対談 CONVERSATION

復興五輪のひとつのカタチはゼリーである!? 3.11を経て生まれた新しい備蓄食品「LIFESTOCK」 後編

川瀬拓郎

被災地のひとつである、仙台・七ヶ浜に新たなコミュニティを創世し、地域社会のこれからのあり方を提示する島田氏。さらに新たな備蓄食料としてのゼリーを生み出したことで、この技術がスポーツへ、そして東京2020へと繋がることをお二人に説明していただいた。後編では日本の物作りの弱点や、防災についてのコミュニーケーションのあり方、さらにはコミュニティが命を繋ぐということまで、アクティブに動き回るふたりゆえの実感に裏打ちされたコメントは必読!

自分の五感を信じ課題を探す

島田「多くのメーカーは、既にある物を売るというやり方ですが、我々は最先端技術を使い、ビジョンとマーケットを創造する会社。顕在化しているニーズから商品化するのではなく、まだ見えていない潜在的なニーズを探し出す。そこに課題を見つけて、オリジナル商品を開発し、新しい市場を作っていくこと。防災ゼリーはまさにこうした課題解決創造型ビジネスです。小さい子供や高齢者は乾パンでは固くて食べられない、ということは誰でもわかることですし、共感してもらえる。実際に被災して体験したことで課題が見つけられたのですね。やっぱりマーケティングではなく、自分の目で見て感じることの方が大切なんです」

杉原「僕も情報に左右され過ぎないということは意識しています。いろんな人と直接会って、いろんな話をして、物作りの現場に出向くことの方が大切。僕と島田君みたいなプロデューサー体質の人間がやるべきことはこういうことなんです。復興五輪の意義はどこにあるのかと言われますが、このゼリーにはちゃんとあるんです」

島田「震災から7年を経てやっと商品化でき、5月に工場が竣工します。何を持って復興とするかは、人ぞれぞれの想いがあるでしょう。僕にとって復興が終わるということは、ありがとうと言う側から、ありがとうと言ってもらえる側になること。この防災ゼリーで培ってきたレシピ・充填・包装の技術が、2020にも活かされてたくさんの人から感謝される。そして、世界の紛争国・貧国への恩返しが僕にとって復興が終わることでもあるのです」

コミュニケーションを変えてみる

杉原「防災っていうテーマは重いし、難しい。ハンディキャップといったテーマも同じで、さあ、みんなで考えようみたいなコミュニケーションは本当難しい。ワクワクするとか面白いという言葉を使って話すと、けしからん!と批判する人も少なくない」

島田「防災って誰もが知っていることだし、誰にとっても大切なこと。でも、防災という言葉が先行してしまうと、興味を持ってもらえないことが多い。どんなビジネスにも共通する手順だと思うのですが、まずは知ってもらうことが先で、一定の母数を広げ、その中かから、ロイヤルカスタマーを作る戦略が大事だと思っております。先日、“防災食でフレンチ”という企画を日本橋COREDO でプロデュースさせていただきました。そうしたら、普段防災訓練に来ないような女子高生や小さな子供たちが大勢来てくれたんですね。そういう風に、コミュニケーションの形を変えていく必要もありますね」

町内会、回覧板で地域が繋がる

杉原「多くの人がいつ来るか分からない災害に対して、いつ防災をどう始めたらいいのか分からない。自宅の最寄り避難所はどこにあるのか? そんな初歩的なことすら知らない僕たちがいる。特に首都圏に住んでいる人がそうなんじゃないのかな」

島田「でも、それは東京だけじゃなく全国の地方も同じかも知れない。都市部のマンションに住んでいる人って、自分の住んでいる階の住人のことすら知らない。自分の町にいる老人や障がい者など、見えない住人に気が付いていない。地方にある仕組みでまだ使えるのが、町内会の回覧板なんかはとても効果的だと思っています。名取市にある食の商業施設 ATALATA は、震災後に他の地域から移り住んできた人も多いエリアということもあり、町内会そのものが存在していませんでした。震災を機に、改めて町内会を整備して、町内会自体が自立した活動を行っています。そのなかで、私たちも地域企業としてあらゆる場面で協力をしています。その日ごろからのやり取りが、一番の地域防災だと考えています。回覧板などは、とてもアナログですが万が一の時は、あそこに、おじいちゃん、おばあちゃんいるなとか、そういった地域で地域を見守っていくことが大切です」

杉原「僕は自分が住んでいるマンションの住人を知っているんです。それはマンションの火災警報器が夜中の3時に鳴り響いて、慌てて子供を抱きかかえて廊下に出たんです。そうしたら、おばあちゃんがパニックになっちゃって、非常階段と違う方向へ走り出していたので(笑)、手を引いて連れて行ってあげたんです。さらに、幼い子どもたちがいる中国人の家族が同じフロアに住んでいることもそのとき分かったんですね。結局、誤報だったから良かったのですが。だから2回目の警報のときは、おばあちゃんと中国人家族と一緒にスムーズに避難できた。それからは、お互いに挨拶するようになったんですよね。そういう思いやりって大事だよね。3回目の警報が誤報だったときは、もうみんな廊下にも出てこなくなっちゃたんだけど(笑)。だから、回覧板って昔ながらのものだけど、見直すべきかもしれない」

コミュニティの復活が命をつなぐ

島田「町を守りましょう、地域をキレイにしましょう、そういう一方的なコミュニケーションでは今の人は付いてこない。やっぱりイベントやお祭りを通じて、地域の住人が繋がることが必要なんです。僕たちの町内会は、ひとり一人の家が、イベントやお祭りをする際にお金を出し合います。そのお金を原資として、食の商業施設 ATALATA は、業務として請け負います。もちろん利益はありせんが、その分地域とのつながりを持つことで、いろんな場面で地域の人たちは私たちの施設をよく利用してくれます。お祭りやワークショップなど、子供たちにちょっとした文化的な体験をさせてあげたい。例えば、餅つき大会をやっているのですが、回覧板に付いたチケットがないと参加できないのです。みんなビジネスと社会貢献をバラバラにして考えがちですが、そうではない。お金も払わないのに、サービスを受けたいというのは間違っている」

杉原「本当にそう。無償でサービスを受けるのが当たり前と思っている人こそ、サービスにかかるコストに無関心で、いざそのサービスがなくなると大騒ぎする。そうした500円とか1000円で、地域の繋がりが生まれるイベントができるのであれば、絶対に払った方がいいのに。例えばLINEを使うこともいいだろうし、押し付けがましいコミュニケーションではなく、今の時代に合わせた回覧板のやり方があるはず」

島田「結局コミュニティーが大事という理由がようやく分かったんです。隣近所の付き合いが嫌だっていうことで、ここまで来てしまった。もちろん、煩わしいことがたくさんありますよ。でも、自分が震災で本当にひもじい思いをしたとき、街から離れた集落の人たちが米と味噌を持ってきてくれたことが、地域の繋がりを実感させてくれたのです。そうした極限の状況で、助け合うことの基盤がコミュニティにあるのかなと」

 前編はこちら

島田 昌幸(しまだ まさゆき)
ワンテーブル代表取締役CEO。大学在学中に教育ベンチャーを創業。2005年、経済産業省チャレンジコミュニティプロジェクトに参画、最年少プロデューサーとして、日本全国の地方創生に関わる。2007年から国土交通省認定の観光地域プロデューサーとして活動し、数々の地域プロデュースを手がける。2011年には日本CSR大賞準グランプリを受賞。企業イベント、商品・サービス開発、事業開発など数多くのプロデュースを手掛けている。2016年11月、ワンテーブルを設立。

 

(text: 川瀬拓郎)

(photo: 河村香奈子)

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対談 CONVERSATION

女子大生チェアスキーヤー村岡桃佳。「金」に向かって一直線!【2018年冬季パラリンピック注目選手】前編

岸 由利子 | Yuriko Kishi

ピョンチャンパラリンピック開幕直前の3月3日に21歳の誕生日を迎えたばかりのチェアスキーヤー村岡桃佳選手。アルペンスキー女子大回転座位で5位入賞した14年ソチ大会を経て、17年W杯白馬大会の女子スーパー大回転座位で優勝、18年ジャパンパラ大会の女子大回転座位で優勝するなど、めきめきと実力を伸ばし、2度目となるパラリンピックでのメダル獲得に期待が高まる。RDS社のクリエイティブ・ディレクターとして、村岡選手のチェアスキー開発を手掛けてきたHERO X編集長・杉原行里(あんり)は、プロダクト開発のエキスパートとしてはもちろんのこと、時に、若きエースの相談役となり、悩んだ時には、人生の先輩として、厳しくも温かいエールを送るべく指南するなど、アスリートとサプライヤーとして以上に、多角的な信頼関係を築いてきた。そんな杉原にだからこそ、村岡選手が見せてくれたアスリートの素顔をぜひご覧いただきたい。

今、レースがしたくてたまらない

杉原行里(以下、杉原):今日は、普段聞けないことを色々と話していきたいと思いますが、最初に聞かせてください。ピョンチャン大会での目標は?

村岡桃佳選手(以下、村岡):メダル獲得です。

杉原:金メダル?

村岡:はい。

杉原:何個?

村岡:えっ、個数ですか!?

杉原:だって、5種目あるでしょ? 1個でいいの?

村岡:1個は獲りたいです。

杉原:せめて、金メダルは、持ち帰ってもらわないと。もし、それができなかったら、今後、マシンの供給はナシということでいいんだよね(笑)。

村岡:そのくらいの気持ちで頑張ります。

杉原:最近はどうですか?

村岡:今季、キャンセルが続いて、レースができていない状況が、すごくもどかしくて。高速系のレース(※1)に関しては、未だに1本もできていないんです。

杉原:雪がすごすぎて、実施できないんだよね。レース数は、昨年の半分くらい?

村岡:おそらく、半分にも満たないと思います。レースに出場していく中で、自分が置かれている状況や立ち位置を把握できるので、できない今、どこかあやふやな感じが否めません。レースがしたくてたまらないです。今までは、レースをしていることが当たり前だったので、こんな風に感じたことはなかったんですけれど。

※1 高速系のレース=チェアスキーの高速系種目のこと。ダウンヒル(滑降)やスーパーG(スーパー大回転)を指す。

カウル(中央手前)は、滑走中の風の抵抗を減少させるために足元に装着するカバー状のパーツ

チェアスキー界の“末っ子”が、
ついに本気を出した

杉原:桃佳は、二つのフレームの用具登録を済ませているんだよね。そのもどかしさの奥には、マシンを色々と試してみて、どのセッティングが一番自分に向いているかを確認したい気持ちがあるのでは?

村岡:そうですね。RDS社に新しく作っていただいたこのカウルは、今季、一番乗ってみたかったです。これに乗って、高速系のレースに出たかった。カウルは、高速系種目のためにあると言っても過言ではないくらい、一番効くと言われていますから。でも、レースができていない。ちょっと悔しいというか、繰り返しになりますけど、本当にもどかしいです。ピョンチャンまであと1ヶ月くらいしかないので、焦りもあるのかなと思いますけれど。

杉原:「試したい」という自発的な気持ちが出てきたのは、良いことだよね。

村岡:ありがとうございます(笑)。

杉原:桃佳と出会って、2年くらいになるかな。大輝くん(森井大輝選手)と連れ立ってここに来て、「僕の妹です」みたいな感じで紹介されたのが、はじまりだったよね。大輝くんや堅司(夏目堅司選手)亮(狩野亮選手)など、チェアスキーの選手全員が、桃佳にとってのお兄ちゃん。ゆえに“末っ子ちゃん”って呼ばれてきたわけだけど、ある時、なぜか僕は、彼らから、「桃佳をよろしくお願いします!」と言われて、サプライヤーであると同時に、桃佳の“教育係”にも任命された(笑)。それから今日までずっと見てきた中で、はっきり言うと、桃佳が変わったのは、2017年6月以降だよね。

村岡:はい、わりと最近です(苦笑)。

二十歳の女子大生の素顔は、
生粋のアスリート

杉原:京都花街のお茶屋や銀座のクラブじゃないけれど、桃佳を僕に紹介した大輝くんも、責任を負っているわけです。彼と何度も話を重ねる中、ある日、僕は、桃佳にこう聞きました。「君と、どんな風に接していけばいいの?二十歳の女の子、車いすの女の子、それとも、アスリートとして?」そして、アスリートと答えたんだよね。

それなら、学生だからとか、年齢に関係なく、先輩選手たちを見習って、アスリートとしての努力を積んでいかないと。すぐ目の前に、良いお手本がいるんだから、と伝えました。徐々に変わっていけば良いなと思っていたんだけど、若いって、やっぱりすごいよね(笑)。桃佳は、一気にどんどん変わっていった。

村岡:気づくまでに、時間がかかりすぎたんですけれど…。知っての通り、行里さんに叱っていただいた時は、泣きじゃくりました。それ以降しばらくは、RDS社にお伺いするのが、ちょっと怖かったです。

杉原:桃佳がより速く滑るために、開発チームの僕らは、最善の努力をしようとしてきたけれど、昨年の6月、7月以前は、桃佳から自発的なフィードバックがなかった。独自にデータを可視化したり、色んな技術はあっても、僕らはチェアスキーをしたことがないし、桃佳のフィーリングや欲しいものが何なのかは、やっぱり共有してもらわないと分からなかった。

でも、それ以降は、海外遠征中のどこにいても、頻繁に連絡を取るようになったよね。「今、こういう状況です」、「じゃあ、こうしようか」という流れが生まれて、変化がみられてきた。こまめに連絡するんだよって言ったのは僕なのに、返信するのが追いつかないほど、逐一メッセージが届くようになって(笑)。

甘ったれた私に、さよなら。
これからは、自分で掴み取りにいく

杉原:マシンについても、自発的に学ぶようになったよね。自分が乗るチェアスキーのシートやカウルに使われているカーボン素材についても、「これは、すっごい高価な貴重なものなんだよ」と大輝くんに教わって、当初はそれしか分かっていなかった。でも、どれだけの時間をかけて、どんな風に開発されているのかを一から教えていくと、理解し始めた。

まだまだ足りないとは思うけど、マシンのことを理解していくと、先輩選手たちがアドバイスしてくれたことや、サプライヤーのエンジニアチームが求めていたことが徐々に分かってきたのでは?

村岡:色んな方に聞いて、見て、学んでいる最中なので、現時点で分かったというのは、すごく無責任な気がします。でも、ちょっとでも分かるようになりたいという気持ちに変わったことは確かです。

今までは、周りの方々に言われたことだけをやってきて、与えられたものだけを使って、そうして誰かに頼っていればいいという、すごく甘ったれた考えでした。言葉を変えれば、皆さんが敷いてくれたレールの上を進んでいれば、それで良いと思っていました。だからこそ、行里さんに思いっきり叱っていただいて、目が醒めました。

杉原:開発チームからすると、「ああしたい、こうしたい」というアイデアが、今後、もっと出てくるはずだし、桃佳自身が、自発的であればあるほど、彼らの意図することが理解できるようになると思う。

村岡:その重要性を今、身でもって学ばせていただいています。

杉原:“分からないことに対して、嘘をつかない”というのがルールだよね。

村岡:最近、それを学習してからは、素直に聞けるようになりました。遅いよって、感じなのですが。

杉原:知ったかぶりをすると、あとでしっぺ返しが来るよね。二十歳だからこそ、知らないことがあって当たり前だし、僕たちだって、知らないことはたくさんあるし、そこは嘘なしで付き合っていかないとね。特にチェアスキーは、選手の体とマシンがいかに一体化できるかが重要なので、嘘をつくと、遅かれ早かれ、自分に返ってきてしまう。

こうやってトップアスリートと話をしている時に、いつも思うんだけど、僕自身、パラリンピックもオリンピックも出場したことがないのに、偉そうに言って恥ずかしいなって。でも、アスリートが真剣なのと同じで、それくらい、やっぱり僕も真剣だから。この競技が好きだから、この選手が好きだから、応援したいという気持ちが強いゆえ、いっぱしの口を叩いてしまう性分なんです。

後編へつづく

村岡桃佳(Momoka Muraoka)
1997年3月3日生まれ、埼玉県出身。早稲田大学スポーツ科学部3年。4歳の時に横断性脊髄炎を発症し、車いす生活となる。陸上を中心にさまざまなスポーツに挑戦する中、小学2年の時にチェアスキーの体験会に参加。中学2年から競技スキーを志し、本格的にチェアスキーを始める。14年ソチパラリンピックに出場し、アルペンスキー女子大回転座位で5位入賞。17年W杯白馬大会の女子スーパー大回転座位で優勝、同大会の女子大回転座位で3位。18年ジャパンパラ大会の女子大回転座位で優勝。ピョンチャン大会で初の金メダル獲得を狙う。

(text: 岸 由利子 | Yuriko Kishi)

(photo: 増元幸司)

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