対談 CONVERSATION

椅子だって医療がつながる!野呂影勇教授が語る“人間工学の力”

HERO X 編集部

座る、立つ、歩く。人間の動きの一つ一つについて工学的なアプローチで研究する人間工学。近年、医療との結びつきが加速するこの領域は今後、私たちの生活にどのように繋がりだすのか。医療と人間工学を接続させた第一人者、早稲田大学名誉教授で株式会社エルゴシーティング代表の野呂影勇氏に「HERO X」編集長・杉原行里がお話をうかがった。

杉原:本日はよろしくお願いします。まずは、先生のこれまでの研究についてお話をうかがえますでしょうか。

野呂:医学と人間工学について。整形外科は、X線やMRIなどを使い身体を調べて、どこが悪いか、身体とくに筋骨格系に関する疾病を診断することには卓越しています。しかし、その疾病の発症の原因、それがどういう日常生活環境から出てきたのかということにはあまり関心がないことが多いです。医者はそういう教育を受けていないですから。僕の場合は、早稲田の理工の出身で、その後は慶應義塾大学に移り、研究を進めました。慶應は医学部を持っていますから、ここで、医学との出会いがありました。工学の我々が強いのはモノづくりで、医学と繋がるところがいろいろと出てくる。例えば、疾患原因が日常の座り方の悪さということもありえますよね。椅子に座ることは、お尻と関係があり、どういう筋肉や骨があって、お尻の外形があるかに深く関係しています。コンテンツを充実させることに人間工学は強い。一方、外形は外観の良さに関係して商品として真っ先に必要なのです。そこはいわゆるインダストリアルデザイナーの方が得意としているわけです。

杉原まさに僕ですね(笑)。

野呂:そうです。インダストリアルデザイナーと我々人間工学──やっていて気が付いたのですが、お互いに敵と味方のような関係ですね(笑)。しかし、インダストリアルデザイナーの人たちの方が飯を食うのに長けている。

杉原:ありがとうございます。

野呂:インダストリアルデザイナーの方たちは、出身がスモールオフィスの方が多く、自立してやっていらっしゃる。ところが、人間工学を研究している我々を大学が雇ってくれている、という体制ですから、飯は授業で(笑)。その違いは大きいです。

例えば、何かを開発するとします。製品は金額があって、モノにはそれ相応の金額がありますよね。枕なら枕なりの金額がある。車なら50万円は安いとなりますが、枕がもし50万円と言われたらどうですか。高すぎると感じるはずです。モノには生れてきた由来があって、相応の単価があります。この感覚が、大学人には弱い。マージンの中の5%をインダストリアルデザイナーがとってしまったら、我々工学はとるところがないわけです。形以外に、メーカーをこちらに向かせるためには何が必要か、となると「医学」かなと。とうことで、わたしは今に至り、医学を掛け合わせた人間工学の分野を推し進めている訳です。人間工学とインダストリアルデザイナーの勝負はそう簡単にはつかない、そう思っています(笑)。

杉原:僕は先生と発想が違って、5%を分けるのではなく、その価値を高め、10%、15%に増やし分けることを考えます。

野呂:それはお見事ですが、現実にはなかなか難しい。例えば、パラリンピックなんかで、国からお金がでているとかだとできるかもしれませんが。

杉原:RDSでは、ほとんどのプロジェクトは補助金を貰わずに、できる限り自己資金で進めてきました。開発のスピードを維持するために。

野呂:それはすばらしいですね。

医学と人間工学
なぜ結びついたのか

杉原:人間工学とは実際どんなもので、どうやって医療とつながるのでしょうか。

野呂:先日、北九州にある、サービス付き高齢者住宅を見学してきました。1階が共有施設で2階3階が住宅。階段やトイレの手すりなど、人間工学的に必要と考えられるものは全て備え付けられていました。今は人間工学が社会装置化している。人間工学とはなんぞやと30年くらい前に言われていたことはもう、その必要がないくらい浸透していると思いますよ。これからは、もっと踏み込んで、「人間工学が、新たに何をすべきなのか」が問われてくる。自分の場合は医学との関係を構築することでした。

産業医科大学で医学部の教授として8年勤務しました。医学部ですから、脳神経外科をはじめ、医学の領域について知識を得る場が、いろいろと揃っています。ある時、同僚(医学部の教授たち)から「お前は医学のことぜんぜん分からないじゃないか」と言われたことがありました。でも、逆もそうで、あちらは人間工学のことを知らない。

医者は、社会の機構として組み込まれており、整形なら整形のことだけ、耳鼻科なら耳鼻科のことだけに特化してやっていけます。その反面、専門外のことはあまり知らない。でも自分は医学部に籍を置いていた工学者としては、深くは知りませんが、脳神経も耳鼻科も整形も平等に知っているという強みがあります。こうした広範囲にまんべんなく知っているという状況は医者には少ない。ということで、工学の僕がやれば、医療×人間工学のアプローチとしてそれなりにやれることがあると思いました。

杉原:僕らは車いすをつくるのに、お尻の計測がすごく難しいと思っています。お尻は座るとつぶれてしまうので。あと、背骨との関係性も難しい。野呂先生はその座面を研究されているわけですが、どんなことをされているのでしょうか。

野呂計測とは何か。お尻がつぶれるは、臀部の筋肉に圧がかかっている状態です。

圧のかかり方が微小ですと快感に近い感覚ですが、強くなると痛みに代わります。お尻に均等な圧がかかればよいのですが、臀部形状が複雑なので難しいのです。

背骨との関係は、身体を支えることにあります。背骨には、中枢と末梢神経が走っているので、無理な支え方では強い痛みが生じます。 下半身の血流も圧により阻害されますので、むくみやしびれの原因となります。座るという一見簡単な動作ですが、生理的には複雑です。何でも計測可能な現代、しかし得られたデータの解釈に医療×人間工学の専門性が要求されます。

人間工学が支える在宅医療とは

杉原:人間工学と医療、私たちに身近なところでいうと、どのような方面でつながりが持たれるのでしょうか。

野呂:2018年は大変重要な年で、厚生労働省が指針を出し診療報酬を改訂、遠隔医療に世の中が向き始めています。すでに全国でいくつかの遠隔医療のサービス機関が立ち上がっています。入院から完治または終末まで病院で過ごすのではなく、一定の回復をしたら自宅で療養する方法へとシフトしはじめています。この段階、人間工学がすごく重要になります。例えば、院内では壁に手すりがついていて、転倒を防止するつくりになっています。ベッドも一定水準のものが備わっておりますが、個人宅は千差万別。ベッドか布団か。枕はどうかなど療養者の睡眠に影響します。厚労省のオンライン診療の指針にある診療支援の一つとしての人間工学的介入が望まれます。

杉原:なるほど。

野呂:遠隔医療の流れは早いと思います。人間工学との連携は今後、密接になっていくと思います。例えば、筑波大学大学院 人間総合科学研究科では「遠隔看護外来システム」のなかでその重要性を位置付けております。

杉原:先生のところでは医師のための椅子を作られていますよね。

野呂:この椅子(写真)は背あてに特徴があります。最近の手術は昔と違い、眼科など、細かな部分を扱う時には、手術する部分を立体映像化して4K大画面に映し出し、その画面を見ながら手術する(ヘッドアップモニターシステム)ことが増えました。細かい部分を扱う手術は、顕微鏡を覗きながらでも、モニター式となっても、変わらず執刀医は椅子を使います。普通の椅子は執刀中の前かがみの姿勢により背あてと背中の部分に空間が空くのですが、この椅子では超軟質の筒状の背あてを前進させて背中に接触させることで執刀に有害な身体の動きを安定化させます。

背中の緊張を和らげ円筒型背あてと座面の絶妙な傾斜で腰部も楽だと好評の眼科執刀医用椅子

手術中は足もとで器具を操作することもあるため、足が使いやすいように座面には少し傾斜がつけてあります。

杉原:利用者、眼科の執刀医師のニーズにあった椅子ということですね。

野呂医師とコラボすることは素晴らしいことですが、そのために配慮するべきこともあります。医療の対象は、患者です。倫理委員会等で病院では、がっちりとガードされております。それを乗り越えてコラボまでにこぎつけるだけの高い説得性と信頼性が工学側にも求められます。そのうえで、人間工学は今後、もっともっと医療の現場で、そして、人々の生活の中に、身近に存在するものになるでしょう。

早大理工 ピアノを弾くロボット(科学万博つくば’85 故加藤一郎教授による)の前で語り合う二人

野呂 影勇
1937年生まれ。早稲田大学名誉教授、エルゴシーティング CEO。業績は前半1982年から1999年までと後半2000年から現在(2018)までに大別。前半は国際学会への貢献、国際誌の編集。代表的な成果は、参加型人間工学の概念と方法論を提案し、1991年にTaylorFrancisから出版の英書「参加型人間工学」が国際的なベストセラー。後半2000年のローマ大学ラサピエンツァ招聘教授就任を境に、臨床医学×人間工学が主な研究に、加えて医師とのコラボで旅客機シート、呼吸枕、執刀医用椅子、運動具の開発を行った。20188月 人間工学の国際貢献に関してフェロー賞を受賞。

(text: HERO X 編集部)

(photo: 壬生マリコ)

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対談 CONVERSATION

モータースポーツの未来を駆けるMIE RACING

Yuka Shingai

新型コロナウイルスの影響か、他人との接触を抑えて移動ができるバイクの人気が上がっている。2021年上半期の二輪免許の新規取得数は約13万7000件と前年同期比36%増、それに伴いバイクの販売台数も飛躍的に伸びている。モータースポーツ人気も白熱しそうな今、1人の日本人女性がスーパーバイクの命運を賭けて世界中を奔走している。チェコ・プラハに本拠地を置くMIE RACING (エム・アイ・イー・レーシング)代表取締役・森脇緑氏だ。HERO X編集長・杉原がスーパーバイクの可能性や、モータースポーツの未来について、森脇氏と語った。

モータースポーツが好きな若者に
チャンスを与えることが活動の源泉

杉原:今日はよろしくお願いします。世界を駆け巡る緑さんですが、今日はどちらにいらっしゃるのでしょうか?

森脇:バルセロナ空港の駐車場です。今からイタリアに向かいます(笑)。

杉原:そんな中、ありがとうございます。まずは、緑さんが現在のビジネスを始められたきっかけを教えていただけますか?

森脇:生い立ちから話しますと、祖父は “ポップ吉村”の愛称で知られたオートバイチューニング技術者で、オートバイ部品・用品メーカー、ヨシムラジャパン創業者です。その昔は全日空や米軍基地で飛行機やマシンの整備士もしていました。父の森脇護は、元オートバイレーサー、元レーシングドライバーで現オートバイチューニング技術者。二輪・四輪車用品・部品メーカー、モリワキエンジニアリングの創業者で、発明家でもあります。

モータースポーツにゆかりのある家庭で育ったので、私は工業高校卒業後、オーストラリアで1年、アメリカで1年、SUZUKI系列のチームでアシスタントマネジャーを担当していました。と言っても、勝手に行ったので勘当同然だったのですがね。

杉原:まずそれが信じられないです。ある日突然子どもがオーストラリアに行っちゃったら、ご家族はどれだけびっくりするか。

森脇:親はカンカンでした。アメリカで仕事を始めて1年くらい、90年代後半に法規制が変わり、国内販売だけでは商売が立ち行かなくなりそうだからレースや輸出も含めて海外進出を手伝ってほしいと両親から連絡があり帰国しました。その後、2003年頃からMotoGPのレースに参加し始めました。ワールドスーパーバイク(スーパーバイク世界選手権)については今から4年ほど前に自ら計画して、2019年にホンダ・レーシングとともに参戦しました。2020年にモリワキエンジニアリングを離れて、自らのチーム「MIE RACING」として参戦しています。

杉原:ご自身のチームとしてワールドスーパーバイクに参戦されたのは何か理由があったんですか? MotoGPとスーパーバイクの違いも合わせて教えていただけますか。

森脇:F1とGTレースみたいなものですね。F1はレース専用に開発されたマシンであることが特徴で、GTレースはストリートで走れる市販の自動車をレース用に改造したマシンです。MotoGPはF1のようなプロトタイプですから公道では走れない、レースのために生まれたバイク。スーパーバイクは普通に買えるバイクをレギュレーションの中でチューニングしてパフォーマンスを行います。

私にとってレース参戦は、もちろん好きだからというのもあるけど、全て未来に繋がる活動なんですよね。モータースポーツが好きな、世界中の子どもたちにチャンスを与えたいんです。レースのために作られたマシンで走るMotoGPはハードルが高く狭き門なのでチャンスがなかなか得られません。それよりも、スーパーバイクのほうが若きライダーにとって可能性があります。

とはいっても自分のチームを回して、ライダーを送り出すだけでは意味がなくて。レースが盛んな欧州圏以外、東南アジアとか南米にも素晴らしいライダーはいるんだけど、自国で走れる環境も理解者もいないのでとにかくチャンスがないわけです。だからといって、他のチームに訴えかけても机上の空論に走ってしまうかもしれない。だったら信念を貫くためには自分でチームを持って自分でやろうみたいな感じです。私シンプルなんですよ。

Motogp(2003)と
ワールドスーパーバイク選手権の
チームを立ち上げた女性は世界初

杉原:今年加入したレアンドロ・メルカドはアルゼンチン出身のライダーですね。あえてこの聞き方をしますが、日本人女性がチーム運営するというのは相当レアではないですか?

森脇:レアというか、4輪2輪も合わせて、国籍に関わらず女性が1からチームを立ち上げることが世界初らしいです。大変ですよねって言われますけど、逆に大変じゃないことなんて世の中にないじゃないですか。もちろん誰かに頼まれているわけじゃなくて、自分の意志で挑戦しているんだけど、モータースポーツ独特の慣習を乗り切る上では、押すだけじゃなくスマートに立ち回らなくてはいけないシーンも数々ありました。常に未来を考えながら、一歩ずつ着実に結果を出していくことで20数年やってきた感じですね。

杉原:女性限定フォーミュラ選手権「Wシリーズ」が登場して、女性の参加も増えてきましたが、モータースポーツにおける男女比はやはり機械が関わってくる分、男性が多くなってしまいますよね。

森脇:欧州でもモータースポーツはなかなか女性が入っていけない、関心というか接点を持ちにくい世界ではありますね。レースの見た目はすごく派手だし華やかな世界だけど、それは最後の数パーセントの話であって、残りは日々のプランニングの積み重ねです。

杉原:それでも、緑さんは挑戦を続けてきた。

森脇:当然、レースの結果で嬉しいことも苦しいこともあるけれど、私はいつも数か月後、数年後という未来、自分の立ち位置はその時どうあるべきか、何を世の中に残せるのかを見ているんですよ。

今って、色んなことが規則で縛られて自分の意見が言えないとか、正しくあらねばならないとか生きづらい時代でもありますよね。だけど正しさなんて人によって解釈が違うし、正論もあるようでない。法律がジャッジしているにせよ、法律だって国によって違うものですし。だったら男女とか年齢は別にして、自分としての人生をどう生きるかの方が大事ですよね。周りに「間違ってる」って言われても、自分の人生を歩もう、自分もやってみようって勇気に1人でも繋がればと思っています。

モータースポーツによる技術革新を
伝えていくのもこれからの役目

杉原:“未来”が緑さんにとってはキーワードのようですが、モータースポーツで作っていきたい未来はありますか?

森脇:EV化により、いま世界が大きく変わろうとしています。実際は15年ほど前から議論されていますが、人々に直結するようになったのはほんのこの数年で、百数十年の自動車の歴史で、ここまで変化が起きようとしているのは初めてのことなんですよね。モータースポーツって環境に悪いというイメージを持たれていますが、この技術がどんなところに影響しているのかは伝えていきたいです。私たちがどう考えて活動するかで、未来がどうなるか結論が出る感覚はありますね。

杉原:モータースポーツが環境に悪いという指摘には僕も疑問を感じます。燃料をふんだんに使っていたらそもそも走れないし、勝てないですよ。少ないガソリン、電気でいかに高エネルギーを排出するか、僕たちは計算しています。F1全体で走行によるCO2排出は0.7%程度で残りは人や移動によるものなんですよね。

森脇:燃費をよくしないとレースも終えられないことを鑑みて発達してきた技術がたくさんあるのに、皆さんあまりそこを伝えてこなかったんですよ。ファンスポーツとしてだけの扱いになってしまうのはもったいない。環境問題に関すると、現時点では車が分かりやすい存在として議題に上っているけど、トライアル&エラーを繰り返して乗り越えていくと思います。簡単な話じゃないですけどね。

大きな変化に直面しても
世界は繋がっている。
日本の若者にも挑戦してほしい

杉原:MIE RACINGの拠点はチェコ・プラハですよね。日本と海外の違いを感じることはありますか?

森脇:技術というよりは感覚の違いが大きいかもしれないです。日本は島国だから、どうしても日本と海外って分けて考えがちですが、世界は繋がっています。グローバル化しているんだから、日本の若い人たちにももっと挑戦できるよ、近いよって伝えたいです。

杉原:そして、いつもわくわくする未来のことを考えている。

森脇:もちろん! 大事にしたいのは前を見ること。過去の自分の努力ではなくて、何が悔しかったか、そして痛みを忘れないことだと思っています。あとは、お世話になった人に感謝するのは当たり前だけど、受けた礼を次の世代にも受け継ぐこと、感謝のリレーを絶やさないようにしたいです。

杉原:コロナ禍を含めて、社会は大きな変化に直面していますが、モビリティの変化もものすごい勢いですよね。その中で、僕たちは楽しく課題解決できればと思います。

森脇:いろんなものが生まれては消えていくと思います。第二次世界大戦後に日本にはバイクメーカーが120以上あったのが、淘汰されて今は4メーカー。それくらいカオスな時代って新しいものが生まれるタイミングなんですよ。そこでどう志を持つかによって、その後の人生や時代を生き抜く道が見えるので、私にとっては挑戦し続けることが自分自身を保つ、唯一の手段だなと思っています。

杉原:夜明け前が一番暗いのと同じですよね。日本は空前のバイクブームが訪れそうなのでMIE RACINGが一石を投じてくれることに期待しています。単純に移動手段としてではなく、豊かさや楽しみとしてバイクやモータースポーツがあってほしいですね。

森脇緑(もりわき・みどり)
父は元レーサーでモリワキエンジニアリング創設者の森脇護氏、祖父は“ポップヨシムラ”こと吉村秀雄氏という環境に生を受ける。工業高校卒業後は世界のオートバイ事情の把握と語学を身に付けるためオーストラリア、そしてアメリカへ単身渡豪米。20歳で日本に戻り2003年から2005年にかけモリワキ自社製レースマシンMD211VFで2輪界最高峰クラスのMotoGPクラスにスポット参戦。2010年にはモリワキ製シャシーのレースマシンMD600起用のGresini Racingチームが、MotoGP直下のMoto2クラス初年度世界チャンピオンを獲得。
その一方で、2008年には欧州、アメリカ、アジア地域において、それら各国内のオートバイレース協会と協力し、モリワキ・ジュニアカップを設立。Moto3クラスへのステップとして、モリワキ製MD250H (Moriwaki Dream 250 Honda) を使用し、世界選手権を目指す若いライダーたちの準備の場所を提供する活動も展開。2018年3月に海外での産業展開も視野に入れ「株式会社MIDORI」を、また同年11月には「MIE Racing s.r.o」をチェコ・プラハに設立。 2019年ホンダレーシングを代表し、スーパーバイク世界選手権のプロジェクトをスタート。Moriwaki Althea Honda Teamのチーム監督としてプロジェクトを指揮し、スーパーバイク世界選手権の舞台に、HRCがサポートするチームを17年ぶりに復活させる。
2020年よりMIEレーシングとして新たなスタートを切り、2021年シリーズのポルトガルではチーム設立以来の最高位でフィニッシュ。パフォーマンスが良くなってきている中で今後更なる躍進が期待される。

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(text: Yuka Shingai)

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