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前人未到の2連覇から4年。「豪速のナポレオン」が胸に秘めた覚悟と野望【狩野亮:2018年冬季パラリンピック注目選手】前編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

冬季パラリンピックの花形競技、チェアスキー。中でも「高速系」と呼ばれる2種目で圧倒的な強さを誇り、世界のトップに君臨し続ける男がいる。スーパー大回転で金メダル、ダウンヒル(滑降)で銅メダルを獲得したバンクーバーパラリンピックに続き、ソチパラリンピックでは、両種目で金メダルを獲得するという大快挙を見せた狩野亮選手だ。前人未到の2大会連続制覇を成し遂げてから4年が経とうとしている今、ピョンチャンでの三連覇達成に世界中の期待がかかる。金メダリストとしての覚悟とは?大会に向けたマシンのセッティングから今後の展望に至るまで、狩野選手に話を聞いた。

一意専心。
本番に向けて1ミリずつ上げていくボルテージ

26日間に渡る南米チリ合宿から帰国した取材当日にも関わらず、疲れた表情一つなく、颯爽たる風姿で現れた狩野選手。合宿での充実ぶりを物語るかのように、その目は生き生きと輝きを放っている。

「ある程度、まとまってきたなという手応えは感じています。ピョンチャンのコースも知っていますし、自分なりのベストなランをするための準備はできてきたかなと。ざらめ雪みたいな雪質のソチ大会ほどではないけれど、ピョンチャンも、日本寄りの雪質です。気候は東北地方よりやや寒い感じで、湿度も同じくらい。うまくハマるといいなと思います」

その一方、今の自分をシビアに客観視するもう一人の狩野選手がいる。ソチ大会では、他の追随を許さない強さを見せつけ、高速系種目のスーパー大回転とダウンヒル(滑降)で史上初の2冠を制覇したが、「あの時の自分では、ピョンチャンは勝てない」と話す。

「ソチに限らず、僕はパラ大会が終わった初年度には、4年間かけて作り上げたものを一度、自分の中でガラッと崩しにかかるんです。そこから、4年後に向けて、またいいもの作っていこうと、フレームやサスペンションなどを何度もテストしていくわけですが、どうやら僕は、その最中には結果が出ないタイプの人間らしく、本当に全てが整った時にしか、いい滑りができない。年間を通しても、半分ほどしかゴールできない選手です。ちょうど4年目の今のタイミングでは、前大会で金メダルを獲ったからどうという感覚ではなく、1レースにバシッと合わせていくことだけに集中しています。

予想していたことですが、ここ2~3年は、大輝さん(森井大輝選手)、猛史くん(鈴木猛史選手)や僕の滑りを見てきた若手選手が、僕たちの知らないマシンやサスペンションの使い方をし始めています。次の大会がどうなるか、こればっかりは分からない。覚悟はしているつもりです」

アスリートとエンジニアの
感性を併せ持つヒーロー

チェアスキーと言えば、昨今、F1顔負けのオリジナルマシンの開発に注目が集まっている。日本のトップアスリートたちは、マシンにとって不可欠なパーツの開発を手掛ける各メーカーとタッグを組み、全てをオーダーメイドで誂える。揺るぎないこだわりを持つアスリートにとって最高の一台に仕上げるために、試乗と改良を何度も繰り返し、極限のレベルまで完成度を高めていくのだ。最新技術をふんだんに投入したマシンも開発される中、狩野選手のマシンはピョンチャンに向けてどのように進化したのだろうか。

「出来る範疇で、今のマシンをどこまで高めていけるかということにフォーカスしています。フロントカウルの形は変えました。ジャンプした瞬間、ちょっと前から落ちるなど、滑っていて少し違和感があったので、どうすればそれをなくせるかという発想で作りました。あとはマシンの重量バランスですね。後部に錘(おもり)を積んでみるなど色々試して、新しいカウルとマシンの最適な重量バランスを見つけて、それを新たに組み込んでもらう予定です」

狩野選手は、自分の滑りを客観的に分析するエンジニア的視点を持ちながら、自分のフィーリングを何より大事にする人。「こんな滑りをしたいから、ここをこんな風に変えたい」と各メーカーのエキスパートに伝え、改良を重ねていくという、“感覚主体”のスタイルで開発にあたっている。

後編へつづく

狩野亮(Akira Kano)
1986年生まれ。北海道網走市出身。小学3年の時、事故により脊髄を損傷。中学1年より本格的にチェアスキーに取り組み、2006年トリノ大会からパラリンピックに3大会連続で出場。2010年バンクーバー大会ではスーパー大回転で金メダル、滑降で銅メダルを獲得。2014年ソチ大会ではスーパー大回転、滑降の2種目で金メダルを獲得。同年、春の叙勲で紫綬褒章受章。株式会社マルハン所属。

[TOP動画 引用元]The IPC(The Internatinal Paralympic Committee)

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

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チェアスキー界のワンダーボーイの素顔は、超ピュアな17歳【佐藤林平: 2018年冬季パラリンピック注目選手】

朝倉 奈緒

どんな競技や業界においても、若手ホープは貴重な存在です。日本を代表するチェアスキーヤー、夏目 堅司選手が育成に力を注ぐ、佐藤林平さんもそのひとり。とりわけ「チェアスキー」という特殊で高額な用具が必要な競技で、既に世界を舞台に勝負している17歳は少なくとも日本では佐藤林平さん以外にはいないでしょう。そんな稀少な高校生チェアスキーヤー、佐藤林平さんに、来年のピョンチャンパラリンピックに向けての心境や、地元である野沢温泉村のことなどを聞いてみました。

野村温泉村はGW前までスキーオンシーズン

長野県・野沢温泉村からはるばる東京・表参道にやってきた林平さん。東京では半袖の人も多く見られる5月中旬に、ほんのり小麦色に焼けた青年は、いかにも健康そう。「屋外でトレーニングしているのですか?」と尋ねたところ、野沢温泉村ではGW前までスキーができるのだとか。日焼けしているのは、数日前までチェアスキーの練習をしていたからだそうです。

そんな林平さんの地元・長野県の野沢温泉村はスキーが盛んで、林平さんが通う県立の飯山高校は、長野県で唯一スポーツ科学科を設けており、スキーの各種目において、歴代のオリンピック選手を輩出する、スキーのエリート高校です。スポーツ科学科は他の普通科などに比べて実技の授業が多く、スポーツ心理学の先生が講義をすることもあるそうです。

林平さんは高校のアルペン部と、クラブチーム「野沢温泉ジュニアスキークラブ」に所属しており、シーズン中はスキー三昧の生活。地元にいるチェアスキーヤーは林平さんのみで、コーチに自分から積極的にコミュニケーションを取ったり、独学で勉強したりと、人一倍努力が必要とされる環境でありながら、「チェアスキーはとにかく楽しい!」と満面の笑みで話してくれました。

雪のない夏のシーズンは主に有酸素運動や体幹トレーニングで体力をキープしているのだそう。
「アルペンスキーの男子の座位クラスのレースは女子が滑って、立位クラスが滑った後になるから、コースはボコボコで走りにくい。そういった悪いコンディションの中で、いかに軸をずらさずに、バランスを保って滑ることができるか。そこが勝敗を決めるポイントになるので、コアトレーニングで体幹を鍛えて、イメトレをすることが大切ですね。」と林平さん。先ほどまでの人懐っこい笑顔も一変、チェアスキーの話をするときの眼差しは鋭く、真剣です。

スーパー高校生、卒業後の進路は?

林平さんが初めて東京に来たのは中学1年生くらいの夏、日本のトップチェアスキーヤーである森井大輝さんが「一緒にトレーニングをしよう」と招いてくれ、ウェイトトレーニングを中心に教わったのだそうです。「東京は地元に比べて道が平で走りやすいし、ジムにも器具が揃っている。それはいいんだけど、とにかく電車の乗り換えが大変()。」地元の野沢温泉は坂ばかりで、車いすで外を走ることがほとんどできないそうです。森井選手とは、毎年一度、秋葉原のメイド喫茶に行くのが恒例の楽しみになっているという、プライベートな暴露話もしてくれました。高校生の林平さんにとって、東京は刺激的な街に映っているのでしょうか。

去年は、チェアスキーの大会に出場するためにオーストリアに遠征し、スキー場の規模が大きく、雪質の違いに驚いたといいます。「日本の雪は柔らかいけれど、少しでもバランスを崩すと板が埋まっていってしまう。それに比べてオーストリアの雪は硬く、締まっていて滑りやすい」。雪質をこんな風に分析できるのは、さすが雪国生まれで、ほぼ一年中雪と共に生活しているチェアスキーヤーならでは。
来年、韓国で行われるピョンチャンパラリンピックを目指して、トレーニングと、その間に卒業後の進路についても考えているという林平さん。地元で、野沢温泉村の地域活性化にも貢献したいという力強い言葉もありました。「チェアスキー」という武器を持つスーパー高校生は、そこにいるだけでこちらが元気になれるような、輝きと期待感に満ち溢れていました。

(text: 朝倉 奈緒)

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