医療 MEDICAL

銃で撃たれて半身麻痺に。車いすの新大統領レニン・モレノが掲げる政策とは

岸 由利子 | Yuriko Kishi

2017年5月24日、南米エクアドルの大統領に就任したレニン・モレノ氏(写真中央)。選管発表によると、開票率99.89%の時点で、右派野党クレオ党、元国内大手銀行頭取のギジェルモ・ラソ氏の48.86%に対し、モレノ氏の得票率は51.14%。微かな差で抑えて、みごと当選。ツイッターの投稿で、「投票してくれた人、そうでない人、全ての国民に感謝する」と友好的な対話姿勢を見せるなど、世界的に話題を呼んでいる新大統領です。

2006年の選挙で副大統領に当選して以来、車いすで政治活動を行う政治家として注目を浴びてきたモレノ氏は、当時、エクアドル政府が関心を寄せてこなかった障がい者の雇用拡大など、彼らの権利を守りながら支援に尽力してきた人。

モレノ氏自身も1998年45歳の時、両足の自由をなくし、車いす生活を余儀なくされました。妻とパン屋に寄った帰り道、強盗に至近距離で背中を撃たれて脊椎を損傷し、その後遺症で両足麻痺が残ったのです。約4年に及ぶ闘病中、「死にたい」と思ったこともあったと言います。しかし、見舞いに訪れる人が飛ばす冗談につられて笑うと、傷の痛みも和らいだーこのことが、絶望を乗り越えるひとつのきっかけになり、その後、著作や講演を通して、自らの克服体験を社会に広めていきました。

「体や心が病んだ時、最良の薬はユーモアだ」

「もう一度生き直そう。病むのではなく笑おう」

リアルな体験から生まれたモレノ氏の名言は、どれもシンプルで力強く、勇気が湧いてくるものばかり。

1950年代、教員だった両親の赴任に伴い、ペルーの国境に接するオレリャーナ県に移住。モレノ氏は、貧困にあえぐ先住民に決して多くはない自分たちの給料を惜しみなく分け与える父母から、「助け合いの精神」を学んだと話しています。

公約には、貧困層への無償住宅の建設や高齢者向けの年金創設など、コレア政権の継承を宣言。自身のことを「対話と合意の人」と述べ、秀逸なウィットに富んだ人柄が、国民に絶大な人気を得ています。

「(大統領として)最も忘れられている人たちのために働く」と語るモレノ氏。

彼こそが、世界のリーダーのあり方を大きく変えてしまうかもしれません。

[引用元]http://www.reuters.com

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

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“脳卒中が治る”未来を描く、リハビリテーション神経科学の可能性【the innovator】前編

長谷川茂雄

慶應義塾大学理工学部でのBMI(ブレイン・マシン・インターフェース)研究を経て、“リハビリテーション神経科学”という新たなサイエンスを打ち出した牛場潤一氏。「脳の機能は、一度でも深刻なダメージを受けると回復できない」という医学界では当たり前の概念を、自ら覆そうとしている同氏は、“医”と“工”の壁を取り払い、そこを行き来することで、「脳卒中による身体の麻痺が治る未来が見えてきた」と語る。それは異端が思い描いた幻想などではない。純粋な探究心と行動力、ユニークな発想が実を結び不可能を可能にしつつあるのだ。その現状を知るべく、まるでバーが併設したアート展示空間のような牛場氏の研究室を訪ねた。

小学生のときに抱いた
AIへの興味がすべての始まり

牛場氏の研究室には、バーカウンターが併設してある。ここは牛場ならぬ通称“ウシバー”。グラスを傾けながら学生とディスカッションすることもしばしば。とても理工学部の研究室には見えない。

脳科学が身近に感じられるようになった近年。BMI(ブレイン・マシン・インターフェース)という言葉もよく耳にするようになった。脳にダメージを受けた人が、自らの脳波を信号に変えてデバイスを自由に動かす。ひと昔前ならSFで描かれたようなテクノロジーが、もはや当たり前になりつつある。

そんなBMI研究の第一人者である牛場潤一氏は、慶應義塾大学理工学部に籍を置きながら、脳の本質を理解すべく学生の頃から医局に頻繁に出入りし、医学の知識を深めるとともに独自の研究スタイルを確立させてきた。まさにの二刀流といえるのかもしれない。

「もとを辿れば、小学生の頃にAIの研究をしている理工学部の大学院生に、プログラムを教えてもらったことがきっかけでした。それから僕は人間の知能とはパソコン上に実装できるのか? そんなことを考えるようになったんですね。ちょっと早熟だったかもしれません(笑)。でもAIのしくみは、実際の人間の脳とは違う。そう思うようになってから、今度は、生理学とか医学の勉強をし始めたんです」

目指すべきは
行き来できる知識と技術の習得

研究室のいたるところに、牛場氏が書いたこの空間の目的やヴィジョン、哲学などが展示してある。インスタレーションのように、来訪者のために特別にディスプレーすることもあるという。

小学校のときには、もうすでにロールプレイングゲームを自分で作り、中学校、高校時代も、人間の知能はどうすればパソコンという魔法の箱に組み込むことができるのか? そんな近未来的な技術の探求に没頭したという。そこから人間の脳そのものに興味を持ったとき、祖父が脳卒中を発症。会話ができなくなり、人格も変わってしまった。

「やっぱり脳って、(人間の)すべてのコントローラーそのものなので、そこに病気があると、本人も周囲の人間もこんなに苦しむのだと実感しました。だから、脳の本質を理解することができたら、祖父のように脳の病気で苦しんでいる人たちに福音をもたらすような技術が作れるのではないか? そのために医学のことを一度しっかりやって、それを自分が好きで追い求めてきた理工学の分野に活かそうと。そういう道筋は、自分にしかできないのではないかと思うようになったんです」

祖父の脳卒中も転機となり、牛場氏は理工学と医学の世界を行き来できる、ハイブリッドな知識と技術を習得したいと考えるようになった。それが現在の研究スタイルの土台にもなっている。

「医学も深く知りたかったのですが、残念ながら医学部に入れるほど頭が良くなくて(笑)。結局、理工学部に入って、なるべく医学に近い研究室に潜り込もうと、いろいろ工夫したんですよ。医学部の授業も履修して単位振替をしたり、ツテを辿って医学部のリハビリ科出入りさせてもらえるようにしたり。医局に席をもらって、医局員の人たちと机を並べて研究ができるようにもしていただきました。それは今でも感謝しています」

かくして理工学部生でありながら医局に入り浸るようになった牛場氏。あいつは医者だっけ?と周囲から言われるぐらいに溶け込もうと努力し、そうこうしているうちに、ドクターから、入局した新人が受ける解剖学の試験を受けてみろと言われたという。

「これはチャンスだと思いました。それで猛勉強をして、その年に受験した人のなかでトップの成績を取ったんです。そしたら周囲からこいつは本気だ!と認められて、なんとか仲間に入れてもらえたんですよ。それからは、現役のドクターにいろんな楽屋話を聞いたり、疑問があれば質問したりしながら医学的知識と医療現場の認識を深めていきました。でもドクターが診療をしている平日の日中は、理工学部に戻って電気回路やプログラミングを学ぶというライフスタイルを続けて。そんな学生時代で得られたのは、医療に使える技術だけを追い求めても、患者さん一人一人のヒストリーや現場の様々な泥臭いことと向き合わなければ、フェイクでしかないということでした」

生物本来が持っている力で
脳の機能も回復するはずだ

研究室のソファ周辺には、牛のオブジェやチェアが。学術的な雰囲気と最新のテクノロジー、牛場氏の遊び心の詰まったユニークな空間だ。

自分がのめり込んできた理工学的な技術と、医局や現役ドクターから見聞きする医療のリアル。それを結びつけるのは、教科書や座学で得られる知識だけではないと痛感した。そしてを深く掘り下げて初めて見えてきたのは、リハビリテーション神経科学という新しいサイエンスの形だった。それが、牛場流BMI研究へと繋がっている。ハイブリッドな知識と技術を、セオリーだけで成り立たない医療現場に生かす。それは常識を打ち破る挑戦でもあった。

「自分は、そんな流れを経てBMIの研究をしてきたわけですが、注目したのは、脳のやわらかさ、つまり可塑性なんですね。ノーベル生理学・医学賞を受賞したラモン・イ・カハールが言うように、神経は一度切れたら再生しないと長らく信じられてきました。だから脳卒中の患者さんは麻痺が一生残るし、治療介入しても治らないとされていますが、脳の中には損傷をまぬがれた、健康な状態の神経がまだ残っています。自分はテクノロジーをうまく使って、そういった脳部位が本来持っている治る力を引き出そうと考えたんです。そういう設計のデバイスを作れば、患者さんの脳のなかに残された書き換わる力が働くはずだと」

まさに医学と理工学、そのどちらか一方を追求しただけでは得られない牛場氏ならではの視点。それは、あたかも医工連携を一人で実践しているような印象さえ受ける。

手に持っているのが脳波を検出して脳内の運動情報を読み取るBMI。

「僕自身は、医工連携という言葉は、あまり好きではありません。脳や人間を治そうとしたときに、その性質や特性にフィットするテクノロジーをデザインすることで価値を生み出す。それは当たり前のことだと思うんです。医の側はこれをやって、工の側はこっちをやりますというような分業制ではなく、本来は一体的なものであるはずなんです。自分の専門がリハビリテーション神経科学という言い方をしているのには、それを標榜する意図もあるんですよ」

後編へつづく

牛場潤一(うしば・じゅんいち)
1978年、東京生まれ。慶應義塾大学理工学部生命情報学科准教授。2004年に博士(工学)を取得し、同年から慶應義塾大学理工学部生命情報学科に助手としてキャリアをスタートさせる。専門は、リハビリテーション神経科学。2008年よりBMI研究を開始し、理工学部からの新たな神経医療の創造を目指している。芸術や音楽への造詣も深く、学生時代はファンクバンドやジャズバンドでトランペットを担当していた。祖父は、慶應義塾大学医学部第8代医学部長の牛場大蔵氏、父は、應義塾大学名誉教授でフランス文学者の牛場暁夫氏。
http://www.brain.bio.keio.ac.jp/

(text: 長谷川茂雄)

(photo: 河村香奈子)

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