分析できるのは、さすが雪国生まれで、ほぼ一年中雪と共に生活しているチェアスキーヤーならでは。
来年、韓国で行われるピョンチャンパラリンピックを目指して、トレーニングと、その間に卒業後の進路についても考えているという林平さん。地元で、野沢温泉村の地域活性化にも貢献したいという力強い言葉もありました。「チェアスキー」という武器を持つスーパー高校生は、そこにいるだけでこちらが元気になれるような、輝きと期待感に満ち溢れていました。

(text: 朝倉 奈緒)

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