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東京2020。100m全米王者から届いた「世界最速」への果たし状 ジャリッド・ウォレス 後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

2015年、2016年の全米選手権を制覇し、リオパラリンピック陸上男子100mT44(下肢切断)5位入賞を果たしたスプリンター、ジャリッド・ウォレス選手。2017年5月、日本の競技用義足開発メーカーXiborg(サイボーグ)社と共同開発契約を結び、7月にロンドンで開催された世界パラ陸上競技選手権大会2017では、Xiborg製の義足で出場し、200mで優勝。多くのトップアスリートが、競技用義足の圧倒的なシェアを誇る欧州企業の義足を使用するなか、日本製の義足を選んだ全米王者のウォレス選手は、極めて異例だ。同社をパートナーとして選んだ理由とは?世界一のスプリンターになるために行っていることとは?開会まで956日に迫る東京パラリンピックでの金メダル獲得を目指すウォレス選手に話を伺った。

トップアスリートが独学で義足の調整を学ぶ!?
「師匠はテクノロジー、僕は弟子」

競技用義足を間近に見たことがあるだろうか?地面を蹴る炭素繊維強化プラスチック製の「板バネ」、足の断端部(切断部)に装着する「ソケット」の2つのパーツで主に構成されている。また、板バネとソケットを接続するための「アダプター」、ウォレス選手の場合、ソケットと断端部の間の空気を抜き、陰圧によって義足を懸垂するための「吸着バルブ」など、他にも細かなパーツを精緻に組み合わせることで、アスリートの体と一体化する不可欠な部位となる。

トップアスリートの場合、義肢や装具の製作を行う義肢装具士がそれらの調整を行うのが一般的だが、ここ1年半ほどの大会やトレーニングなどにおいて、ウォレス選手は、ほとんどの調整を自分で行ってきた。

「テクノロジーと僕は、師弟関係を結んだのです(笑)。細かな調整で生じる違いによって、走った時に自分がどう感じるか、何が変わるのかといったことを自分の体で理解するためでした。感覚主体ではあるけれど、小さな違いを生むための方法を独学で学んできました」

それは、ウォレス選手にとって、今後に活かせる貴重な経験となった。だが、金メダル獲得を狙う東京2020を踏まえると、やはりエキスパートの必要性を感じたという。

「2ヶ月ほど前に、アメリカで、僕のソケットを作ってくれている義肢装具士にお願いすることになりました。ソケットを開発する能力に長け、ブレードの知識も豊富で、この業界の仕組みを熟知している人です。走っている時に、義足がどんな風に感じるかについては分かるけれど、僕は義足のエキスパートではありません。彼は、僕の感覚と技術の架け橋となってサポートしてくれる大切な存在です」

今回の来日では、新たに改良を加えたXiborg製の板バネを手にした。「帰国する日が待ち遠しい」。ウォレス選手の顔に笑みがこぼれたのは、その新しい板バネと共に、義肢装具士との初めてのコラボレーションが実現するからだ。東京2020に彼と連れ立って来日できる体制を整えることは、今後の一つの目標でもある。

世界最速スプリンターになるための、
たゆまぬ努力

現在、パラリンピック陸上男子100mの世界記録が10秒61であるところ、ウォレス選手の自己ベストは、10秒71。「(アスリートたちの)走るスピードが速くなればなるほど、0.1秒、0.01秒の差が大きな違いを生むのは、スポーツの性質。僕が思うに、おそらく世界最速は10.4、10.3あたりではないでしょうか。東京2020までには、10秒台前半を目指していきたいです」。

トップアスリートたちは、過酷なまでに自分を追い込み、トレーニングに集中する日々を送っている。シーズン中は、そこにレースが加わり、頭の中では常に走ること、レースの結果やライバルのことでいっぱいの状態だ。さらに、全力疾走するごとに、筋肉の中では微小断裂(microtears)が起き、筋肉は壊されている。

「だからこそ、心と体を十分に休ませ、正しく癒やし、回復させる時間が不可欠です。シーズン中は、数週間オフを取りますし、それ以外でも、1週間に3日ほど休みます。この習慣を実行しているからこそ、毎日ハイレベルのトレーニングができています。20日間ぶっ続けのトレーニング?もちろんできますが、筋肉が十分に回復できていない状態では、ハイレベルのトレーニングができる能力はおのずと落ちていきます」

レースで最高の力を発揮するためには、「いい走りをし、素晴らしいパフォーマンス力を発揮している自分の姿を心に描くビジュアライゼーションが不可欠」だという。

「幸いにも、東京2020までの数年間、Xiborgチームと共に、競技用義足を共同開発できる機会に恵まれています。有効的なトレーニングを続けるためにも、金メダル獲得というゴールに向かって前進していくためにも、これほど有利なことはないと思っています」

義足は工芸、100m走は美しい絵画

「東京2020でのライバルは、誰?」と尋ねると、パラリンピック2大会で100mを制覇した英国のジョニー・ピーコック選手と、現在100mの世界記録保持者である米国のリチャード・ブラウン選手の名前が挙がった。

「2人共、才能にあふれた驚くべきアスリートです。僕たちは良き友であり、互いに刺激し合えるライバルでもあります。彼らの存在は、いつも心の中にあるし、時に僕を悩ませることもあるけれど(笑)、彼らにとってもまた、僕が同様の存在であることを知っています」

ウォレス選手にとって、走ることは自分が何者であるかを示す人生の大部分を占めてきた。7年前に右足を失う前の高校時代には、州大会の800m、1600mで優勝するなど、健常者のアスリートとして活躍していた。

「今も昔も走ることが大好きです。走ることは、僕にかけがえのない喜びを与えてくれます。100m走は、多くのことが正しい方向に向かっている、それを示す美しい絵画であり、アートです。競技用義足というクラフトを学ぶことは、とても楽しい。もちろん、正しいと思っていたことがそうではない場合もあります。でも、より速く走るために何が必要かと考えれば、アイデアは無限に思いつくし、だからこそ、学ぶことをやめられない。そのユニークな挑戦が僕を掻き立て、走ることに向かわせるのです」

前編はこちら

ジャリッド・ウォレス(Jarryd Wallace)
1990年5月15日、米国・ジョージア州生まれ。高校時代に州大会の800m、1600mで優勝。20歳の時、コンパートメント症候群により右足を切断。その12週間後、義足をつけて走り始め、15ヶ月で国際大会優勝。Parapan American Games 2011で世界記録を打ち立て、2013年には世界パラ陸上選手権大会(200m・4×100mR)で優勝。2015年、2016年の全米選手権チャンピオン(100m)に輝く。リオパラリンピック男子(100m)5位入賞。2017年5月、日本の競技用義足開発メーカーXiborg(サイボーグ)社と共同開発契約を締結。同月21日に開催されたセイコー ゴールデングランプリ陸上2017川崎の出場時より、Xiborg製の義足を使用している。同大会のパラリンピック種目男子100メートルT44(下肢切断)で優勝。自己ベストは100mが10秒71、200メートルが22秒03。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

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車いすの女王 土田和歌子。驚きのトライアスロン転向宣言までの舞台裏【HEROS】後編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

アイススレッジスピードレースと車いす陸上競技で、通算パラリンピック7大会に出場し、計7個のメダルを獲得。日本人として初めて夏季と冬季の両大会で金メダリストに輝くなど、四半世紀に渡るパラアスリート人生を最前線で走り続け、数々の伝説を残してきた車いすアスリート・土田和歌子選手。2016年リオ大会の女子マラソン(車いすT54)では、惜しくも、トップとわずか1秒差で4位に終わったが、その後、わずか3ヶ月の競技歴で初参戦したASTCパラトライアスロンアジア選手権(フィリピン)で優勝し、2017世界パラトライアスロンシリーズ横浜大会(女子PTWC)の出場権を得て優勝という新天地での快挙を成し遂げたのち、今年1月、トライアスロンへの転向を発表した。車いすマラソン女子の第一人者のこれまでとこれからを探るべく、土田選手に話を伺った。

車いす陸上を極めたい。
その一心で“レーサー”と
共に駆け抜けた20年


2017年9月、オランダ・ロッテルダムで行われた「ITU世界トライアスロンシリーズグランドファイナル」に出場した後、土田選手は、従来の車いす陸上のトレーニングを中心とした練習の日々を送っていた。取材に伺ったこの日は、千葉県内某所での強化合宿中だった。自身の体と一体化し、ロードレースを疾走する通称“レーサー”こと、競技用車いすについて、土田選手はこう語る。

「この20年、車いす陸上を極めたいという想いでやってきました。最速を求めて、八千代工業が作るレーサーに乗りたいという強い想いから、現在に至って同社に所属させていただいています。今乗っているレーサーは、5台目。以前は、型が決まったマシンに乗っていたので、フレームの全長も1800mmとかなり長かったのですが、弊社では自分の体に合わせて作っていただいているので、1700mmぐらい。膝の角度やポジションも微調整できる仕様になっています」

土田選手が使用しているレーサーは、八千代工業が、ホンダR&D太陽株式会社株式会社本田技術研究所と三社共創で開発している『極<KIWAMI>』を名に冠したフラッグシップモデル。3Dスキャナーを駆使した姿勢測定により、土田選手の体にぴったりフィットしたマシンは、CFRP(炭素繊維強化プラスチック)の特性を活かした最先端設計技術により、高振動減衰カーボンフレームと超軽量カーボンホイールを実現している。

「日本はモノづくりに長けた国。海外の選手は皆、日本のレーサーに乗りたがります。“どこに行けば、乗れるの?買えるの?”としょっちゅう聞かれますね。実際、八千代工業のレーサーを使う海外の選手は増えていますし、多くの選手がこれに乗って活躍する時代になってきました。この先、東京2020に向けて、かなりのユーザー数が増えるのではないかと思います」

車いすマラソン女子の先駆者として数々の功績を誇りながら、初参戦したトライアスロン大会で優勝するなど、今なおアップデートし続ける土田選手の快進撃。その優れたパフォーマンスが、八千代工業のレーサーの素晴らしさを世に広める上で、大いに貢献していることは言うまでもない。

「でも、蓋を開けてみたら、失敗の方が多いんですよね。レースに関しても、中々うまくいかない部分があって。その中でも、パラリンピックでメダルを獲得してこられたことは、自信にもつながっていますし、世界の選手たちにも評価してもらえているところなのかなと思っています。それに恥じないように、今後も色々と挑戦していきたいです」

2020年、世界と戦える自分であるなら、
挑戦したい

夏季と冬季を合わせて、パラリンピック7大会への出場を果たし、両大会で日本人初の金メダリストに輝いた土田選手。自国で開催されるパラリンピック東京2020について、今、どのような想いを抱いているのだろうか。

「ロンドン大会までは、パラリンピックが一つの目標であって、そこに向けて活動していくことが活力源でした。でも、それ以降は、正直、4年スパンの目標設定がなかなか難しくて。2020年に選手である自分の姿を想像すると、やっぱりすごくワクワクしますし、そこに向けて頑張りたいという気持ちはもちろんあります。ただ、挑むべきかどうかの見極めは、すごく重要だから、自分と向き合うことから逃げずにシビアにいきたい。その上で、世界と戦えるレベルにいるなら、挑戦したいと思っています。その時々で、挑戦って変わってくると思うんですよね。答えはひとつじゃないというところで、自分の幅を広げるためにも、トライアスロンに挑戦していますが、この先どうしていくかということは、現時点では、はっきりとは言えません。目の前のことをひとつずつしっかりこなしながら、ひとつずつ答えを出していきたいと思います」

2018年1月、
トライアスロンへの転向を発表。
目指す先は、東京2020のメダル獲得

それからまもなくして、衝撃のニュースが飛び込んできた。今年1月16日、日本トライアスロン連合により、土田選手のパラトライアスロンへの転向が発表されたのだ。18日に日本財団パラリンピックサポートセンターで開かれた記者会見では、「やり残したことがないと言えば嘘になるけれど、未知の競技であるトライアスロンに転向する決意をしました。2020年東京パラリンピックでのメダル獲得が最大の目標。一戦一戦チャレンジしていきたいです」と強い意気込みを見せた。

リオ大会からパラリンピックの正式競技となったパラトライアスロンだが、東京大会については、男女とも4種目、出場選手数は、男女各40人と公表されているのみで、実施種目(クラス)は、未だ明らかにされていない。その詳細は、今年12月末までに、国際パラリンピック委員会(IPC)から発表される予定だ。もし、自分のクラスが実施されなかったとしても、車いすマラソンへの復帰はなく、トライアスリートとしての高みを目指し、挑戦していくことを土田選手は明言している。

「私は、スタートラインに立った瞬間に並んだ選手は皆、ライバルだと思っています。どんなに良いコンディションでそこに立てたとしても、パフォーマンス力を発揮できなければ勝利はないし、自分の力を過信してもいけないということは、これまでたくさん失敗してきたので、痛いほどよく分かっています。競技力に関わらず、そこに立った全員にチャンスはあるはずです」

取材の最後に放ってくれた言葉に、土田選手のアスリート魂を垣間見た。このスピリットは、20年以上、自分の全てを賭けて挑んできた陸上界から、トライアスロンへと、勝負の舞台は変わっても、変わることなく彼女の中に宿り続けることだろう。2月17日にオーストラリアで開催されるパラトライアスロンW杯から、5月の横浜大会を含めて、米国、スペイン、フランスなどの世界を転戦する。車いすの女王・土田和歌子が、再び頂点に立つ日はもうすぐかもしれない。

前編はこちら

土田和歌子(Wakako Tsuchida)
1974年10月15日、東京都生まれ。高校2年の時に友人とドライブ中の交通事故で車いす生活に。93年からアイススレッジスピードレースを始め、98年長野大会1000m、1500mで金メダル、100m、500mで銀メダルを獲得。96年から陸上競技に転向し、04年アテネの5000mで金メダル、車いすマラソンではシドニーで銅メダル、アテネで銀メダルを獲得。パラリンピックには夏冬通算7大会に出場し、計7個のメダルを勝ち取ると共に、日本人初のパラリンピック夏冬両大会金メダリストになった。17年4月にフィリピンで開催されたASTCパラトライアスロンアジア選手権に初参戦して優勝し、5月の2017世界パラトライアスロンシリーズ横浜大会(女子PTHC)の出場権を得て優勝。04年10月より八千代工業株式会社に所属。18年1月16日、パラトライアスロンへの転向を発表した。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 壬生マリコ  写真提供:八千代工業)

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