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エクストリーム×ストリート×ミュージック!究極のエンターテイメントを目指す「CHIMERA GAMES」とは?【エクストリームスポーツ文化の作り方】

中村竜也 -R.G.C

同一個体内に様々な細胞が混じっている事や状態を意味する“Chimera(キメラ)”に準え、FMX・スケートボード・インラインスケート・BMX等のエクストリーム/ストリートカルチャーに音楽フェスを融合することで、大人から子供まで楽しめる体験型エンターテインメントとして注目されている[CHIMERA GAMES(キメラ・ゲーム)]。今回はその全貌に迫るべく同イベントのエグゼクティブプロデューサーをつとめる文平龍太氏にインタビューを敢行した。

各ジャンルで活躍するトッププレーヤーやミュージシャン達が一堂に会し、新しい一つのカルチャーと言っても過言ではないこのビッグイベントは、一体どのようにして誕生したのだろうか。

CHIMERA GAMESエグゼクティブプロデューサーの文平龍太氏

大きな心で受け入れたCHIMERA GAMESという物語の原点

「現在もFMX(フリースタイルモトクロス)ライダーとしてCHIMERA GAMESに参加してくれている加賀晃選手から、FMXをもっと盛り上げたいという話をもらったのが一番初めのきっかけです。ただそれだけだと集客に限度があるのではと感じていたので、スケートボード・インラインスケート・BMXなどカルチャーというバックボーンがあるジャンルを全部集めて、皆が持っているファンを皆でシェアし、各々が光り輝いているところを存分に見せられる場所を作ればいいんじゃないの。というところがCHIMERA GAMESの出発でした」。

写真提供: CHIMERA GAMES

手探りの状態から始まったCHIMERA GAMESだが、回を重ねても決してブレない心情があると文平氏は言う。「開催するにあたり、毎回コンセプトとして統一しているのは、“最高のパフォーマンスも魅せるけど、どれだけ入り口を優しくできるか”というところです。分からない人が楽しめなくては、やっている意味がないと思っているので。結局この手のカルチャーを好きな大人だけが楽しむのであれば、既存のイベントと差別化が出来ないじゃないですか。大人から子供まで幅広い層に体感し、感じてもらいたいんです」。

目の前にあるものを実際に手で触れてもらい、耳で音を感じることは、現場でしか経験できない。そんな場を提供することで各カルチャーの底上げになれば、それは願ってもないことなのである。「最近では、お客さんが遊び慣れしてきてくれているなというのはすごく感じています!一回来てくれた方達が、今度はその仲間や家族を誘ってきてくれているから、遊び方が自然と伝わっていくんでしょうね。CHIMERA GAMESは魅せるだけではなく、体感し遊んでもらうことにも重きを置いているので、こんなに嬉しいことはないですね」。

写真提供: CHIMERA GAMES

CHIMERA GAMESが持つもう一つのテーマ

「子供達に、学校で学ぶことの中にはないものを選択して遊べるということを、教えてあげたかったんです。昔の子供に比べて今の子は、ルールや枠の中から飛び出して冒険する機会が少なくなってきていると思うんです。だからこそ、自ら考えてチャレンジできる場所を提供してあげたいなと考えていたんです」。

文平氏の話を聞いていると、不思議と懐かしさを感じる所がある。懐が広く、やるべきことを提供するだけでなく、愛情を持って向き合ってくれる今の時代には数少ない人物だからだ。それは、古き良き昭和の時代にいた、悪いことをしたら叱ってくれる近所のおじさん的な匂いなのかもしれない。

前回、盛り上がりを見せたRIZEのライブ (写真提供: CHIMERA GAMES)


挑戦し続け、見据える未来

「自分たちが楽しみたいものを、自分たちで持ち込む事で、自然に大きな波となっていったら嬉しいです。そのためには、いい意味で子供を子供として扱いませんし、大人と同じ土俵に居させることが必要なんだと僕自身思っています。何というか、今の時代にはなくなった、人間形成やコミュニケーションが詰まった縮図のような存在になれれば嬉しいですね。だからこそ商業的であってはいけないのかな」。

ジャンルの壁を取っ払い、好きなことをとことん突き詰め伝えていく作業を繰り返し、新たな“カルチャー=CHIMERA GAMES”と認知されるまで続く文平氏の挑戦。この先の動向を含め、さらに深く掘り下げるべく、Vol.2 では弊誌編集長との対談をお届けします。

(text: 中村竜也 -R.G.C)

(photo: 長尾真志 | Masashi Nagao)

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元F1ドライバー、アレッサンドロ・ザナルディ 世界的ヒーローが歩んだ七転八起の半生【Alessandro Leone Zanardi】

岸 由利子 | Yuriko Kishi

モータースポーツが好きな人なら、彼の名を知らない人はいないだろう。元F1ドライバーで、米国のCARTシリーズ(現・インディカ―)では、イタリア人初の快挙となる2大会連続王者を獲得するなど、輝かしい功績を持つアレッサンドロ・ザナルディ。両足切断から16年、パラ自転車競技“ハンドサイクル”の選手に転向して以来、飛ぶ鳥を落とす勢いで世界の頂点に上り詰めたザナルディ。今回はその軌跡を辿ります。

原点はF1。CARTで無敵の連勝、アメリカで愛される陽気なイタリアン

ロンドン・パラリンピックのH4ハンドサイクル・タイムトライアル、ハンドサイクル・ロードレースの2種目で金メダル、ハンドサイクル・チームリレーで銀メダルを獲得。続く2016年リオパラリンピックでは、H5タイムトライアルとハンドサイクル・チームリレーの2種目で金メダル、ハンドサイクル・ロードレースで銀メダルを獲得。通算4つの「金」と、2つの「銀」を手にしたアレッサンドロ・ザナルディは、今や、誰もが認めるパラ競技界のヒーロー。しかし元を辿れば、1991年スペインGPで新興チーム「ジョーダン」から参戦を果たした「F1」こそが、彼の原点でした。

ロータス、ミナルディなどいくつかのチームへの移籍を繰り返し、F1には1994年まで参戦。1996年より、活躍の場をアメリカのCARTシリーズに移し、強豪チーム「チップ・ガナシ」のドライバーとして新たなスタートを切ったザナルディ。初年度よりランキング3位を獲得し、1997年には5勝、1998年には7勝と、まさに怖いもの知らずの強さで2年連続チャンピオンに輝き、サービス精神旺盛で陽気なキャラクターと、それとはうらはらな脅威の速さで、アメリカ人ドライバーを凌ぐスターダムにのし上がります。

何らかのアクシデントにより、スタートで大きく出遅れたにも関わらず、コース上でさらりと抜き返し、優勝してしまうザナルディ。「もはや意味不明」と専門誌の記者を唸らせるほど、CARTシリーズで圧倒的な強さを保持していました。その活躍が高い評価を受け、1999年に「ウィリアムズ」からF1に復帰するも、入賞のチャンスには恵まれず、1年の休暇を経たのち、再び2001年よりCARTシリーズに参戦します。

大事故で両足切断から2年、燃えたぎる情熱でレースに本格復帰

しかし、ここでもまた思うような結果が出せず、苦戦していたところ、同年の9月15日、ドイツのラウジッツで開催された第16戦では、序盤からトップを順調に走行し、優勝が目前に迫っていました。そして、残りわずか16周となった時、その事故は起きたのです。依然として、トップ走行中のザナルディのマシンが左を向き、バランスを崩した瞬間、後続車がモノコック側面に時速320kmで追突し、2台は大破。

ザナルディは、出血多量で生命の危険にさらされましたが、一命を取りとめるも、激しい損傷を受けた両足は、膝上で切断せざるを得ませんでした。
しかし、その後も、レースにかける情熱は留まることを知らず、事故から2年と絶たない2003年に、ハンドドライブ仕様のツーリングカー選手権でレースに本格復帰を果たします。

2005年より「WTCC(世界ツーリングカー選手権)」にBMWから参戦し、8月にはかつての事故が起きた国、ドイツで開催されたレースでみごと初優勝を成し遂げます。その後、5年間参戦したレースでは、毎年優勝を飾った大戦士・ザナルディ。その名は世界に広く知れ渡り、モータースポーツファンの心を鷲づかみにしました。

「自分の人生は果てしなく恵まれていると感じる」

しかし、長くは一所に立ち止まらないのが、彼の性。レースの頂点を極めた後、次なる頂点をすでに目指していたのです。

2009年、レーシングドライバーを引退したザナルディは、息つく暇もなく、ロンドン・パラリンピック出場とメダル獲得をめざして、自転車競技のハンドサイクリング選手に本格的に転向します。引退する数年前から、WTCCと並行して、密かにハンドサイクルにも取り組んでいたという努力の人は、2010年3月21日にローママラソンのハンドサイクリング部門で優勝を飾るなど、めきめきと頭角を現していきました。

ロンドンに続き、昨年のリオの2大会を合わせると、4つの金メダルと、2つの銀メダルを獲得するという偉業を成し遂げたザナルディ。リオパラリンピックのH5ハンドサイクル・タイムトライアル競技で優勝した後、英国BBCに次のように語っています。

「わたしの事故、わたしの身に起きたことさえ、人生における最大のチャンスとなった。今していることのすべては、わたしの新しい状況に関連している」

「助けが必要だった。だからそれが最優先事項だった。1日1日、コントロールと体力を取り戻し、自信を取り戻し、違うことに集中できるようになり、そして今のわたしがある」

F1ドライバーからスタートしたザナルディのキャリアは、CARTドライバーとの間を行き来し、七転八起を繰り返した末、ハンドサイクルという境地にたどり着きました。ここ30年近くの間、いくつもの奇跡を起こしてきた彼はこう言っています。

「とても幸運だと感じている。自分の人生は果てしなく恵まれていると感じる」

“一念岩をも通す”を地で行く自転車アスリートの強靭なスピリットと、そのダイナミックな生き様は、これからも世界中の人々に勇気と感動を与え続けることでしょう。昨年、東京2020の出場について聞かれた際、「その時は53歳。多分メカニックとして参加するんじゃないかな」と答えていますが、実際はどうなのか?今後の動向にも注目していきます。

アレッサンドロ・ザナルディ ウェブサイト
http://www.alex-zanardi.com/

アレッサンドロ・ザナルディ FACEBOOK
https://www.facebook.com/alexzanardiofficial/?fref=ts

[引用元]http://www.alex-zanardi.com/

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

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