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車いすの女王 土田和歌子。驚きのトライアスロン転向宣言までの舞台裏【HEROS】後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

アイススレッジスピードレースと車いす陸上競技で、通算パラリンピック7大会に出場し、計7個のメダルを獲得。日本人として初めて夏季と冬季の両大会で金メダリストに輝くなど、四半世紀に渡るパラアスリート人生を最前線で走り続け、数々の伝説を残してきた車いすアスリート・土田和歌子選手。2016年リオ大会の女子マラソン(車いすT54)では、惜しくも、トップとわずか1秒差で4位に終わったが、その後、わずか3ヶ月の競技歴で初参戦したASTCパラトライアスロンアジア選手権(フィリピン)で優勝し、2017世界パラトライアスロンシリーズ横浜大会(女子PTWC)の出場権を得て優勝という新天地での快挙を成し遂げたのち、今年1月、トライアスロンへの転向を発表した。車いすマラソン女子の第一人者のこれまでとこれからを探るべく、土田選手に話を伺った。

車いす陸上を極めたい。
その一心で“レーサー”と
共に駆け抜けた20年


2017年9月、オランダ・ロッテルダムで行われた「ITU世界トライアスロンシリーズグランドファイナル」に出場した後、土田選手は、従来の車いす陸上のトレーニングを中心とした練習の日々を送っていた。取材に伺ったこの日は、千葉県内某所での強化合宿中だった。自身の体と一体化し、ロードレースを疾走する通称“レーサー”こと、競技用車いすについて、土田選手はこう語る。

「この20年、車いす陸上を極めたいという想いでやってきました。最速を求めて、八千代工業が作るレーサーに乗りたいという強い想いから、現在に至って同社に所属させていただいています。今乗っているレーサーは、5台目。以前は、型が決まったマシンに乗っていたので、フレームの全長も1800mmとかなり長かったのですが、弊社では自分の体に合わせて作っていただいているので、1700mmぐらい。膝の角度やポジションも微調整できる仕様になっています」

土田選手が使用しているレーサーは、八千代工業が、ホンダR&D太陽株式会社株式会社本田技術研究所と三社共創で開発している『極<KIWAMI>』を名に冠したフラッグシップモデル。3Dスキャナーを駆使した姿勢測定により、土田選手の体にぴったりフィットしたマシンは、CFRP(炭素繊維強化プラスチック)の特性を活かした最先端設計技術により、高振動減衰カーボンフレームと超軽量カーボンホイールを実現している。

「日本はモノづくりに長けた国。海外の選手は皆、日本のレーサーに乗りたがります。“どこに行けば、乗れるの?買えるの?”としょっちゅう聞かれますね。実際、八千代工業のレーサーを使う海外の選手は増えていますし、多くの選手がこれに乗って活躍する時代になってきました。この先、東京2020に向けて、かなりのユーザー数が増えるのではないかと思います」

車いすマラソン女子の先駆者として数々の功績を誇りながら、初参戦したトライアスロン大会で優勝するなど、今なおアップデートし続ける土田選手の快進撃。その優れたパフォーマンスが、八千代工業のレーサーの素晴らしさを世に広める上で、大いに貢献していることは言うまでもない。

「でも、蓋を開けてみたら、失敗の方が多いんですよね。レースに関しても、中々うまくいかない部分があって。その中でも、パラリンピックでメダルを獲得してこられたことは、自信にもつながっていますし、世界の選手たちにも評価してもらえているところなのかなと思っています。それに恥じないように、今後も色々と挑戦していきたいです」

2020年、世界と戦える自分であるなら、
挑戦したい

夏季と冬季を合わせて、パラリンピック7大会への出場を果たし、両大会で日本人初の金メダリストに輝いた土田選手。自国で開催されるパラリンピック東京2020について、今、どのような想いを抱いているのだろうか。

「ロンドン大会までは、パラリンピックが一つの目標であって、そこに向けて活動していくことが活力源でした。でも、それ以降は、正直、4年スパンの目標設定がなかなか難しくて。2020年に選手である自分の姿を想像すると、やっぱりすごくワクワクしますし、そこに向けて頑張りたいという気持ちはもちろんあります。ただ、挑むべきかどうかの見極めは、すごく重要だから、自分と向き合うことから逃げずにシビアにいきたい。その上で、世界と戦えるレベルにいるなら、挑戦したいと思っています。その時々で、挑戦って変わってくると思うんですよね。答えはひとつじゃないというところで、自分の幅を広げるためにも、トライアスロンに挑戦していますが、この先どうしていくかということは、現時点では、はっきりとは言えません。目の前のことをひとつずつしっかりこなしながら、ひとつずつ答えを出していきたいと思います」

2018年1月、
トライアスロンへの転向を発表。
目指す先は、東京2020のメダル獲得

それからまもなくして、衝撃のニュースが飛び込んできた。今年1月16日、日本トライアスロン連合により、土田選手のパラトライアスロンへの転向が発表されたのだ。18日に日本財団パラリンピックサポートセンターで開かれた記者会見では、「やり残したことがないと言えば嘘になるけれど、未知の競技であるトライアスロンに転向する決意をしました。2020年東京パラリンピックでのメダル獲得が最大の目標。一戦一戦チャレンジしていきたいです」と強い意気込みを見せた。

リオ大会からパラリンピックの正式競技となったパラトライアスロンだが、東京大会については、男女とも4種目、出場選手数は、男女各40人と公表されているのみで、実施種目(クラス)は、未だ明らかにされていない。その詳細は、今年12月末までに、国際パラリンピック委員会(IPC)から発表される予定だ。もし、自分のクラスが実施されなかったとしても、車いすマラソンへの復帰はなく、トライアスリートとしての高みを目指し、挑戦していくことを土田選手は明言している。

「私は、スタートラインに立った瞬間に並んだ選手は皆、ライバルだと思っています。どんなに良いコンディションでそこに立てたとしても、パフォーマンス力を発揮できなければ勝利はないし、自分の力を過信してもいけないということは、これまでたくさん失敗してきたので、痛いほどよく分かっています。競技力に関わらず、そこに立った全員にチャンスはあるはずです」

取材の最後に放ってくれた言葉に、土田選手のアスリート魂を垣間見た。このスピリットは、20年以上、自分の全てを賭けて挑んできた陸上界から、トライアスロンへと、勝負の舞台は変わっても、変わることなく彼女の中に宿り続けることだろう。2月17日にオーストラリアで開催されるパラトライアスロンW杯から、5月の横浜大会を含めて、米国、スペイン、フランスなどの世界を転戦する。車いすの女王・土田和歌子が、再び頂点に立つ日はもうすぐかもしれない。

前編はこちら

土田和歌子(Wakako Tsuchida)
1974年10月15日、東京都生まれ。高校2年の時に友人とドライブ中の交通事故で車いす生活に。93年からアイススレッジスピードレースを始め、98年長野大会1000m、1500mで金メダル、100m、500mで銀メダルを獲得。96年から陸上競技に転向し、04年アテネの5000mで金メダル、車いすマラソンではシドニーで銅メダル、アテネで銀メダルを獲得。パラリンピックには夏冬通算7大会に出場し、計7個のメダルを勝ち取ると共に、日本人初のパラリンピック夏冬両大会金メダリストになった。17年4月にフィリピンで開催されたASTCパラトライアスロンアジア選手権に初参戦して優勝し、5月の2017世界パラトライアスロンシリーズ横浜大会(女子PTHC)の出場権を得て優勝。04年10月より八千代工業株式会社に所属。18年1月16日、パラトライアスロンへの転向を発表した。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 壬生マリコ  写真提供:八千代工業)

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“マーダーボール(殺人球技)”のジャンヌ・ダルク。日本代表、史上初の女性選手【倉橋香衣:Find New Heroes】後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

「マーダーボール(殺人球技)」の異名を持つウィルチェアーラグビーは、車いすを激しくぶつけ合い、突き飛ばすこともあれば、吹っ飛ばされることもある凄まじい競技。それでいて、れっきとした男女混合の団体球技だ。昨夏のリオパラリンピックで銅メダルを獲得したウィルチェアーラグビー日本代表は、2020年東京パラリンピックの金メダル獲得をめざして、また新たなスタートを切った。そんな中、今年1月、女性としては、史上初となる代表候補に選ばれたのが、倉橋香衣(くらはし・かえ)選手(商船三井)。プレー中も笑顔を絶やさず、生き生きとコートを走る倉橋選手の魅力に迫る。

今年、初めて手に入れた“My ラグ車”

現在、大手海運会社の商船三井に勤めながら、一人暮らししている倉橋選手。同社の人事部ダイバーシティ・健康経営推進室に所属し、勤務は週に2日、そのうち1日は在宅で業務にあたっている。今年12月、所属チーム「BLITZ」が日本選手権に出場することが決まり、本番に向けて練習とトレーニングを繰り返す今、仕事と競技の両立についてこう話す。

「土日はチーム練習が多いのですが、平日は個人トレーニングをみっちり行う週もあれば、その分、少し休憩を入れる週も作ったり、バランスを取りながら働ける環境を与えていただいているからこそ、今の生活があります。落としたモノを拾うとか、日常の一つひとつの動作に時間がかかるので、なるべくムダを減らせるように、スマートに生きるための工夫を取り入れることと、まともな生活をしっかり送れることを心がけています」

男性選手との体格差はやはり大きく、怪我をして以来、食べる量も減る傾向にあったため、食生活については、「まずは3食きちんと、残さずに食べること」を自分に課しているのだそう。好きな食べ物について尋ねると、意外にも、“もずく”と即答。「好き嫌いはないけれど、特に何かと言われたらコレですね。ちなみに、今は焼き貝を食べたくて仕方がないです(笑)」

週に1度の出社日、個人トレーニングや練習場には、倉橋選手が自ら運転する車で向かう。車内には、今年初めて手に入れたニュージーランド製の“Myラグ車”をいつも一緒に乗せて。

「座面、角度、長さなど、規定の範囲内で自分に合ったものを作っていくんですが、最初は、何をどうすればいいのか、正直全く分からなくて、0.5の他の選手に教えてもらいながら、メーカーさんと相談して作っていただきました。例えば、背張りをちょっと緩めたりきつくするだけで、体の動きは全然変わってきます。もっとスピードを上げたり、パフォーマンス力を上げるためにどこを調整すればいいのか、今も乗りながら探っている最中です。パンクしても、気づかないで走っていたりするくらい鈍感なので(笑)、念には念を入れて、ベストな一台に仕上げていきたいなと思います」

自分の全てを高めて、みんなと一緒に戦って、喜びたい

昨夏のリオ大会まで、強豪カナダを率いてきたオアー監督が日本代表の新監督に就任した直後から、「自身の仕事は東京で金メダルを獲らせること」と語るように、チームとして、2020年東京パラリンピックの目標は、金メダルの獲得だ。カナダを破り、銅メダルを獲得したリオ・パラの実績を踏まえると、実現の可能性は十分にある。

「私個人としては、スピード、パワーやチェアースキル、戦術理解など、全部が劣っているので、遅いからこそ先を読み、素早く攻守の切り替えをできるようにするなど、2020年に日本代表の一員として参加できるように、それら全てを高めていくことが課題だと思っています。今のままでは、金を獲るためのメンバーには入れないと思うので。コートでみんなと一緒に戦いたいし、一緒に喜べるようにやっていきたいです」

直近では、12月2日と3日にパリで開催されるウィメンズカップにも出場予定だ。倉橋選手を含めて、日本からは3人の女性選手が個人登録している。

「世界には、どんな女性選手がいるのか、どんな風にプレーしているのか、色々と見てこようと思います。他の2選手とは、自分たちが動くことで、競技人口が増える一助になればいいねと話しています。ウィルチェアーラグビーは、男女混合の競技ですが、増えれば、女子リーグもできるし、車いすバスケットボールみたいに、健常者の人も一緒にプレーしたりできる。女子が増えることで競技人口も徐々に増えて、もっと盛り上がるんじゃないかなと思います」

今年になってから、友人たちが試合を観に来てくれる機会が増えた。「ぶつかるって聞いていたけど、こんなに激しいなんて知らなかった!」、ルールを知って、「奥深いスポーツなんだね!」など生の感想をもらうことで、実際に観てもらうことの大切さを実感したという。

「中には、徐々にハマッてくれている友人もいます(笑)。大会では、体験会も実施していますし、これからもっとウィルチェアーラグビーを知ってもらえる機会を増やしていきたいです」と笑顔いっぱいの倉橋選手。26年間、何事においても、深く悩みながらも、やってしまえ!と自分で自分の背中を押し、常に前を見て突き進んできた。繊細さと大胆さを併せ持つ日本代表の紅一点、今後の成長が楽しみでならない。

前編はこちら

倉橋香衣(くらはし・かえ)
1990年、兵庫県神戸市生まれ。小学1年、須磨ジュニア体操クラブで体操を始め、市立須磨高(現・須磨翔風高)まで体操選手として活躍し、文教大進学後はトランポリン部に所属。2011年、全日本選手権に向けた公式練習中に、頸髄損傷し、車いす生活となる。2013年よりウィルチェアーラグビーに出会い、現在は、埼玉県所沢市に拠点を置くクラブチーム「BLITZ」でプレー。2016年4月に商船三井に入社し、人事部ダイバーシティ・健康経営推進室に所属。2017年、ウィルチェアーラグビー界史上初の女性日本代表候補に選ばれた。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 壬生マリコ)

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