対談 CONVERSATION

目指すは、複数個の金メダル!大会直前、日本のエースが語った本音【森井大輝:2018年冬季パラリンピック注目選手】前編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

ピョンチャンパラリンピック開幕まで、あと2日の今、日本屈指のチェアスキーヤー森井大輝選手の活躍に、熱い期待が寄せられている。02年ソルトレークシティ大会から、14年ソチ大会まで、パラリンピック4大会連続で出場し、通算銀メダル3個、銅メダル1個を獲得。ワールドカップ個人総合2連覇を達成した世界王者が、唯一手にしていないのが、パラリンピックの金メダル。5度目となる世界の大舞台で勝ち取るべく、アクセル全開でトレーニングに取り組む中、HERO X編集長であり、RDS社のクリエイティブ・ディレクターとして森井選手のチェアスキー開発に携わる杉原行里(あんり)が、大会直前の心境について話を伺った。“大輝くん”、“行里くん”と互いにファーストネームで呼び合うふたりは、アスリートとサプライヤーであり、5年来の友人でもある。忌憚なき本音トークをご覧いただきたい。

速さのベースは、かつてないシートの安定感

杉原行里(以下、杉原):大輝くんと出会って、もう5年になるのかな?

森井大輝選手(以下、森井):はい、ソチパラリンピックの前年の2013年に初めてお会いしました。

杉原:最近はどうですか?

森井:滑りの安定は、今まで以上に出てきたのではないかと思います。おかげさまで、昨年、一昨年のワールドカップでは、まさに自分が求めていた滑りができました。今シーズンは、スイスで開催予定だった開幕戦が、悪天候のためにキャンセルになり、12月にオーストリアのクータイで行われた実質上の初戦では、4位という結果でした。このレース期に入ってから、どこに行っても頭が痛いのが、雪。たくさん降ると、レースバーンも、おのずと柔らかくなります。スイスでは、圧雪車で柔らかい雪を圧雪した場所で、ずっとトレーニングしていて、良いタイムが出ていたのですが、クータイでは、レースバーンにかなりのハードパックが施されていて、違和感が否めなかった。

柔らかい雪でセッティングを出した状態で、ものすごく硬いバーンで滑ると、どうしても合わないんです。今回の敗因は、僕の中での調整ミスと、トレーニング中のフィーリングや滑りを出せなかったことにありますが、一つ良かったのは、ピョンチャン直前ではなく、この時期に気づけたこと。異なる雪質でのセッティングを含めて、今一度、マシンのセッティングを見直す良いきっかけになりました。

ただ、今のレベルに安定していられるのは、やっぱりシートの安定があってこそだと思います。これまでシートは、シーズンごとに作り変えなくてはならず、その度に形がずれて、フィッティングが微妙に変わってしまうことがありましたが、今はそれがないし、本当に自分が望んでいたものを手に入れることができている。安定して強度のあるシートは、今の僕の速さのベースになっていますし、僕の武器ともいえるのではないかと思います。

杉原:それは良かったです。じゃあ、ソチ大会の時に比べると、気持ち的にも、やっぱり違いますか?

森井:全然、違います。フレームだったり、シートだったり、良い滑りって、マシンの全てのパーツのバランスから生まれてくるので、どこかが欠けていれば、当然、それを補う必要はありますが、マテリアルに関しての不安要素は、過去4大会に比べて、一番少ないですね。

心強いチームのおかげで、
トレーニングに集中できる僕がいる

杉原:でも、飽くなき欲望にかられる大輝くんだから、もう何か欲しいでしょ?

森井:欲望というか、「この部分をこうしたら、どうなるのかな」というイメージはたくさんありますけど、まずは脇目を振らず、ピョンチャンに向けて、最大限の努力をしようという気持ちで…

杉原:絶対、ウソ!(笑)世界王者の大輝くんたるもの、何か目論んでいるはず!ところで、チーム森井大輝、すごいですね。今日、密着取材しているテレビの人たち、ざっと20人近くいるでしょう?大輝くんが動いたら、撮影クルーや記者の皆さんがぞーっと動く。僕が動いても、誰も動かないのに(笑)。

森井:RDS社や、所属のトヨタ自動車をはじめ、サポートしてくださる皆さんのチーム体制のおかげで、安定した気持ちで、心からトレーニングに集中することができています。僕がチェアスキーを始めた頃って、「チェアスキーって、何?」という人の方が圧倒的に多い状態で、とにかく色んな人に知って欲しいという気持ちが強くありました。今、素晴らしい環境を与えていただいていることに加えて、メディアなどを通して、多くの方にチェアスキーを知ってもらえる機会を与えていただけるのは、本当に光栄です。

杉原:大輝くんをはじめ、日本人選手が極めて強いということもあって、近年は、チェアスキー特有のエクストリーム感が伝わる形で紹介されることが増えましたよね。障がい者スポーツという括りではなく、エンターテイメント性の高いスポーツとして、人々の興味を惹く見せ方と言ったらいいのかな。エクストリームスポーツとしてのチェアスキーの魅力がちゃんと伝わってくるし、僕も我が事のように嬉しいです。

1個ではなく、複数個の金メダルが欲しい

森井:僕は、カッコよくなければいけないと思っています。カッコイイっていうのは、パフォーマンスはもちろんですし、チェアスキーというマシンも含めて、全てです。近年、ヨーロッパなどに行くと、外国人の方たちから、「カッコいい!」、「これは何?写真を撮ってもいい?」と声を掛けられることが増えたのですが、健常者の方が見ても、チェアスキーが凄いと思ってもらえるものになってきたことを、とても誇りに思っています。

マシンについては、RDS社が開発に携わってくださったシートやカウルの注目度がすごく高いんです。有り難いですし、またそのマシンを使うことができることに対する誇りが、僕の背中を押してくれています。その誇りが、タイムにも少し反映されているんじゃないかなって思います。

杉原:あのマシンに乗っていったら、ゲレンデに着いた瞬間、すでにちょっと勝った気がするよね(笑)。チェアスキーの選手でもない分際で偉そうなことを言って、他の選手には失礼にあたるかもしれないけれど。

森井:正直言うと、このチェアスキーに乗っているから、負けられないっていう気持ちもあります。たくさんの方々の想いが詰まったマシンなので、このマシンに乗っているかぎり、下手な滑りはできないし、その時にできる最大限の努力をして滑りたい。野球に例えるなら、どんな球が来ても、常にフルスイングで挑むぞ!みたいな。

杉原:ところで、来たるピョンチャンパラリンピック。金メダルは、何個獲得をする予定ですか?

森井:まだ何とも言えないですけど。

杉原:どうして?言っていきましょうよ。

森井:少し大人な言い方をするなら、複数個のメダルは獲りたいです。

杉原:え、複数個の銀メダルを?

森井:今回は、銀メダルではないメダルを獲りたいなと思っています。

杉原: これまでに獲得したメダルを入れているガンケースを見せてもらったことがあったけど、大輝くん、銀メダルの保管の仕方がちょっと雑だもんね(笑)。

森井:(時間が経ったこともあるけれど)はい、錆びています。今、ホテルに一通りあります。

中編へつづく

森井大輝(Taiki Morii)
1980年、東京都あきる野市出身。4 歳からスキーを始め、アルペンスキーでインターハイを目指してトレーニングに励んでいたが、97年バイク事故で脊髄を損傷。翌年に開催された長野パラリンピックを病室のテレビで観て、チェアスキーを始める。02 年ソルトレークシティー以来、パラリンピックに4大会連続出場し、06年トリノの大回転で銀メダル、10年バンクーバーでは滑降で銀メダル、スーパー大回転で銅メダルを獲得。その後もシーズン個人総合優勝などを重ねていき、日本選手団の主将を務めた14年ソチではスーパー大回転で銀メダルを獲得。2015-16シーズンに続き、2016-17シーズンIPCアルペンスキーワールドカップで2季連続総合優勝を果たした世界王者。18年3月、5度目のパラリンピックとなるピョンチャンで悲願の金メダルを狙う。トヨタ自動車所属。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

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対談 CONVERSATION

車いすのレーサー青木拓磨が語る「デザインは障がいを超える」の真意

富山英三郎

アクセルやブレーキ、ギアチェンジなど、すべての操作をハンドドライブでおこないながら、モータースポーツの世界で戦い続けるプロレーサーの青木拓磨。様々な壁を超え続けてきた男が語った「デザインは障がいを超える」という言葉の意味とは? モータースポーツの世界と密接に関わるRDSの代表取締役であり、HERO Xの編集長・杉原行里(あんり)との対談のなかに、これから目指すべき日本の未来があった。

2020年の『ル・マン24時間レース』に出場します

杉原僕はカーレースが大好きなので、青木選手のことは以前から尊敬の眼差しで追いかけていたんです。なので、今日は貴重な時間をいただけて光栄です。

青木:こちらこそ、よろしくお願いします。

杉原青木さんは車いすのレーシングドライバーということで、過去の体験が記事になることが多いと思いますが、『HERO X』というメディアは事故の経緯などにはあえてフォーカスしない方針です。それよりも、今ある技術を使って今後どうやっていくのか? そういう未来志向でいきたいと思っています。まずは前段階として、現在の活動について伺わせてください。今シーズンは何カテゴリのレースに出場されるのでしょうか?

青木:今年は3カテゴリですね。まずはル・マンシリーズのウルティメットカップ。これは『ル・マン24時間レース』に向けて、フランスのチームと一緒に出るレースです。現在、『SRT41』というチームと3年契約をしていまして、2020年の『ル・マン24時間レース』まで一緒に戦います。

杉原:ル・マンに出場されるというニュースを見たときは驚きました。

青木:『SRT41』というチームは全員が障がい者のチームなんです。僕のほかにベルギー人の車いすの選手がいて、もうひとりは左手首を欠損しているフランス人。チームオーナーはフレデリック・ソーセという、7年前に『人食いバクテリア(劇症型溶血性レンサ球菌)』に侵されてしまった方。彼は四肢欠損でありながら、2016年のル・マン24時間に参加して完走までしている。

杉原:完走ですか! 参加するだけでもすごいのに。

青木:そこで1st.プロジェクトは終了したんですけど、今度は彼がチームオーナーになり、世界中の障がい者レーサーを呼んで2020年のル・マンに出るプロジェクトが立ち上がったんです。そのときに僕が候補にあがったというわけです。

杉原:それは候補にあがりますよね、スーパードライバーですから。

青木:いえいえ(笑)。2つめは、毎年8月のお盆シーズンにおこなわれる『アジアクロスカントリーラリー』。これは毎年タイから出発して、カンボジアのアンコールワットがゴールだったり、タイ国内がゴールだったりしますが、国をまたいでやるオフロードのレース。もうひとつは、インドネシアの『スピードラリー』というレース。1周7kmくらいの土のサーキットを2周してタイムを競います。

日本は車いすが入れるホテルが圧倒的に足りない

杉原アクセル、ブレーキ、ギアチェンジなどすべてを手で操作(ハンドドライブ)しながら、3カテゴリを健常者と共に戦うわけですね。でも、モータースポーツの世界は毎年いくつか深刻な事故があり、当たり前かもしれませんが危険がすぐ側にある競技。だからこそ青木選手の活動はみんなの希望だと思うんです。

青木:最近は聞かないですけど、事故が起きるときはバタバタっとある。ニュースにならないこともありますし。これは10年前のデータですが、日本の障がい白書によると1年間に約5000人もの方が車いす利用者になっているんです。脳梗塞による下半身不随や半身不随、若いときの事故など理由はさまざまですが、すごい数ですよ。さらに言えば、日本には障がい者が約300万人いる。それって静岡県の人口と同じくらいなんです。

杉原:そんなにいるんですね。

青木:そうなんです。それなのに、障がい者に対する雇用やインフラが十分ではない。そこを変えるチャンスは、2020年の東京オリンピック・パラリンピックしかないと思っています。

杉原:トイレの扉も、あと3cm広げるだけで車いすが入れますしね。

青木:そう。あとは、車いすが入れるホテルが圧倒的に足りない。今後、東京都にできる新しいホテルは、必ず車いすが入れないといけないという条例が先日できたばかりです。

杉原:遅いですよね。

青木:でも、2020年に向けて少しずつではありますが、障がい者にとっていい世界になっていると思います。また、パラリンピックというスポーツの力を借りて、「障がい者でもできるじゃん!」という認識が広がっていけばいいなと。僕自身も2020年に「ル・マン24時間レース」に出ますしね。開催が6月14日なので、オリンピック・パラリンピックの前哨戦感覚で頑張りたい。レーサーであれば一度は出てみたい大会ですから。

杉原:そもそも、日本において車いすの人がル・マンに出るなんて誰も想像してなかった。

青木:ライセンスを取るという時点でありえない状況でしたから。

杉原JAF(日本自動車連盟)のライセンスを取得するのも大変だったみたいですね。

青木:10年近くかかって、やっとライセンスが取れた。ライセンスが取れても、今度は健常者と一緒にレースをやるために3年くらいかかりましたし、そこは一歩ずつやるしかなかった。

杉原:本来、レースは速さを競うものなので、身体は関係ないはずですよね。

青木:みんな責任問題を避けたがるんですよ。欧米の場合は、許可するけどあとは自己責任でねっていう。だからこそレースが成り立っている。クルマはハードを使うスポーツなので、本来車いすの人間とは相性がいいはずなんです。エンジン、ボディ、タイヤが一緒だったらイコールですから。あとはアクセル&ブレーキを足でやるか手でやるかの問題だけなんです。

デザインは障がいを超える

杉原RDSという会社はモータースポーツで生かされていることもあって、その裾野を広げる意味でレーシングカート大会を開いていて、ハンドドライブカート(下肢に障がいがある人でも運転できるカート)も用意しています。チェアスキーの森井大輝選手 (http://hero-x.jp/article/3229/) や夏目堅司選手 (http://hero-x.jp/article/3326/) 、井谷選手、村岡桃佳選手といったパラリアンも参加していて。

青木:へぇ~、面白そうですね。

杉原サーキットに出ちゃうと誰が車いすかわからないし、結果として森井大輝が速かったりして。そういうことが健常者にとっては刺激になるみたいなんですよ。「障がいを理解しましょう」だけのコミュニケーション方法だけではなく、みんなで楽しめる場を作ることが大事だと思うんです。

青木:僕は「デザインは障がいを超える」と思っていて。卓球だって何年か前にコシノジュンコさんがコスチュームデザイナーとして参加されて、イメージが変わったでしょ?

杉原それは本当に思います。僕は車いすはモビリティだと考えていて、そうであるならかっこよくなきゃいけない。弊社の「WF01 (http://hero-x.jp/article/5833/)」という商品は、ミニ四駆をコンセプトにしていて。フレーム以外は自由にパーツを変えることができる。シートはバケットシートなので、その人に合わせたものを作れます。というのも、人と洋服がかぶるとイヤなように、車いすも同じものばかりじゃつまらないと思うんです。

青木:そうそう、僕もいつかは車いすを作りたいと思ってますから。

杉原作りましょうか(笑)

青木:えっ、早い(笑)

杉原うちはいつもそんな感じで話が進んでいくんです。車いすバスケットボール元日本代表の根木慎志さんという方のモデルは、コンセプトが「靴がかっこよく見える車いす」。靴好きの方で、靴がかっこよく見える車いすがないという不満から生まれました。

青木:その気持ちわかるわ~。そうそう、御社のサイトを見ていてハンドサイクル(クランクを手で回して進む自転車)を買おうかと思ったんですよ。

杉原今度、ハンドサイクルにインホイールモーター(車輪のハブ内部に装備された電気モーター)を入れたら面白いかな~とか(笑)。

青木「面白いかなあ~」って、そんな軽いノリでやってるんだ(笑)。いいね、楽しくなっちゃう。

杉原:僕らはそこにある課題を、「かっこいい」とか「面白い」とか「楽しい」を通じてクリアしていきたいんです。

どうせ乗るなら、かっこいいのに乗りたい

青木WHILL(ウィル)って電動の車いすはご存知ですか? 僕はあそこのアンバサダーになっているんですけど、あれに乗っていると「早く立てよ」っていう風に思われるんです。普通の車いすで電車に乗ると「こちらへどうぞ」って感じで、みんなが気を遣う空気になるんですけど、WHILLだと「ん? 立てばいいじゃん」って。つまり、障がい者だと認識されないので、「僕は足が動きません」ってプラカードしなきゃいけない空気になる(笑)。それこそがデザインの力であり、面白いところ。

杉原:あははは。それに似た話で、ライトが光るうちのマシーン(車いす)で銀座を走行していたら、みんなが振り向くんですよ。最終的に「コレ、なんですか?」って話しかけられる。それもまたデザインの力ですよね。

青木:歳をとって脳梗塞になる可能性もあるし、そんなときにいつか乗りたいっていう車いすがあることは大事ですよ。どうせ乗るなら、かっこいいのに乗りたいですから。

杉原ホイールが付いている車いすはもっとカッコ良くなるはずだと僕は思っていて。

青木:ほぉ、面白い。その通りだ。

杉原:バイクもクルマも自転車も全部かっこいいのに、逆に言えばホイールが付いていてかっこよくならないはずはないと思うんです。

青木:ホイールがあるからかっこいい、その考えはなかったなぁ。

杉原:今後の車いすの方向性や、それを使って行動するうえでどんなことを期待されていますか?

青木マシーンとしての車いすは、杉原さんのような方もいらっしゃるし、どんどん進化していくと思うんです。個人的にもっと発展して欲しいのは、先ほどもお話したホテルや新幹線などのインフラ面における整備ですね。とくに新幹線は改善してほしい点が多い。ひとつの車両に多目的室がひとつあるだけですから。

杉原:皆さん「車いすがすっぽり入る席を作って」とは言っていないですよね。簡易で置ければいいだけなんですが…。

青木:公共の交通機関は、誰がどうやっても乗れるようにしなきゃいけないと思うんです。いずれみんな杖をつく、みんな車いすになるかもしれないんだからと。車いすの問題だけでなく、帰省の時期はベビーカーを持っている人も多いわけで。でも、それを置く場所すらない。

杉原僕も小さな子どもがいますが、ベビーカーを持ち込むときは本当に大変なんですよ。そういうインフラ面に関しても、デザインからアプローチできることがあるかもしれないですね。今後もいろいろとご一緒できたらと思いますので、ぜひよろしくお願いします。

青木:こちらこそ!

杉原:今日はありがとうございました。

青木拓磨(あおき・たくま)
小学校3年生よりポケバイに乗り始め、1987年~89年、全日本ミニバイクレースG1クラスで3連覇。1990年、ロードレースデビュー。1995年、96年に全日本ロードレース選手権スーパーバイククラスチャンピオンを獲得。1997年、ロードレース世界選手権GP500クラス5位に輝く。1998年、テスト中の事故で脊髄を損傷し、以降は車いすのレーサーとして活動。アジアクロスカントリーラリー、スーパー耐久レース、ダカールラリー等、国内外のレースに精力的に参戦中。

(text: 富山英三郎)

(photo: 増元幸司)

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