対談 CONVERSATION

地方でも全然できる!広島発の会社 ミニマムモビリティで世界を変える

HERO X 編集部

今年、東京オートサロンで注目を集めたモビリティを開発会社のKGモーターズ。2025年からの販売を目指して開発を進めている自社製ミニマムモビリティはなんと1台100万円程度だ。脱炭素化に向けての流れもある中、KGモーターズ代表の楠一成代表はYouTuber「くっすん」として動画も配信。開発の段階からファンを増やしていく作戦を続けている。今回はそんな代表楠氏に、KGモータースが描く未来とミニマムモビリティの可能性について伺った。

順風満帆な会社をあえて手放しての挑戦

杉原:はじめまして。今日はよろしくお願いします。

楠:よろしくお願いします。

杉原:2018年に現在のKGモーターズを創業されていますが、その前にも楠さんは会社をされていますよね。

楠:はい。

杉原:でも、その会社の持ち株を全て売却して、新たにKGモーターズ株式会社を興された。売却した会社も好調だったと聞いているので、かなりチャレンジャーだなと思ったのですが、順調な会社を手放してまで、小型モビリティの会社を興したのはなぜなんですか?

楠 :前の会社を創業したのは22歳くらいの時だったんです。10年以上やってきて、それなりに紆余曲折も経験しました。はじめは組織もうちの妻と私含めて3人という小さな組織だったんです。いろんなことをやる中で、人数もかなり増えていった。

杉原:増えたというと、何人くらいになったんですか?

楠 :パートさんまで入れると50人くらいです。

杉原:3人から50人、それはまた大きくなられましたね。どんなことをしていた会社だったんですか?

楠:車のアフターマーケットパーツを海外から輸入して販売する会社です。

杉原:そこから車に関係していたんですね。でも、手放すことにした。それはなぜだったんでしょうか。

楠 :そうですね。会社は順調に成長したんですが、私のやりたいこと、目標というのは、もっと大きなことだったんじゃないかというモヤモヤが生まれ始めたんです。

杉原:何かチャレンジしたい気持ちがあった。

楠:でも、会社はもうかなり組織としてもかなりできあがってきていて、できあがった組織の中では、リスクを負ってスタートアップ的に新しいことに挑戦をするというのは難しいんです。

その会社での自分の役割は終わったかなという思いもあり、今の経営者に引き継いで、自分は新たな道をと思ったので、全部手放すことにしました。

杉原:あえて、挑戦の道を選ばれたんですね。

私もいろいろなモビリティーをやらせてもらっているのですが、楠さんが掲げているミッションやビジョンに凄く共感しています。ここにたどり着くきっかけなどはあったのでしょうか?

楠 :2010年くらいに仕事の関係で始めて台湾に行ったのがすごく印象に残っていたんです。台湾で夜市という、いわゆる夜のマーケットに立ち寄ったのですが、台湾の若者の活力に非常に驚かされた。東京も仕事でよく行っていましたが、ちょっと日本の渋谷とかで見る若者とかとは何か違うパワーを感じて、その要因は何なんだろうと思い始めたんです。

杉原:楠さんから見た違いの要因は何だと思われたんですか?

楠 :当時、明らかに物質的な豊かさは日本の方が勝っていた。一人当たりの給与水準も、GDPを見てもそれは言えることでした。でも、国が成長の途上にあり、今日より明日が良くなるという感覚をみんなが共有しているように見えました。これは恐らく、日本の高度経済成長の時代も同じような空気だったのではないかと思います。若者が希望をもっていた。

杉原:力に満ちあふれている感じだったんですね。

楠:そう。それで、日本がどうしてこんなに元気がなくなったのかを考えた時に、やはり、人口が減少して、マーケットが縮小していくという現実の中で
「日本これから良くなるよね」
と思っている人があまりいない。どちらかというと悲観的な空気です。それを打破するにはどうしたらいいのだとろうと考えるようになったんです。

杉原:それがKGモーターズのミッションやビジョンに繋がった。

楠 :そうですね。われわれが掲げる「移動の最適化」や「ワクワク」とかが、日本の若者がもう一度希望を持てる状況に繋がっていけたら嬉しいなと。

あと、台湾もそうですし、インド、中国と人口がものすごく大きくなっている中、今、著しい経済発展をしている国も、いつかは日本のように悲観的な時代もくる。課題先進国である日本でやることは、最終的に世界にも良い影響を与えることになるのではないかと思ったんです。

杉原:実は、私の経営しているRDSも「今日の理想を未来の普通に」というビジョンを掲げてやっているので、すごく似ているなと思って拝見していました。

YouTuberくっすんが
本気で作るミニマムモビリティ

杉原:もう一つ、KGモーターズさんは動画配信を上手く駆使しながらファンを広げるところからやられている。やり方がすごく上手いなと思って拝見していました。

楠:ありがとうございます。

杉原:EVトラックを販売しようといているアメリカのスタートアップ企業ボリンジャーモーターズなどが同じような手法でされていたと思うのですが、販売前からかなりの予約が入っています。

KGモーターズさんもファンを作るプラットフォームをまず構築し、その中で、ファンと一緒に新しいモノができあがっていくワクワク感を共有しながらモビリティに対する期待感も同時に豊穣させていますよね。ここが、面白いなと。

実際に2025年に発売される予定のミニマムモビリティは、最初から一人乗りにしようというコンセプトで始まったんでしょうか?

楠 :まず、既存の車とは異なるサイズの車が必要になる時代がくるだろうという考えがありました。乗り物にも多様性が出てくるんじゃないかと。自分は広島県呉市というところの出身なのですが、ここは坂道が多く、道も狭い。軽自動車でも運転が難しいような所を結構みんな苦労しながら運転して生活している。それを見ていて、もっと小さな車ってできないのかというのがありました。

それから、脱炭素の流れの中で、あきらかにもう、大きな車は無駄だという価値感が生まれるなと感じていました。

気軽に家庭で充電できるEV車

楠氏はYouTuberくっすんとして登場。開発の様子を動画配信サイトでファン作りを行ない、登録者数は19万人を突破。一緒に新しいモビリティを開発するワクワク感を味わえるようになっている。

杉原:拝見していて思ったのが、この絶妙のサイズ感。これ、最新の3Dプリンターでも外側は作れる可能性がありますよね。

それから、特に優れていると思ったのが、充電が手軽というところです。100Vの家庭の電源でできるんですよね。ここはすごくこだわられたのではないでしょうか。

楠:ありがとうございます。われわれとしては、社会インフラが整わないと乗れないものにはしたくなかった。コンセントからそのまま充電できますよということは売りにしています。

杉原:やはりそうだったのですね。
KGモーターズが開発するEVモビリティのコンペティターは、軽自動車とか、オートバイになるのでしょうか?

楠:どちらもあるなと思っています。アンケートやモニター調査を行なって、3つのペルソナにたどり着いたのですが、オートバイも軽自動車ユーザーも両方いたからです。

例えば、一つ目のペルソナに設定した地方在住の複数所有世帯。
旦那さんも奥さんも車で通勤、共働きの子育て世帯というところです。普通車1台と軽2台とか、軽2台所有という層です。

彼らが何に困っているかというと、地方在住で給与水準も都市に比べると低い。でも、車で絶対に通勤しないとならない。方法がないのに、交通費の負担も会社から出るのは車だと限界がある。車にかかるコストのところに非常に痛みを抱えておられた。

日本全国で見た時に通勤手段が車だという方は2800万人いるんですけれど、その中の3割、850万人くらいの方がコストに負担を感じているんです。
実際に車だと維持費がきついからと中古で10万くらいの原付を買って試したという人が複数世帯ありました。

試したけど、冬になって雨で寒かったり、夏は暑いからと結局車に乗ってしまい、長続きしなかったという回答も見られました。

杉原:天気の問題はありますよね。

楠:二つ目が、もともと車2台持ちだったけど、子どもも成人して2台はいらないよねという世帯です。1台でもなんとかなるけどちょっと、ないとやっぱり不便になるよなという世帯です。第三ペルソナは自分たちが今見えていない新しい層、プラス、ペーパードライバーの方々です。莫大な市場を抱えていると思っています。若者の車離れが言われますが、その理由を見ると「コストが高いから」というのがほとんどなんです。

杉原:なるほど。

楠:ペーパードライバーは日本で1200万人いると言われているのですが、ほぼ二つに分かれることが分かりました。運転に自信がないという人と、コストを掛けたくないという人です。特に今の若い人達にそういう感覚の人が多くて、うちの爆発的に売れるには、この層にくいこむことが重要だと考えています。

杉原:車両区分はどの区分になるんですか?
楠:原付ミニカー規格になります。

杉原:だからコストの部分が下がるということですよね。保険も変わるから、ここでもコストが削減できる。

楠:例えば、車をすでにもっている家庭で2台目に我々のモビリティーを購入となった場合には、ファミリーバイク特約というのが使えるので、月々数百円の負担で付帯させることができます。

一方で、今、ペーパードライバーの人達は自動車保険に加入していない人がほとんどなので、このミニマムモビリティ専用の団体保険みたいなものを作れないかと、大手の損保さんと話しているところです。

杉原:今は道路交通法が変わろうとしている時期でもありますし、今後は自動運転についても可能性もありますよね。一方で駐車場も余っているというニュースもあるから、このコンパクトさなら、1台分の広さで数台は置ける。田舎の場合、広い駐車場が駅前とかに余ったりしていますから、シェアリングも考えられますよね。

楠:そうですね。そこも見据えながら開発を進めているところです。

杉原:2025年の発売、楽しみにしています。

楠一成氏
KGモーターズ株式会社 代表取締役兼CEO

広島県呉市出身。車のアフターパーツを扱う会社など複数の起業経験を経て、2018年にYouTuberとしてバイクのカスタマイズを中心としたYoutube配信を開始。2020年、配信内容を電動化にシフトし、2021年に広島発のマイクロモビリティメーカーになることを宣言する。初のコンセプトモデルとなるT-BOXの開発を始めるとともに、開発現場の生々しさが伝わる配信を続けてきた。Google Japanが選ぶ(世界に影響を与える)クリエイター101人に選ばれる。2022年7月、KGモーターズを設立。

(text: HERO X 編集部)

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東京2020は、22世紀に向けた前哨戦!スポーツジャーナリスト上野直彦の視点 前編

宮本 さおり

あと1年、もはやこの「HERO X」の読者ならば、それが何を意味するかお分かりだろう。東京2020オリパラが迫っている。チケットの販売方法の情報が解禁となり、いよいよカウントダウンがはじまった。そんななか、パラの成功なくして東京2020の成功はないと言われるスポーツジャーナリスト 上野直彦さんに編集長がアタック、東京2020とその先の日本について、語り合った。

杉原:今日は上野さんと、東京2020を契機にスポーツというものを通じて、それがどのように伝わって、何が継承されていくのか、またどんな課題があるのかなどを一緒にお話しさせていただけたらなと考えています。パラリンピック選手(以下、パラ選手)が取り上げられる時、どういう経緯で受傷したのか、ハンデを負ったのかがまず枕詞としてあって、そこから話がはじまることが往々にしてありますが、それだと一方的なコミュニケーションになりがちで少しもったいないのではと。パラの場合、多くの競技でなにかしらのギアが使われます。つまり、ものづくりの手が入る。パラリンピックをF1に例えて言うなら、その技術が一般社会にも役立てられるのではと思っていました。また、それを一過性のものではなくて継続的に取り上げていきたいという想いで「HERO X」をスタートしました。僕はスポーツが持っている力ってすごいと思うんです。

上野:そうですね。私はBリーグの葦原一正さん(Bリーグ事務局長)と2015年のちょうどBリーグ開幕1年前に共通の知人を通して知り合いました。その葦原さんから教えて頂いたのですが、ラグビー日本代表の畠山健介さんのSNS発信がすごく面白くて、「世界を変えられるのは音楽とスポーツと宗教だと言っていた」という話を葦原さんがしていて、私もスポーツが世の中を変えるという考えに非常に賛同しています。自分のなかで一番大きかったのは2011年です。東日本大震災があった年ですが、数カ月後にドイツのワールドカップで、女子サッカー日本代表のなでしこジャパンが初優勝するっていう快挙を成し遂げました。今もまだ多くの方の心に傷を残しているんだろうと思いますが、傷ついていた日本に大きなパワーと勇気を与えてくれたと思います。W杯後、仕事をしながらラジオを聞いていたら、ラジオの中で仮設住宅に住む70歳ぐらいのおばあちゃんが、「なでしこジャパンが優勝したことについて印象に残っていることは?」との問いに、スタメンの選手全員の名前をフルネームで言ったんですよ。仮設住宅に暮らすおばあちゃんがですよ。そのとき、あの快挙がどれだけ人に影響を与えたんだろうって思ったんです。元気とか、生きる勇気とか。そのラジオを聴いたときに初めて、抽象的な概念とかではなくて、リアルに、“スポーツの力”というものを感じました。

杉原:僕、その動画をちょうど昨日YouTubeで観てました(笑)。

上野:そうなんですね(笑)。

杉原:頑張るぞ!っていうときには勇気が出るので必ずスポーツを観るんです。

大人が作る垣根

上野:私の好きな言葉のひとつに「チャンスは人の形をしてやってくる」というものがあって、人との出会いが全てですよね。そんななかでひとつ思い出す出会いは、川澄奈穂美という人でした。

杉原:なでしこジャパンの選手で、シアトルに行かれましたよね。

上野:はいそうです。今はニュージャージー州にあるスカイ・ブルーFCというチームでプレーしています。彼女のプレーを最初に見たのは彼女が大学4年の時で。彼女を見たときにテーピングで分かったんですよね。前十字靭帯の怪我のあとだなって。けれどその割に走力が凄い。走るんだけど接触プレーがないんですよ。インテリジェンスがいいと思いました。それで取材を進めていると、彼女の周りにおもしろい選手がいたんですね。「川澄奈穂美物語」っていう漫画があって、この時の取材がひとつの形になって出ているんですけど、第1話に佐藤愛香という選手が出てきます。実は彼女は聾唖者なんです。耳が聞こえないゴールキーパー。佐藤選手は川澄選手と小学校でずっとサッカーを一緒にやってきて、小6の時に日本一になるんですよ。その決勝戦でゴールキーパーとしてゴールを守ったのが佐藤選手です。最終的に私が興味を持ったのは彼女なんですね。耳の聞こえないサッカー選手たちがプレーする「デフリンピック」っていう競技で、聾唖者女子サッカーの日本代表があります。これが中村和彦さん監督の「アイコンタクト」っていう映画になっているんですけど、この佐藤愛香というサッカー選手の存在が、私のなかで初めてパラ競技に興味を持つきっかけになったんですよね。

杉原:そうなんですね! かなり前からパラ競技に興味がおありだったのですね。

上野:そうなんです。その時に私が思ったのは、子どもたちはみんな普通なんです。障がいがあろうがなかろうがみんな普通にプレーしているんですよ。それを知って、あ、楽しみながらみんなでプレーできちゃうんだなって。むしろ垣根を作ってしまっているのは大人たちなのかなと。

杉原:結局、大人が自分の中の概念からはみ出してしまうことが怖いというか、ハンディーキャップの有無に関わらず、子どもたちは単純にサッカーをやりたいだけなんですよね。

上野:その通りだと思います。

杉原:僕が初めてワールドカップを観たのは93年のドーハだったんですけど、当時小学生でしたが夜中にテレビで観ました。Jリーグが始まったのも小学生の頃で、Jリーグの創成期をみてきた中で、たった20年で今ではワールドカップで優勝を目指すぞっていうような雰囲気になってきていますよね。この成長はすごいなと思います。

“人”が呼び寄せたパラとのつながり

上野:私のなかではブラインドサッカーのオッチー(落合啓士選手)との出会いも大きかったです。ブラインドサッカーが広く一般に知られる前から彼の試合や練習を観させていただくなかで、とにかくみんなで落合選手を盛り上げたいよね、ブラインドサッカーをもっと知ってもらいたいよね、という思いが湧いてきたのです。

杉原:僕もきっかけは同じですね。チェアスキーの森井大輝選手と出会ったときに、この選手を“勝たせたい! ”と、強く思い、小さな飲み仲間のコミュニティーからもっとみんなに知ってほしいと思うようになって。ある意味承認欲求に近いでしょうか、“すごいんだぜっ”ていうのを知ってほしくて。だから、人に出会ってという部分は上野さんと同じですね。

上野:実はブラインドサッカーでいうと、ブラインドサッカー日本代表の高田敏志監督とも以前から繋がりがあり、彼が今後どのように日本のサッカーを伸ばしていきたいと考えているかを知って、これは来年きっと世界を驚かせるんではないかと楽しみにしているんです。やっぱりサッカーってトレーニングや練習が試合に反映されるわけじゃないですか。あれだけロジカルに考えて、背景にフィロソフィーがあって、新しいトレーニングをどんどん取り入れて、あとは指導者の熱ですよね。私はスポーツ=指導者の面が強いと思っているので、彼らをみていると、あのチームは来年世界を驚かせるなと思っています。

杉原:いいですね~。僕もブラインドサッカーをやったことがあるんですよ。

上野:どうでした?

杉原:まずボールがどこにあるのか分からないですよね(笑)。

上野:分からないですよね~(笑)。この辺で聞こえているなと思っても本当はこっち(逆方向)だったりね(笑)。

杉原:そうなんですよ。おもいっきり空振りしたりして。子どもたちと一緒にプレーしたんですけど、なぜか子どもたちのほうが上手いんですよね。子どもたちのほうが耳がいいんでしょうね。それとも純粋なのか・・・ボールに一直線で向かっていくんですよね。僕らは“疑い”があるから。なんかの罠なんじゃないかな、とかね(笑)。

上野:心の何かに比例しているのかな(笑)。

こうしてパラとの関わりを振り返ると、私が影響を受けたパラ選手は複数いて、その中の1人は競泳の成田真由美選手。彼女が本当に素晴らしい。以前ワールドフォーラムっていうイベントがあって、その時に対談の構成と司会をさせていただいて、そこでいろんなことを聞いたんですよ。彼女は、「私はワールドマスターなら健常者と一緒に戦える。そこで結果を出したい。健常者とセパレートされるのは嫌だ」と話してくれたのが印象的でした。

杉原:カテゴライズされるのが嫌だということですよね。

上野:そう。カテゴライズされたくない。だからマスターズが大好きですってね。その成田選手の話のなかで一番印象に残っているのは、成田選手が訪れた国の中で、日本も含めて一番環境が整っていたのは“オーストラリア”だって言ったんです。なんでですか?って聞くと、オーストラリアの空港に降りて大会会場やホテルに行くまでや、街の散策を楽しんだりして日本に帰ってくるまでの間に、自分が障がい者であるということを一度も感じなかった。すべてが自然に流れていると。

杉原:バリアフリー化が進んでいるということですよね。

上野:ハードもソフトも完全にバリアフリー化されていると。人間のマインドもね。それを一番実現できているのがオーストラリアだと聞いて、私にとってすごい衝撃でした。わたしはそんな風に日本を変えたいんです。

上野直彦
兵庫県生まれ。スポーツライター。女子サッカーの長期取材を続けている。またJリーグの育成年代の取材を行っている。『Number』『ZONE』『VOICE』などで執筆。イベントやテレビ・ラジオ番組にも出演。 現在週刊ビッグコミックスピリッツにて連載となった初のJクラブユースを描く漫画『アオアシ』では取材・原案協力を担当。NPO団体にて女子W杯日本招致活動に務めている。Twitterアカウントは @Nao_Ueno

(text: 宮本 さおり)

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